ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔身辺雑話〕菜園日記 7月31日~8月10日

2006年08月22日 | 身辺雑話
20060731  メダカはゲンキ
娘のほうの孫のカズとリョウがはじめて電車でやってきて、徒歩25分の駅まであーちゃんがお迎え。
 長い梅雨の影響がジワリと出てきたようで、近所や知人への野菜のおすそ分けが喜ばれている。
 昼飯に前回喜ばれたゴーヤマーボ風料理にリョウは今度はほめずに「ニガッ」と指摘。
 ゴーヤを冷蔵庫に入れておくと苦味が出るようだ。
孫に手伝ってもらい庭の ビオトープの水を少し抜いてきれいな水を足す。
メダカが一番元気な様子だ。
 田んぼが減って、水路が護岸化されて行き場を失ったメダカは、それでも全国で5000以上の名前があるとのこと。
 メダカにはザリガニ、カエル、鳥などの天敵も多いが、ジッタン・ビオトープの場合は、いつのまにか岩や石の下にもぐって身を潜めているザリガニだろうか。
 娘がやってきたので、アーチャンと孫も加わって農園へ行き、野菜収穫。
ナス、キュウリ、ミニトマトなど。
 トウモロコシは全部抜く。

 20010801 八朔
朝の散歩で公園脇の通水路に大きな石亀が流れに沿って泳いでいるのを発見。
 ここは人工の通水路なので亀が居ついていたとは考えにくい。 さりとて、流れてきた元は、いま暗渠になっているので誰かが放したとも考えにくい。
ときどきこんなことが起る。
長野から出荷されるレタスが2倍の値段で市場に出ているとTVワイドショーの紹介。
 長雨のツケが周っているようだ。
 東京世田谷ではコマツナが350円とのこと。
 東北地方が梅雨明けして日本全土が夏を迎えた。
 今日は八朔。
 もともとは豊作祈願の行事のの日だそうだが家康が江戸入りした記念日でもあるという。
 吉原の遊女がこれを記念し、いっせいに衣替えをしたのも「八朔」。このことは落語のマクラで知ったこと。
一重、 薄物、白妙のすずやかな衣で身をまとって遊客を迎えたらしい。
吉原美人のことを考えていたわけでもないが農園仲間のSさんから、「月下美人が今晩咲きそうだから、奥方を連れて飲みに来るべし」の電話。
この”美人”は薄命で、そのいのちを一晩で散らす白い花ということは聞いていても実物は見たことがない。
 早速、夕食を済ませ二人で出かける。
 酒天皇のひとりOさんもやってきて酒盛りのなか、妖艶な白の大輪花が咲き出した。
その白さ、一晩かぎりの妖しい白い姿は、なお輝く。

 20060802 将棋名人戦の行方
注目していた将棋名人戦は朝日新聞に移るということが棋士総会で決まった。
毎日新聞社に継続するという契約案は90対101で否決された。
 棋士は先読みができるのだから、あと10年後の世界を展望して将棋の国内外の普及を急ぎ、新聞社以外の確たるスポンサー探しにも考えたほうがいいと思う。
 作家の吉村昭さんが亡くなった。79歳。
一流の新聞記者が畏怖していたその取材力と、たしかな文体が好きだった。

20060803 農園へ水当番
犬の散歩を終えた6時から自転車で農園に行く。
 キャベツ、メキャベツ、カリフラワーのボッド苗への水遣り当番だ。 ついでにその周囲を除草。
 我が圃場のエダマメは一抱え分、全部抜いて土産とする。
 キュウリは16本、ナス、ミニトマトもたくさんとれた。
 スイカも5個、順調に育ってカラスにも狙われず、そのほか小さいのもある。
 ヨシズ張りの休憩所でバナナとおにぎりを頬ばり、お茶といっしょに朝食とする。
 春日部で先日九州旅行を共にしたM夫妻と昼にあい”生誕祭”の会食。
 娘のマゴ二人が泊まる。

20060804  自然体験教室
鷲巣のFURUYA村で自然体験教室が開かれる。 昨夜泊まった孫カズとリョウ2人も参加する。
 町提供のバスに地元応募の小学生30人が乗り込む。2年生から5年までの児童が集まった。
 ジッタンもシニアリーダーの名札をぶら下げ全体の写真係りを担当。 FURUYA村はこのブログに何回か紹介したが、今は使われなくなった牛舎を改良して青竹の天井や囲炉裏などを作った大きな小屋を作り、裏には広大な畑、竹林や広場がある。
 大人も蕎麦打ちやコンニャクを作ってときどき遊んでいるっかっこうの隠れ里だ。
子供たちにはボランティアの大学生8人が各班に分かれて遊びや炊事を指導、そのほか裏方雑役にNPOのシニアリーダーが汗を流す仕組み。
ノコギリを使って孟宗竹を輪切りにしてみんなの茶碗を作る班。
 ジャガイモを洗ってその皮を剥く班。
 カレーライスを大鍋で作る班。
 小屋のカマドを使って飯を炊く班とそれぞれが忙しい。
 食後は竹とんぼを一斉に飛ばしたり、カブトムシ採りに夢中になったり、竹細工で作った水鉄砲で的当て大会を行ったりで、夢中に遊ぶ子供たちの表情は生き生きとして見ていて気持ちが良い。
           写真は昼飯あとの竹トンボ大会

