ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔07 読後の独語〕【藤沢周平という生きかた】高橋 敏夫 PHP新書

2007年04月09日 | 2007 読後の独語
【藤沢周平という生きかた】高橋 敏夫 PHP新書 

 「鬱屈の交感」という五文字が文中に何度、登場したろうか。
 「鬱屈」「交感」という言葉が1頁ごとに繰り返され、強調され、また反復される。
ほかに言い換えの表現もなく、よほど作者にとって、思い入れの強いことばなのだろう。
 「鬱屈の交感」が藤沢周平のすべてとなっている。
この本は、このキーワードをあぶりだすだめに書かれた本のような気がする。
ふと対照的な本を思い出した。
 書き出しが
 「『文人』という古典的な文学に相応しいとされていた芥川氏の住んだ世界は、永い間、私にとってかなり縁遠いものに思えていた。この作家の『透徹した理智の世界』に、私は漠然、繊細な神経と人生に対する冷眼を感じるだけであった」
結びが
 「我々はいかなるときも芥川氏の文学を批判し切る野蛮な情熱を持たねばならない。
我々は我々を逞しくするために氏の文学の敗北的行程を究明してきたのではないか。 『敗北の文学』を――そしてその階級的土壌を我々は踏みこえてゆかなければならない。」

宮本顕治の「敗北の文学」を読んだのは十代の終わり頃だったと思うが、鮮烈な印象だった。
 芥川龍之介論を展開する構成力、表現のたしかさに驚嘆した。
 「敗北の文学」は1929年、「改造」の懸賞論文に入選。
二席が小林秀雄の『様々なる意匠』だったことは、あとから知った。
 その後、2度読み直してみたが当初の感激は薄れたものの、「敗北の文学」という形容は忘れられない五文字となった。
同じ五文字でも「鬱屈の交感」とはことばを凝集させた過程の違いがありすぎる。
「鬱屈の交感」の用語は文中に呆れるほど多い。
 「鬱屈の交感」という結論を評論の冒頭に掲げ、最後まで1本調子の展開だ。

 ・ 年金問題に詳しかったO記者は、職場の草野球に向かう車中で憑かれたように匕首を持った市井職人の修羅場やりとりの描写を語った。
 藤沢周平にほれ込んだ様子だった。八十年代の後半だったと思う。
・本好きではなかった労組専従のT交渉委員長から定年後「おまえ、よかったら藤沢周平を読まないか」と酒飲み話で言われ、あいまいな返事していたらダンボール箱にぎっしりと詰まった藤沢作品の文庫本が送られてきた。
その中から「よろずもめごと仲裁つかまつり候」の「よろずや平四郎」を読んだ。

 ・碁敵の佐藤には私が読んだ本の中から彼が好みそうなのを届けるのが常だった。
ところが、一度だけ「面白い時代劇がある。これを見ろや」とビデオを持ってきた。
これが清左衛門残日録全14話の時代劇、主演は仲代達矢。面白かった。

 ・山形育ちで兄と呼んでいるSから「読んで見ないか」一冊の本が渡された。
「蝉しぐれ」だった。  

私の周囲の友人がすべて藤沢作品を褒め、周平、周平というものだから少し臍を曲げて薦められる本は先ず避け、藤沢が書いた唯一の純文学的な文芸作品、長塚節の伝記を描いた「白い瓶」から入った。これが藤沢周平との出会いだった。
 この「白い瓶」は1986年に吉川英治文学賞を受けているが、「藤沢周平という生きかた」を論じるなら是非、とりあげてもらいたかった一冊だ。

 藤沢周平が亡くなって10年が経過している。
いまでは海坂藩は読者それぞれの自分の故郷を投影した原風景になってきている。
 再読、三読したくなる藤沢作品の魅力はなんだろうか。
 「鬱屈の交感」をまるごと否定はしないが、丸谷才一が藤沢周平への弔辞で、「(藤沢さんの小説は)小気味が良くてしゃれていた。明治から昭和を通じ、並ぶ者のない文章の名手だった」と評価している(1997年1月31日 作家・故藤沢周平さんにお別れ/東京・千日谷会堂 読売新聞東京朝刊から)
このこともその魅力の一端であると思う。
著者は1952年生まれの文芸評論家だそうだ。                                      (2007年 4月6日 読了)


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