鉄道模型・色差し三昧

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昭和48年のこと

2010年10月07日 | 記録 程久保と高幡と
引退したお釜の話しの続きです。

1973(昭和48年)年製です。

昭和48年といえば、ワタシは保育園児です。
うちは男3人の兄弟でしたから、ワタシが高校生になったころに1升炊きの炊飯器が入りまして、
お役御免となりました。
のちに、一人暮らしを始めるときに復活、結婚してからもそのまま。
親子2代に渡って、子どもを育ててきたお釜です。

その昭和48年
通園バスに乗る日々が始まりまして、ワタシの世界が広がり始めます。
動物公園線に沿った道を進み、浅川という川を渡っていくのですよ。

ちょうど高幡橋を架け替えていたころで、毎日の工事中を見るのが楽しみでした。
架け替えによって、南詰めにあった京王線との立体交差化がなされ、踏切が無くなりました。

そこで『国土画像閲覧システム』から、昭和49年の高幡不動周辺。
こちらの画像の左上側を抜粋。
ほぼ中央に見えるのが、京王線の高幡不動駅。

曲がりくねった浅川に白くて大きな橋が架かっていますが、これが建設中の高幡橋。
その右側の細い線が旧橋で、元の画像をみると踏切待ちの車の列をなしていることが判ります。


当時の動物公園線は、2600系が専従車。

なんか変な顔の電車でねぇ。
板棒組み立て式台枠という、やや毛色の違う台車を履いていました。

本線は5000系が主力。
もちろん7輌編成で、特急はぜんぶこれ。
6000系は6連で、急行用だった気がするなぁ。
先頭車はすべて分散クーラー車でした。


後年の撮影でスカート付きですが、イメ-ジ画像ということで。
ちなみにこの6712号車はまだ製造されていません。

当時、お買物と云えば高幡の「忠実屋」か高幡台団地の「青楓チェーン」。
「青楓」のある団地の73号棟は11階建て。
日本一の高層建築物だと信じていました。

耐震基準に満たないとかで、最近になって取り壊されています。
泣けるなぁ。

高幡不動駅前でいちばんの高層建築物は、「ハイマート高幡」。
モダンな建物だと思っていたのですがねぇ。

1997年ごろ、区画整理に伴い姿を消しました。
この画像は、解体直前。
背景に見えるマンション群は、撮影の2~3年前に建ったばかり。
それまでは、辺りを見下ろすようなビルでした。

京王ストアは、まだありません。
空き地になっていて、京王帝都バスの転回場として使われていました。

小学生のころ巨大に見えたこのショッピングセンターも、もっと大きな駅ビルに建て替えられています。

以上、ほとんどの方にはどうでもいいような思い出話でした。
お付き合いくださり、ありがとうございました。

コメント (12)
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