ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔年歳 2008〕 2月27日~3月8日

2008年03月19日 | 2008 暮らし雑感
2月27日
 払暁、すざまじきい春嵐。この暴風、台風並みの感じだった。
 都内で風速22.6メートルを記録したとこと。
町の ”通り魔”未解決のためかこのところパトカーや警官の巡視が多い。
家の前で「その単車とまりなさい、止まれっ!」の声がして、見てみたら単車が農道に逃げ、パトカーがそれを追跡。
やがて運転している青年が単車を乗り捨てて逃げ、おまわりさんがそれを走って追っかける。
なにがあったかは知らないが、ほどなく双方の2人が戻ってパトカーに乗ってひきあげた。
いつのまにか、別のパトカーがもう一台現場に着いていて、一人が降りて乗り捨ての単車を運転。
そして農道にはだれもいなくなった。
どうやら盗難車騒ぎだったらしいが、広いたんぼの農道での捕り物帖なので窓越しで一部始終が見られた。

昼から「ラン展」で購入したエビネを植える。
花壇のパンジーはいまひとつ元気がないので寄せ植え鉢へ移す。
 庭では小さな梅木の花が咲き終わり、その下のクリスマスローズが赤紫と白い花が咲き出した。
 「司馬遼太郎が考えたこと 2」の読書中、司馬が新聞記者時代を振り返ったエッセー部分をメモする。

2月28日
晴れ。日和おだやか。
「 古文書はこんなに面白い」(油井 宏子)を読んでいたら江戸の寺小屋は全国で1万5000箇所という指摘があった。
ちいさな国のあちこちであったこれらの寺小屋が、その後の教育立国を作ったわけだ。
やっぱり基本は読み、書き、算盤か。

夕方、食材などの買い物に同行。
1983年の市川市川崑作品。
夜、邦画チャンネルの録画映画「細雪」を見る。
 これは谷崎潤一郎の原作小説の映画化。
谷崎は関東大震災を機会に関西に移住したと聞いたことがあり、作品が京都の美女姉妹の物語とは知っていた。
なるほど映画になると長女は岸恵子、二女に佐久間良子、三女は吉永小百合、四女は古手川祐子と華やかなところが4人揃った。
でも4姉妹の日常生活だけにスポットがあてられ、縁談話のほかにこれといった面白話が展開するわけではない。
吉永は控えていたのか、姉さんたちの2人の演技力に喰われたのかどうもむずかしそうだった。
この人はやはりキューポラの「純」であり、「母べえ」役がぴったりする。
男優では石坂浩二が、小ずるく立ち回る亭主役を演じてうまく演じていた。
でも、この映画を見終わったら、原作のほうは、どうも読む気がなくなった。

2月29日
 新潟のAさんからロス疑惑関連の書籍
    ・「 情報の銃弾」  三浦 和良
    ・「疑惑の弾痕」  福田 洋
 の本2冊が届く。

本日は恒例の3人囲碁・将棋会。
春日部からN君が来て1月23日に彼が対戦した将棋ソフトボナンザが投了した場面をデジカメに収め、それをプリントにしてもってきた。
投了画面でボナンザは「GIVE UP」と表現した。
85手の手数の棋譜でNさんの勝ちとなっている。
これはすばらしい。

読売新聞の2月25日朝刊一面で
    [日本の知力]科学で考える(4)人間の直観、電脳に勝る
という連載記事でこのボナンザに触れた箇所がある。

「将棋ソフトの強豪「ボナンザ」は6万局の棋譜を基に作戦を学び、数十万局のデータベースを抱え、1秒間に100万局面以上を読み尽くす。
 駒の損得や守りの堅さを1万項目に分けて得点化し形勢を判断。現在、人間でこれに勝てるのは500人程度とも言われる。」

わが棋友はたいへんなものではないか。
本日の二人の将棋対戦は私の●。
2局目をやっていると、碁敵のSがやってきたので指し掛けとした。
だが面白い局面なのでデジカメに収めて次回はここから対戦することにした。

碁のほうはSが前回と違って勝負強さが出てNに迫っていた。
私とは○●。
その間、私は チンジャオロース あさりのボンゴレ 貝ひものツマミ などを作ってお接待。
終わってからの酒は息子が持ってきた灘の純米酒を3人で一本あける

