じゅんこの部屋 

自分探しから始まった幸せへの道・・いくつになっても旬な女性で生きるカギ☆

悩みこそ母

2010-06-13 07:03:56 | 文学・歴史
「弱者を育て、強者を倒す」。。。
カッコいい言葉だが、現実は、なかなかこうはいかないもの。

新規参入球団の楽天は、昨年、元野村監督のもと、わずか5年で悲願のAクラス入りを
決めた。
発足当初のメンバーは、他球団の戦力外選手を無償トレード等でかき集め、年齢層も
高く、あきらかに力に見劣りのするチーム。

「寄せ集め集団」で臨んだ1年目は、38勝97敗1分けで、首位と51.5ゲーム差の最下位
だった。

その翌年から指揮を執ったのが野村監督。
過去に南海、ヤクルト、阪神でも監督を務めたが、就任当時はいずれも弱小チーム。

「最下位ばかりに縁がある。よその球団の人から“監督、よくこの戦力で戦ってますね”
ってよういわれるんや」。。。

そうボヤく一方で、入団した選手には「いい球団に来たよ」とねぎらった。
弱小だから、新人でも1軍で、平等に才能を発揮する場を与えられる。
走攻守がそろわなくても、一芸に秀でた選手は、適材適所に配置された。

活躍の場を与えられると、自信を失いかけた選手でも、ここぞとばかり力を発揮する
から、互いに刺激しあい、団結となって、緻密なデータによる野村采配の元、勝利を
積み重ねていったのである。

戦国時代、あの織田信長が最も怖れた武将は、上杉謙信と言われる。

鉄砲3000丁を装備する3万の信長軍を、1万3000の謙信軍が撃破したときのこと。。。

兵の数にしても、鉄砲を持たぬことからしても、謙信側の戦力は、あきらかに信長に
劣っていた。

ところが、である。

両軍が対峙する中、ひたすら降雨を待ち続けた謙信は、やがて豪雨となると見るや、
総攻撃を命じ、信長軍は、たちまち千人あまりの戦死者を出して敗走した。

それまで無敵の信長も、雨に脆い火縄銃の弱点を衝かれたのである。

謙信の見事な作戦勝ち。。。知将と言われるゆえんであろう。

戦いに、兵力も、武器も、食料も、十分持っての戦いはないだろう。
あれも足らないし、これもない。
寝ても覚めても、困った困ったと苦しい展開になるものだ。
しかし、その限られた中で、いかに勝利するか。

そこに作戦あり、戦術あり、戦略が生まれてくる。

素晴らしい発想も悩みから生まれ、苦しみこそ勝利を生む出す母、と教えられる。
法の戦いも、いつもここだなあ、と。。。
ひるまず光に向かって進みたいものだ☆
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