ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

「憩室入院 かくあり記」(中) 11月13日~11月17日

2008年11月30日 | 2008 暮らし雑感
11月13日(木)
 昨夜に続き重湯の朝食を摂る。
味噌汁が美味しく感じるのは久しぶりだ。
本日から1日2リットル点滴が1・5リットルに減る。
止血剤混入は継続。
隣室からの猫声のようなうめき声をあげる人は、「痴呆気味なの」と床掃除のおばさんの言。
本日からマグラックス錠を1日3回2錠づつ服用する。
説明に来室した薬剤師の方は、「便をやわらかくして出しやすくするという効果・効能があります。でも、が様子を見て自己調整してもよい」とのこと。
 午前中は人の出入りも多いが午後は静かだ。
この環境は得がたい感じもするが、還暦から4年も過ぎれば加齢という現実に向かうあう機会ともなる。
今回の入院はたしかに他の患者さんと比べれば軽症だが、次回はどうなるの不安も生まれてくる。
ともかく大量の出血があったことは事実なのだから。

 「ネット未来地図」(佐々木俊尚 文春新書 ) を読む。
インターネット広告に比して、テレビ、新聞の媒体広告の伸びが悪くなっているのはここ数年顕著になっている。
本書では記事と広告のマッチングモデルということが提起されていたが、在社中に紙面広告だけをオンライン画面でも掲出し、そこから出稿会社へのHPや題材資料をこまかく紹介するジョイント広告をと提案したことがあった。
紙面媒体だから音も動画も出せないがその限界をどうやぶるのかが課題と考えたものだが。
 紙だからで済ませた表現限界は、紙が電子媒体になった時には広告扱いも大変化するはずだ。
ウェブ2の時代といってもまだ数年。
このルポは走りながら今後のマスコミを分析しているような本だ。 夕食 
流動食 重湯150グラム 、コーンスープ、 牛乳ゼリー、 アップルジュース の献立。
時間をかけて夕食を済まそうかという意識はあるが、献立からいっても、あっという間に終わってしまった。
夜8時頃、S主治医が回診。
マグラックス2錠を飲むと、腹部が夏の日の遠雷に似ている状態で、音はするだけで不快感が残る旨を伝え、錠剤は1錠に変えてもらった。
本日の点滴は4本分が3本に変った。

11月14日(金)
朝食は午前8:00。
 NHKの朝のドラマ「だんだん」を見ながら食べる。
重湯150グラム 味噌汁、ヨーグルトなど。
食後に入院後初のお通じがあった。
赤褐色の太めのものだったが出血していないことを看護婦さんも呼んで確認。
点滴は4本分が2本分の分量に変る。
現在の個室を継続するか、大部屋に移るかを聞かれたがこのまま個室を希望。
検温35.7分。脈70、血圧 60~118。
 床掃除のおばさんは山形出身の方でいろいろ雑談をする。
「左隣のおじいさんは1週間前は新聞を読んでいたけど、2~3日前からトイレの戸の開け方がわからなくなってしまったり、点滴の支柱を横にしてしまってわけがわからなくなってきている。」
「右隣の猫に似たうめく声の持ち主は家族がいなくなるとああいう風になるし、昼間寝てしまうので夜に声を出すんだよ」 などを聞く。  
ベッドに横になっていると太腿は痩せることは知っていたが、人との会話が少ない個室で老人は惚け始めるのかと悲しくなる。
 「大奥の奥」 大奥の奥 (新潮新書) (新書) 鈴木 由紀子 (著) を読了。
 「一、引き 二、運 三、器量」の大奥の女たちの家族とその係累が、するりと江戸城内見学にやってくる話などは意外な感じを受けた。
昼食 すまし汁 いちごムース ホットミルクなど

