ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔2007 年歳〕 10月5日~10月13日

2007年10月25日 | 2007 くらし雑感
10月5日
 2人で自転車に乗って幸手権現堂の彼岸花を見に行く。(写真)
ここ権現堂堤は、春には桜と菜の花の名所となり、雨の時期は紫陽花、そして秋の彼岸花と順に季節を移してゆく。
 我が家からは乗って40分ほどの距離で少し汗を掻く。

板橋のS君が実家の大平下から戻る途中に電話があったので急遽碁敵のSさんと3人で会食。
 青森へ新婚で赴任した娘さんが1月に出産するとのこと。
一人暮らしのSはマンションをリフォームして娘さんを迎えるそうだ。
近況を交換。

10月6日
 晴れ。
 孫のコウちゃんの幼稚園運動会を見に行く。
天気もよく末孫娘のカナちゃんを膝に抱いて応援。
 先の町議選でトップ当選したS議員の挨拶は園児にも通じる言葉を選び人柄が出て感じの良い挨拶だった。
昼来た新町長は、二言くらいの挨拶を済ますと、すぐそそくさと帰ってしまった。
義理チョン挨拶なら来ることはない。
 園児のクラス対抗リレーは上位4人までが選抜されるらしいがコウちゃんは5番目で補欠。
「僕はオタスケマンだから」とお母さんに言っていたそうだが、走るのを見ていると息子の時よりは、ずっと早い感じだ。
 ビニール茣蓙を広げて嫁さんのご両親と一緒におにぎりを食べる。

このところ新聞もテレビも時津風部屋の序の口力士の急死問題をおおきく取り上げている。
「かわいがり」という名目で金属バットを使った暴力制裁、親方自身がビール瓶で殴ったリンチ事件だ。
3ヶ月間部屋の問題で済ませていた協会の責任も大きい。
朝青龍問題もしかりで、迷走を続ける角界と旧態依然の協会の体質が問われている感じだ。
 編集手帳には栃若時代とくらべて「協会の信用はいま、足が徳俵にかかっている。踵に目を、耳に呼吸音を、忘れてもらっては困る。」と結んであった。
同感。

10月7日
 某新聞主催の全国将棋大会埼玉東部地区大会が春日部で開かれ参加して優勝。
 但しC級の部でのことだ。
 Cといっても地区大会なので公民館初段から弱い二段の力はあるように感じられた。
スイス方式を採用して4-1が3人いたのだが運が幸いしての優勝となった。
 立派な賞状と大きな包みの副賞があったので、優勝盾と思って開けてみたらなんと地元業者のお煎餅の缶だった。
 しかし家では電話をアーチャンが、オオトロを用意して祝杯をしてくれた。
 昭和60年、町の大会で準優勝をした盾が机にある。
 17年前、羽生さんが19歳で竜王になった時、社で十面指しのイベントがあり出場したら、竜王は2枚落ちで緩めてくれた。
それ以来の輝く記念碑を作れたたわけだから、これからも将棋には真面目に遊んで精進し、次回は地区大会B級で闘えるようにしよう。
 ガンバルゾ

10月8日
雨模様。
 毎年楽しみにしていたよみうりランドでの労組招待のイベントには行けなくなった。 それでは娘息子と3家族で会食をということになり、河童寿司へ。
午後は曇りとなったので、孫たちにザリガニ釣りをせがまれ、かねてからお目当ての水路に案内した。
ところが大物ザリガニ達は水が流れる石の下にもぐって鋏だけを見せていた。
初夏の活発な動きはもうない。
大好きなはずのスルメで誘ってものってこない。
 秋から冬への移ろいをかれらも感じているらしい。
家に戻る。 カナのおままごとに付き合っていると、「ジッタン、ビールでちゅ」と小さな黄色のグラスらしいのをお盆に載せて持って来た。
 さすが、我が孫だ。
よくわきまえている。

10月9日
、ADSLから光に替える作業などがあるためパソコン周りを掃除して床にワックスなどもかけて準備をする。
 夕方、SOHO・NPOで知り合った「たんぽぽ」のT若社長が来訪、フレッツ代理店もしているので光回線切り替えの設置を依頼してあった。  
無線LANで結んでいる上下階のパソコンの入れ替えも併せてセットしてくれた。
 このT若社長はヤマダ電機の立ち上げの時から同社に勤めPCを担当、この業種は学生時代から好きな世界だったとのことで、手慣れた様子だった。
夜、あーちゃんと地元名主が残した古文書テキストの解読予習をする。
 彼女は書道でかな文字を習っているから変体仮名には強い。
 小生は直感を働かせて読もうとするが読める漢字はそういくつもない。
 「ああでもない」「こうでもない」などと二人でやっていると、それぞれ頭のテッペン部分が熱くなってくるから不思議だ。
 でも、なんとなく今後の展開が面白そうな予感が生まれる。