3月1日
外の犬小屋あたりからピーっピーと鳥の大きな鳴き声がする。
犬の餌入れのスープをうまそうに飲んでいるヒヨドリがいた。
仲間との食事交替を知らせる声なのかは不明。
それにしても目と鼻の先の野鳥に自分のを奪われていながら、寝たふりをしているこの犬の料簡はどういうものか。
 もっとうまい食事にありつくため、鳥へのそそのかしかとも考えられる。
犬も18年生きていると、といろいろな知恵が出てくるようだ。
 夕方の散歩でカラスがしきりに小枝を拾っては西のほうに飛んでいく光景を見る。
 明らかに巣作りの準備と思われる。
 
菜園を整理する。
 ブロッコリー全部抜く。
 スナックエンドウ、サヤインゲンの苗を植え付け 。

仙台の10歳上のいとこからご母堂逝去の知らせがあった。
96歳。父の長兄の奥方だった人で、昔、仙台での長兄27回忌法要の席でお会いした人だった。合掌。
いとこからは 老々介護のことが賀状に書いてあった矢先。
 1月の連休で救急車で運ばれ再入院中の逝去だったとのこと。
 大往生だったといとこもいっていた。
香典を送る。

 娘一家がやってきたので、たこ焼きと焼肉で迎える。

3月2日
市民農業大学授業で須賀島へ。
 じぶんたちが使う苗は手作りで、ということでスイカとキュウリの種をポット蒔きしてそれを温熱マットがあるビニールハウスに運ぶ。
生徒さん用の畑に牛糞をまき、ひとりひとりの畑区切りの縄張りを張るまでが本日の予定。
 牛糞は2トントラック2台分だったが連絡の段取りが悪いため広い哺場にまく分は午後になってしまった。
 大型耕運機はN先生がじきじき運転。
牛糞、生石灰、天然有機堆肥をまいて運転機で攪拌する。
この耕運機は1台500万円近くするらしい。
ただ先生は、このあと胃の検査で陽性ポリープがみつかったので内視鏡でつまむため1週間ほど入院するとのこと。
テレビで杉戸町の花農家でサイネリアが4000鉢出荷のこぼれ話があった。

3月3日
NPOのOさんから数日前電話があり町議会を傍聴の誘いがあったのでいっしょに出かけてみる。
 相変わらず、新町長の答弁はひとこと、ふたこと程度の一行答弁が多く、傍聴席から失笑がわき、聞いているこちらのほうの血圧が上がってくる。
「公約としていた合併特例債を使って春日部との合併をすすめるメリットはなにか、公約時期とちがってきているものはなにか」や確認の意味で求める質問にアタマを抱え、議長の「これにて休憩」が連発されて時間が空費する。
いくら町議の経験がない人だからといっても4万人以上の町の町長だ。
 「しっかり答弁せんかい」と背中をどやしたくなった。
 財政がきびしいからあれもダメこれも無理と言っていながら新予算の目玉に国体記念運動場のネットフェンス張り4500万円が計上されていることには驚いた。
 この運動場は埼玉国体時に作られたが、もともと遊水地がわりだったところの大広場で、土日にはグランドゴルフでにぎわっているが、平日は人影がまるでない。
 ここに巨額を投じてネットフェンスンをかけるとのことだが解せない。
 この人、公約では「副町長はおかない」としていたが、就任してみたら「大変激務だから置きたくなった」と変わったことも今日わかった。
「町長室も不要」「高級乗用車の廃止」の公約もホゴらしい。
傍聴は 先日の改革市民クラブのMさんが登壇するまで見てみようということになり結局1日を費やした。
 まっ、時間だけはたっぷりある生活だから、たまにはいいか。

3月4日
 明日はわれわれのルビー婚。
 あーちゃんといっしょになって、数十年の歳月が流れたわけだ。
 日和もいいので、結婚記念日を祝し川越の市立美術館で開かれている「没後100年 橋本雅邦展展」にでかける。
雅邦はフェノロサや岡倉天心らの指導のもと、芸大の前身である東京美術学校の発足に貢献した人。
彼の弟子筋に下村観山、横山大観、菱田春草、川合玉堂らがいるそうだ。
雅邦の父親は川越藩の御用絵師でもあり、彼と川越が結びつけるものは多い。
美術展は地下の展示室だったが、屏風絵も小品もなかなか佳かった。
昼食は喜多院ちかくの蕎麦屋。
お祝いにかこつけ、蕎麦ちゅう2杯をひとり飲む。

