ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔2007 くらし雑感〕中秋の名月と酒

2007年09月27日 | 2007 くらし雑感
 夕方、老犬を連れて散歩。
稲田の向こうの東空に月が上った。
まんまるなお月様だ。本日は旧暦でいえば8月15日の十五夜にあたる。
新聞を見ると月齢13・6で完全満月ではないらしい。
でも、そんなことはどうでもいい。
ともかくきれいなお月様なので、早々にワン公との散歩を切り上げ、息子が作った庭先のたウッドデッキのテーブル前に座って月を見上げた。
 しばらく眺める。
 月に叢雲花に風という言葉があるが、じっと眺めていると叢雲の上端からぐんと突き出るように出る白いまぶしいような輝きの月は美しい。
むしろ叢雲があってこその美、雲は邪魔をしてない点景だ。
 花札で「月見で一杯」というのは8月の月の絵札と菊の盃の絵を重ねたときにできる「役」であることを孫に説明したことを思い出し、ビールとエダマメを並べてあーちゃんを呼ぶ。
わが人生、 ガヤガヤと飲んだ花見の酒は幾度もあったが、月見の盃はいままであったろうか。
 50年前、土浦の田宿町にいた少年の折、隣家の恐いオジサンが月見の時に見事な築山を前にした濡縁で、ススキと団子を前にし団扇をバタバタさせながら月を愛でていたことをふと思い出した。
そこに酒があったかどうかは思い出せない。

 秋の月の見事さは、古代から貴賤に変わりなく皆から愛でられた豊饒のシンボルだったのだろう。
昔を思い出したりしていると酒が一層すすむ。
 庭には巣抱く虫の音が広がっている。
 ゆっくりと月を愛でる時間がいままでの人生にあったろうか。
あーちゃんが隣の円椅子に座ったので、この点を聞いてみると
「ない」
「三十代で、この時間に月を愛でたらすこし気味が悪いんじゃない」
 同感。
 月見に無心になれるのは、やはり幼児とリタイアOBの時間か。
 働いている甥っ子たちのあれこれを考えれば、S商事にあって外国の月を頭上に暮らしているシマ、SEとして新幹線で西に東に飛び回っているヒデちゃん、生活用品店舗の要職にあって週に2回は出張するk君となる。
 いずれもが三十代でいわば「朱雀」の年代だ。
 中国の四霊獣で大相撲の土俵上の房にも用いられる四神旗の朱雀だ。
赤い雀の甥っ子たちは、 家族を養うに多忙であちこち走りまわらねばならない年代なのだ。
ジッタン、アーチャンの年齢になれば、「朱雀」から次の「白虎」となる。
土俵でいえば白房で、 白房の白狐はいまや群れず、過去の収穫の実を黙って味わう年代だ。
 時に世に吼えることもあるが、この虎はだんだん猫に似てくる。
 いつのまにかビールも3本空けた。
 東の月は雲間にあったが、雲端を出て中天に向かって輝きだした。
 ガラス戸を開けて中に入ると福田内閣誕生のニュースが伝わっている。
 一枚の戸を隔てればこれだけ世界が違う。
 外にあって古今変わらぬ名月と、内に大きな政治の転換点を迎えたわけだ。
ともあれ、秋の月と酒はいい。

 「白玉の 歯にしみとほる秋の夜の 酒は静かに飲むべかりけり」                                         牧水


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