ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

【忘却からの帰還】 【ある明治人の記録】 ー会津人柴五郎の遺書ー 石光 真人編著

2013年06月13日 | 〔忘却からの帰還〕
本日の新聞書籍広告。
6月の新刊・話題書として「ある明治人の記録」をとりあげ、会津人柴五郎の遺書が今も読みつがれていることが紹介されていた。
読み継がれて20万部となっているとも。

折から「八重の桜」がテレビ放映されていることもあり、タイムリーな発刊ともなっているようだ。
私はこの「ある明治人の記録」を10年以上前の2001年に読んで深く感動を覚えた。

そのときのメモが残っていたので再録。




【ある明治人の記録】ー会津人柴五郎の遺書ー 石光 真人編著 

 
「建具あれど畳なく 障子あれど貼るべき紙なし 板敷きに筵敷き」
零下20度の寒風の荒涼たる火山灰地。
浜辺に漂着する昆布を粥にする食生活。
夜を徹しての狐の遠吠えを聞く少年「柴 五郎」。
会津藩挙げての極北の地への流浪は極刑に等しい。

この斗南藩のことを最初に知ったのは、子母沢寛の小説を読み彼の略歴が数行紹介されていたことによる。
祖父の膝上で昆布海辺に遊ぶ幼児期の生活描写だったが、それから会津藩にも会津戦争にも興味を持ち、何冊かを読んだ。
だが会津戦争後の斗南藩の実相はこの本につきる。

13歳の五郎は青森の県庁給仕になり、やがて上京。
元元会津藩家老・山川や熊本藩出身で横井小楠の弟子の野田某に私淑して藩閥の外にありながら柴五郎は陸軍大将までの階段を上りつめる。
山川大蔵の次男・健次郎は白虎隊の生き残りで、奇しき因縁をもって東京帝大総長にもなっている。


この出版に携わった著者は明治37年生まれの東京日日新聞記者で、昭和46年発刊当事は日本ABC協会の専務理事。
薩長史観が多い中で語り継ぐべきこの本を世に出した著者・石光にも深い関心が生まれた。評価A。

メモ(数字は文庫本所載頁らしい)
第一部 柴五郎の遺書5
血涙の辞 6
脱走 下僕 流浪 藩閥の外にありながら陸軍大将 中国問題の権威
故郷の山河 9 昭和20年12月13日 柴五郎 永眠

    悲劇の発端 14 零下20度の寒風に筵を張りて
憤激の城下 17
散華の布陣 31 会津防衛 長兄は軍事奉行で越後へ
狂炎の海 25
絶望の雨夜 29
幕政最後の1日 35
受難の一族郎党 38 祖母、母、妹。 紙袋にして遺骨。
捕虜収容所へ 46    江戸に送られたる会津藩士。
                    幕府倉庫が謹慎場所。
学僕・下男・馬丁 53 会津藩。
                    石高換算六十八万石から三万3万石                    に減封。
                    会津藩士など青森下北の火山灰地へ                    。
                    雪に覆われた実質七千石の北の大地
                    五郎、12歳で土佐の用人の下僕生                    活へ。
                    肉親の犠牲を宴席の肴にされた屈辱。

地獄への道 58     藩主赦免。陸奥移住。
                    会津210戸 江戸その他300戸                    北海道200戸。
                    陸奥新領地に2700戸
餓死との戦い 65
                    一日大人玄米3合。
                    建具あれど畳なく、障子あれど貼る                    べき紙なし。板敷きに筵。
    漂着の昆布を粥に。醤油などまった                    く無し。挙藩流罪という史上かって                    なき流刑の体験。

「ここは戦場なるぞ 会津の国辱雪ぐまでは  戦場なるぞ」 
                 犬肉の塩煮を食べられず吐いた息子への父                 の言い。
「生き抜け 生き残れ」 
荒野の燭光 76 廃藩置県 青森県の給仕話
旧藩主容保東京へ。荒涼たる原野に支柱を失                う藩士の群れ。
県庁へ 13歳の出発。
海外か東京か 82
新旧混在の東京 89
元会津藩の若き家老 山川大蔵。
                旧藩の書生が多数寄食。 妹の捨松嬢は米留                学中。 
わが生涯最良の日 96
野田某の庇護。
                斎藤実も五郎も陸軍幼年学校を受験。
国軍草創の時代 102
山川家の窮乏 家僕同様の五郎に借金申し込                み 幼年学校入学 斎藤は落第
会津雪辱の日 114
野田某は熊本藩出身 横井小楠の弟子
山川健次郎 大蔵の次男 白虎隊の生存者                 のちの帝大総長
第二部 柴五郎翁とその時代
五郎、ロシア帰朝の榎本を訪ねる。
                剣もホロホロのい
明治9年 神風連 秋月、ハギの乱
五郎 陸軍士官学校に。
 
維新の動揺終わる 119
明治11年 大久保暗殺 会津を血祭りにあ                げた元凶 。
遺書との出会い 126
クロパトキン回顧録で日本軍を激賞。その                 軍規の厳正さ、捕虜への扱い。
流テイの回顧 132
翁の中国観 139
会津人の気質 147
痛恨の永眠 153
2001年6月19日 読了



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