3月5日
午前中テニス。
午後、読書、かたずけ、テレビなど。
千葉夷隅の 禿堂先生から電話あり、珍しい野鳥を見て撮ったものがある。メールで送るから名前を教えてということ 。
こういうのにはうろたえる。
かって会社野鳥の会の会員にはなっていたが、これは名ばかり。
もともと焼き鳥派の男だから、写真部にいたKさんと、いま四国巡礼中の竹さんのほうがベター、ベストと応答、あわせて近況を交換。

3月6日
須賀島の農園へ。
自転車荷台のバケツに苦土石灰と鶏糞を入れて運ぶ。
ジャガイモ予定地を耕す。
あーちゃんには除草などを頼む。
ヤーコンを植えたところを掘り返してみると土がやわらかで、細工しやすかった。
園芸店で種じゃが・キタアカリ2キロ購入。
宮代餃子がおいしい店で食事。
夕食時、 いいカイヒモが手にはいったので、これを酒と塩でゆがいて みりん、醤油、酢で味付け、 白髪ネギをどっさりのせる。
極上ツマミ一品となった。

3月7日
栃木・田沼の初午を見物しに東武線ででかける。
 ちいさな駅から一分ほどの神社を中心に四方の大通りに露天商がずらりと居並ぶ。
その後ろ側で地元商店街の売り出し。
植木露天商はずいぶん多かったが、ただ それだけの光景があって、これといっためだま行事はない。
 初午とは稲荷の祭日だそうだが鳴り物入りなどのイベントもあるのではと、期待したほうがどうもまちがっていたらしい。
植木市を冷やかし、いくつかの買い物をして帰る。
 「ここだけなんだよね ほんとの手作りは」と言われている菊本屋というしんこ饅頭を土産とする。
 近くに学校があったが、初午の土日にはここが車で満杯となって、ものすごい人であふれるという話だった。

夜、映画「 傷だらけの山河」を見る。
非道な実業家に扮する 山村聰が抜群によかった。
押しの強いタフな実業家の表情がよくでていた。
山村には正妻の他に3人の愛人がいて、子供がいた。
「妾は幸福でも、妾の子どもは幸福じゃない」とする彼らの苦悩ぶりがよく出ていた。
 事業には地方再開発と鉄道敷設にからむ欲望と利権争いがある。
山村のライバル役は東野英治郎がやっていたが、やはりこの人、黄門さんのほうがいい。
 高松英郎なんていう役者もいたが懐かしかった。
監督が山本薩夫でシナリオが新藤兼人。原作が石川達三だから映画に重厚感が残った。
 

3月8日
朝の散歩。
先週からカラスが木の枝を口にしている光景をみていたが、昨年雛をそだてた図書館そばの電柱てっぺんでまた巣作りをはじめたようだ。
本日は須賀島で市民農業大学 。
生徒さんの縄張りを設定してロープを地面に張る。
一人分の今度の用地は3メートル×12メートルの広さ。
スイカ苗は須賀校、キュウリは和戸校で分担することになった。
 昨年スタッフが作ったサツマ芋畑を使って、各人がじゃがいを植え付ける。株間には高度化成肥料を埋める。
午後 テニス。

安藤鶴夫さんの娘さんで作家の安藤はるこさんから「三木助歳時記」(上・下)河出文庫の新刊本が贈られてくる。
お礼状を出す。
ブログの「昭和家庭史」にも書いたが 昭和20年の東京大空襲で、
小石川で被災した安藤さんは埼玉・桶川に、私たち一家は土浦に都落ちした。
桶川から都新聞に勤めていた安藤さんが私の父あてに出された書簡がみつかり、私からはるこさんに連絡。
はるこさんが読んだあと、アンツルさんの遺品を保存してあるさいたま文学館に寄贈した。
その間、私とは電話や手紙など当時の消息をたしかめあうやりとりがあった。
それが今日の「三木助歳時記」本につながった。
いまの落語ブームを作った原点にアンツルさんはいる。
東京大空襲が結んだ平成までのひとつのつながりに感謝、感謝。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