「お母さん、連想ゲームしよう」。
夕食後、どこで仕入れたのか、数字やカラフルな連想ゲームのカードを持って、息子が
誘ってくる。
昨夜のこと。こんな誘いは滅多にない。
一昨日の土曜、あれほど執着した部活の公式試合で、息子は3回戦で敗退した。
足の状態を思えば、まだ健闘したところだが、高校最後の個人戦。
しかもペアを組む相棒や、県下3位という1年生は、3回戦を突破して勝ち進んでいるらしい。
これまでの部活への深い思い入れを思っても、予想外の不本意な結果に、彼はどんなに
悔しい思いをしていることか。。。
小学校から大学卒業まで、スポーツに明け暮れた者として、その悔しさは想像に余りある。
なぜか勝った喜びより、負けた試合を覚えているものだ。
その傷心の息子から、滅多にない誘いだったのだが、あいにく昨日は、朝早く家を出て、
帰宅したのが夜8時過ぎ。
あわただしく食事の準備をして、夕食終えて、さあこれからパソコンに向かってスイッチ
ONと、新たな戦闘体制に入った直後である。
とても付き合うわけにはいかない。
「ゴメン」。。。
どうもタイミングが合わないんだよ。
誘う心境が分からなくもない。
残った団体戦も、今の足の状態では、最高のコンディションで臨むことは難しいのだろう。
スポーツは、勝つ喜びを求めて、ひたすら練習するのだが、勝てば勝ったで、更に上をめざす
もの。。。
当然、心身の鍛錬の厳しさは、より一層増してくる。
強くなるにつれ、周囲の期待も生半可でなくなるから、試合に臨む緊張感や不安は高まるし、
それで負けようものなら、受けるショックは、常人の窺い知れぬ激しいものだろう。
幸福を求めて強さを求めているのに、強くなるほど、幸せどころか苦しみが深まっていく。。。
「これ以上、走れません」と自殺した栄光のマラソン選手もいる。
なぜ幸せを手にするほど、苦しさが増してくるのだろう。
これは、スポーツだけではない。
芸術も、文学も、経済も、豊かな人ほど、深刻な苦悩にさいなまれるのである。
求める先々で直面する、このパラドックスに全人類はとまどうばかり。。。
この解答を、昨日のテレビ座談会で、はっきり教えていただいた。
仏教を説かれた釈迦は、「それは、すべての人は、心の病にかかっているからだ」と。。。
その病名は、「無明業障のおそろしき病」である。
この病が治れば、苦しみが転じて楽となる、「転悪成善」と救われる。
だから、全人類の生きる目的は、このおそろしい病を治すこと。
永遠に続く幸福を求めている我々だから、人生の目的はここにあきらかである。
人生の浮き沈みも、挫折も傷心も栄光も、すべて光に向かうご方便。
そう受け止めて、息子よ、今の試練も大きく乗り越えていこうじゃないか。
青春真っ只中の君にも、いつかきっと分かる時があるだろう。
いつもと違って寂しげな姿に、願いよ届け、と今日もしっかり書いておくからね☆
夕食後、どこで仕入れたのか、数字やカラフルな連想ゲームのカードを持って、息子が
誘ってくる。
昨夜のこと。こんな誘いは滅多にない。
一昨日の土曜、あれほど執着した部活の公式試合で、息子は3回戦で敗退した。
足の状態を思えば、まだ健闘したところだが、高校最後の個人戦。
しかもペアを組む相棒や、県下3位という1年生は、3回戦を突破して勝ち進んでいるらしい。
これまでの部活への深い思い入れを思っても、予想外の不本意な結果に、彼はどんなに
悔しい思いをしていることか。。。
小学校から大学卒業まで、スポーツに明け暮れた者として、その悔しさは想像に余りある。
なぜか勝った喜びより、負けた試合を覚えているものだ。
その傷心の息子から、滅多にない誘いだったのだが、あいにく昨日は、朝早く家を出て、
帰宅したのが夜8時過ぎ。
あわただしく食事の準備をして、夕食終えて、さあこれからパソコンに向かってスイッチ
ONと、新たな戦闘体制に入った直後である。
とても付き合うわけにはいかない。
「ゴメン」。。。
どうもタイミングが合わないんだよ。
誘う心境が分からなくもない。
残った団体戦も、今の足の状態では、最高のコンディションで臨むことは難しいのだろう。
スポーツは、勝つ喜びを求めて、ひたすら練習するのだが、勝てば勝ったで、更に上をめざす
もの。。。
当然、心身の鍛錬の厳しさは、より一層増してくる。
強くなるにつれ、周囲の期待も生半可でなくなるから、試合に臨む緊張感や不安は高まるし、
それで負けようものなら、受けるショックは、常人の窺い知れぬ激しいものだろう。
幸福を求めて強さを求めているのに、強くなるほど、幸せどころか苦しみが深まっていく。。。
「これ以上、走れません」と自殺した栄光のマラソン選手もいる。
なぜ幸せを手にするほど、苦しさが増してくるのだろう。
これは、スポーツだけではない。
芸術も、文学も、経済も、豊かな人ほど、深刻な苦悩にさいなまれるのである。
求める先々で直面する、このパラドックスに全人類はとまどうばかり。。。
この解答を、昨日のテレビ座談会で、はっきり教えていただいた。
仏教を説かれた釈迦は、「それは、すべての人は、心の病にかかっているからだ」と。。。
その病名は、「無明業障のおそろしき病」である。
この病が治れば、苦しみが転じて楽となる、「転悪成善」と救われる。
だから、全人類の生きる目的は、このおそろしい病を治すこと。
永遠に続く幸福を求めている我々だから、人生の目的はここにあきらかである。
人生の浮き沈みも、挫折も傷心も栄光も、すべて光に向かうご方便。
そう受け止めて、息子よ、今の試練も大きく乗り越えていこうじゃないか。
青春真っ只中の君にも、いつかきっと分かる時があるだろう。
いつもと違って寂しげな姿に、願いよ届け、と今日もしっかり書いておくからね☆