ここ数年、劇的に身辺の環境が変わった。
もう「働く主婦」ではない。
子供達はそれぞれの大学を卒業し、就職し、上の2人は結婚して、長男には子供が生まれた。
そう、私は孫を持つ婆になったのである。
世の中の 娘が嫁と花咲いて 嬶としぼんで婆と散りゆく。。。
あっと言う間に最終段階まで進んでしまったのだ。
散っていくのは、もはや時間の問題である。
世間では、死ぬかもしれぬ年を迎えながら、めでたい、めでたいと言っている。
めでたいとは絶対死なないという前提があってのことだろう。
その大前提が見事に覆って、昨年もどれだけの人が死んで、めでたくない年になったか知れない。
老化の怖れには敏感なのに、どうしてその先の死に鈍感なのだろう。
無頓着で無防備のまま、何の準備もなく、たった一人でそそくさと後生へ旅立っていく。。。
仏法を知る前の私もそうだった。
幸いかな、親鸞学徒の年明けは、大悲の願船に乗せて頂く年となれ、真にめでたい幕開けだ。
今年は金沢を拠点に、身も軽く、思う存分、聞法、布教に駆け巡り、至宝の日々を迎えよう★
もう「働く主婦」ではない。
子供達はそれぞれの大学を卒業し、就職し、上の2人は結婚して、長男には子供が生まれた。
そう、私は孫を持つ婆になったのである。
世の中の 娘が嫁と花咲いて 嬶としぼんで婆と散りゆく。。。
あっと言う間に最終段階まで進んでしまったのだ。
散っていくのは、もはや時間の問題である。
世間では、死ぬかもしれぬ年を迎えながら、めでたい、めでたいと言っている。
めでたいとは絶対死なないという前提があってのことだろう。
その大前提が見事に覆って、昨年もどれだけの人が死んで、めでたくない年になったか知れない。
老化の怖れには敏感なのに、どうしてその先の死に鈍感なのだろう。
無頓着で無防備のまま、何の準備もなく、たった一人でそそくさと後生へ旅立っていく。。。
仏法を知る前の私もそうだった。
幸いかな、親鸞学徒の年明けは、大悲の願船に乗せて頂く年となれ、真にめでたい幕開けだ。
今年は金沢を拠点に、身も軽く、思う存分、聞法、布教に駆け巡り、至宝の日々を迎えよう★