11月15日(土)
 午後九時が消灯時間で寝に入るからイヤでも朝は早く目覚める。
4時半にはベッドライトで読書の時間となる。
 「近世日本国民史 文政・天保時代」徳富蘇峰を読む。
会社の資料部に作家の吉川英治さんから寄贈を受けた同じ本があった。
、室町末期から明治初期までのこの国民史を3年くらいかけて同僚のS氏と読み続けたことがあった。
あれ以来の本で、今回は県立図書館から取り寄せてもらった本でもある。昭和10年に刊行されている。
文政時代は面白い。
朝食
三分粥食 250グラム 味噌汁 はんぺん煮 マッシュポテト
       梅干
点滴はヴィード注500ミリリットル1本 アドナ注射液25ミリグラム トランサミン注10% 250グラムなどが表記されていた。
 メル友からジャイアンツ祝勝会は銀座ライオンの大ジョッキで開始、楽しく盛り上がった由のメールがあった。不参加で残念。
土曜日なので中学1年と小学5年の孫が娘とあーちゃんと一緒にやってきた。
寝られない夜の天井を見つめ考えたことがあった。
わが追憶を辿れば、父親との病室での別れはたった1日だった。遺された言葉も聴くいとまもなく父は逝った。
あれは小学校5年の体験でいまの孫と同年齢のことだった。
あーちゃんと娘には待合室のほうに行ってもらい、孫2人と向き合って今後の生き方に遺しておきたい言葉を伝えることにした。 一つは、「やりたい」「したい」ことと「やる」「する」はまったく違うこと。
好きになって、やれば、もしかたしたら自分の夢は叶う。
もう一つ、学力は「読み」「書き」「ソロバン」の力が基礎。この3つを三原色のように身につければ、脳は良くなる。
これを今後の長い学生生活に活かせ。
成績なんて、このパワーを身に着けた結果でしかない。
 二人とも「わかった」と言ってくれたが、どうわかったか、またどう伝えることができたかはわからない。
夕食は、三分粥250グラム。
卵入り味噌スープ 鶏肉トマト煮 あみ佃煮 ヨーグルト

11月16日(日曜)
小雨の日曜病院はなんとなく落ち着いている。
主治医の回診もない。
看護婦さんと雑談。
 「時事放談」 は民主党顧問の藤井氏と増田寛也氏。
戦後の内閣総理大臣でこれほど言葉を大切にせず、漢字も読めない総理もみぞゆう(未曾有)のことだ、とコテンコテンにやっつけられていた。
同感だ。
ゴルゴ13を読めることで若い人に迎合するが、踏襲(フシュウ)などの言葉がすんなり出てくるというのは確かに呆れる。
「学習院云々ではない。義務教育をふつうにこなし、常識的な読書をしてれば、こんな言葉は出るはずが無い。」と藤井氏。
100年に一度の金融危機の時代にこれほど軽く薄い総理を持った我々は不幸だ。
点滴の注射針を交換。
血圧 72~112 体温36・5分 脈68 腹痛なし、便も異常なし

この病院は300床のベッドがあり、そのほかにICU 集中治療室 (intensive care unit)にもある。
消化器内科の医師は6人、入院患者は東棟だけで70人とか。
日曜夜は当直医が一人。
夕食は五分粥に。 本朝から五分粥開始。
味噌汁、肉味噌豆腐、あみ佃煮、あずきムース
徳富蘇峰の「近世日本国民史」を読む。
仙石騒動という大名のお家騒動を扱ったところが面白かった。
あの家斉が、この騒動のスピード大審理の黒幕で、川路聖謨が主任裁判官を務め栄進したことや、事件に連座されて時の老中が失脚したことなど時代劇ドラマ仕立ての材にこと欠かない。
ときどき、不明なところは辞書に頼った。
便利な時代だと思う。冊子の広辞苑がなくても携帯電話から同じことが調べることができる。
夕刻、息子一家がやってきた。末娘の3歳カナちゃんは、個室という環境に戸惑い、照れていつもと違う。
二人の小学生1、2年コンビも病院という環境に落ち着かない様子だったがこちらはすぐ馴れた。



11月17日(月)
5:50分起床。
楽しみにしていた郷土史研究会欠席の連絡をケータイで会長宅に。
農園仲間との塩原旅行、将棋クラブの鬼怒川大会もそれぞれ断る。
残念、無念の今回の入院だ。
 食後に採血 体温6度2分。 マグラックスのせいか少し下痢ぎみ。前夜の国民史から大塩の乱を1Fの売店でコピーをする。   朝食 
五分粥 250グラム 味噌汁 和風スクランブル 二色南部浸し のり佃煮
S主治医回診、19日の内視鏡検査をうけることにする。
5月受診で異常がないため、見送るかとも思ったそうだが医師の立場としては万一のためとのことなので快諾。
ここまで休んで受けずに帰るのは、後悔の種にもなると判断。 ベッドシーツの交換など。
病室が同じ4階の西側のほうに移動となる。
    


最新の画像もっと見る

コメントを投稿