 20040805 「五十市」(ごとういち)
お化けの手になっていた橈骨(トウコツ)神経麻痺も癒えて、テニスクラブで汗をかく。1か月半ぶりだったが球の感触は戻った。
町の流灯祭りに花を添える「五十市」(ごとういち)をSOHO企画でやっているということで、夕方冷やかしに行く。
寛永年間(1636年)にあって五と一〇のつく日に市を開いていたということでこの名前がついたらしい。
町の商工会が主催で、メインの行事はHURUYA村で切り出した長い竹を利用した流しソーメン。
古利根の川沿いから一歩下がった場所で行われていた。
O理事長としばらく話す。
菜園のほうの枝豆を抜いてビールのつまみとする。
枝豆は荒塩で洗って、茹でるときと、さましたときの塩加減が美味さを決めるようだ。


20040806 流灯祭
広島原爆忌。
被爆者の平均年齢は73.9歳。どう、語りつぐか。
菜園のゴーヤ、キュウリ、ナス、トマトを収穫。
散水ついでに老犬にもシャワー。すでに他界したゴンのほうは、このシャワーを嫌がってすぐ小屋の奥に退避したが、こちらのチビのほうは喜んでジッとしている。
農園仲間のSさんが車で花芽をもった月下美人一鉢を持ってきてくれる。嫁を預かったようで責任重大だ。
流灯祭は2日目。1.5メートルほどの灯篭250基を古利根に浮かべ灯をともす。この大きさは日本一なのだそうだ。
「五十市」の流しソーメンの売り上げは順調とのこと。

20060807 炎天燃えるような日
はや立秋。野菜は長梅雨の影響で6割方値上がりのものが多いとTVが伝えていた。
だが今日は炎天燃えるような日差し。
菜園枝豆をあーちゃんの散歩同人Nさんにおすそ分け。
割り箸で添え木をしなければならなかったひ弱なエダマメ苗が、かくも成長を遂げた。

20060808 タヌキ大往生
早朝の散歩でびっくりするものがあった。
舗道脇にタヌキが大往生していた。そんなに大きなヤツではなかったが犬が好奇心旺盛となってしまって十分な検分はできなかった。
だが、まぎれもないタヌキ。
後刻、このあたりの主ともいうべきIさんに訪ねると、「下水道などを利用して生息。イタチなども多い」とのこと。一面は水田地帯で雑木林などない土地柄なのだが、どのような暮らしの日々を送っているのか。
朝から遠雷、時折ぱらつく雨の中、菜園のトウモロコシを全部抜く。
エダマメ、トマト、ナスも収穫。
高校野球がたけなわ。
八重山商工高には、我が子をみつめるような気分となる。
東京から5000キロ離れた石垣島。部員30名を率いる伊志嶺監督の生きかたに共感。
石垣島では練習相手がなく、沖縄にでれば選手ひとりあたりの費用は3~4万円かかるという。このチーム終盤の底力がすごい。
燃えよ、燃えろ、カットバセェとTV前で声援を送った。

20060809  キュウリのきゅうちゃん漬け
台風7号が関東に接近、そのためひさびさの降雨。
風はない。
長崎原爆忌。
先日訪れた平和公園での式典がテレビに写る。
午前11時2分に黙祷。
巨大 キュウリを利用して「きゅうちゃん」漬けを作る。
大鍋で2分間沸騰した湯にキュウリをまるごとつけ、6時間かけてさます。
これを2回繰り返したあと、薄切りにして、ギュっと絞り、しょう油、味醂、生姜、御酢を煮たてた中に入れる。
仕上げは白ゴマ。
これがいける。

20060810  月下美人 ツンと上を向き始める
菜園のトマト、キュウリ、ナス、ラッカセイ、スイカの周りを除草。
お礼肥料も。
 農園に行き、野菜苗の水遣り、圃場に行って同様にお礼肥料。
 Sさんが届けてくれた月下美人は当初うなだれていた蕾がツンと上を向いてきた。


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