10月10日
 午前中テニスクラブで練習やゲームなど。
 娘がやってきたので3人で近くの中華店で食事。
スポーツの後で、のどが渇いているから生ビールを注文するとお通しとのお新香が山のように出てくる。だからこの店はいい。
その後、2人で買い物に廻るというので留守番兼昼寝。
 光にかえたので、アマゾンや写真注文などネットを使ったID、パスワード、メールアドレスの変更などの登録作業をする。
事前にチェックしていたので簡単に終わってホッとする。
 T-COMとのADSL契約を解除したが使ったモデムなどは使用者負担で所定の場所に送ってくれとのこと。こういう場合は料金を払って使ったユーザ負担ではなく着信払いが筋ではと思うのだが、どんなもんか。
 新聞の「中国一の富豪は26歳女性 不動産開発、資産1兆9000億円」の記事にビックリ。
私の着信払いなどの話とは桁が違う。
社会主義国の中国でどうしてこういう大富豪が誕生するのか、そのカラクリがよくわからない。

10月11日
先日の将棋賞状を額に入れる。
励みに眺め、次を目指そう。
 埼玉版トップに町のスター誕生を予感させる記事が出た。

 リング舞う杉戸の牛若丸 連続KO新記録・日本王者に挑む  
◆16戦15KO   「牛若丸あきべぇ」というプロボクサーをご存じだろうか。杉戸町出身、東京の名門・協栄ジムで練習に励む渡部信宣(あきのり)さんのリングネームだ。世界王者・浜田剛史さんが22年前に作った日本記録と肩を並べる15連続KO勝利を達成したハードパンチャーである。12月6日、後楽園ホールでの次戦は、初挑戦となる日本ウエルター級(66・6キロ以下)タイトルマッチ。売り出し中の22歳は、チャンピオンベルトと新記録の二兎(にと)を追う。(込山駿)  2004年2月のデビューから、土つかずの16連勝。2戦目以来、すべて相手をKOしてきた。  圧巻は、9月17日、後楽園ホールでの前戦だ。多くの日本人ホープを沈めてきたウズベキスタンのベテラン世界ランカーを相手に「技術じゃかなわない。パワーとハートで勝負」。相打ち覚悟のケンカボクシングで押しまくり、両者流血の消耗戦に持ち込んだ。  8ラウンド、ボディーへ拳を突き刺すと、根負けしたように相手がうずくまった。ダウンを奪った後も、よろめく相手に連打を浴びせ続け、レフェリーに試合を止めさせてTKO勝利。  「雑な試合で反省もある。でも、戦っている最中、リング上で自分が強くなっていることを実感した。オレが日本一の倒し屋だと証明できた」  ボクシングを始めたのは杉戸町立広島中3年のころ。強豪・花咲徳栄高へ進み、3年生時に高校総体で準優勝したが、「プロから誘われるほどの選手じゃなかった」。実家を飛び出し、あてもなくいくつものジムを訪ね歩いて入門先を協栄に決めた。素質が花開いたのはプロ入り後。華やかな戦績とは裏腹に「雑草タイプ」を自任する。  今年5月までの1年間、ボクシング界きっての知名度を誇る亀田家に弟子入りし、修行を積んだ。父親・史郎トレーナーの指導の下、前世界チャンピオンの長男・興毅選手(20)、11日に世界初挑戦を控える二男・大毅選手(18)とともに、朝から晩まで練習した。  「亀田家は生活のほとんどすべてをリングにささげている。彼らと間近に接した1年間で、ボクシングに一番大切な戦う気持ちを教わった」。奇抜なリングネームも、史郎トレーナーが命名した。  KO新記録と日本ウエルター級の初タイトルをかけて戦う次戦の相手は、3階級制覇のチャンピオン・湯場忠志選手(都城レオスポーツジム)。強敵だが、記録保持者になった今、気後れはない。「いつの日か、スターになって、地元の埼玉に世界のベルトを持って帰るのがオレの夢。湯場戦ではつまずけない」  1年ほど前、郷里の杉戸町には、町議ら80人で後援会が発足し、試合ごとに応援に駆けつける。少しずつ知名度も上がり、スター候補らしくなってきた。  牛若丸あきべぇ――。そろそろ、名前を覚えておいてほしい。    〈亀田家〉  亀田史郎トレーナーと息子3人によるボクシング一家。プロ所属ジムは協栄(三男はアマチュア)だが、活動拠点は東京・新宿区の同ジムに置かず、トレーナーの指導の下、息子たちは葛飾区の自宅兼練習場でボクシング漬けの生活を送る。家族以外で“弟子入り”を経験したボクサーは、牛若丸あきべぇだけ。
この牛若丸さんのご母堂はあーちゃんの木彫り仲間とのこと。
 聞けば、やんちゃな三男坊主だったらしい。
中学だったか高校だったか、学校の窓から飛び降りて周りを驚かせた武勇伝がいくつもあり、ボクサーになってからは心配なのでお母さんは保険証を持って試合会場に応援に行ったことなどは以前に聞いた話だ。
 テニス仲間の空手館長からも小学~中学まで道場に通っていたことなども聞いたことがある。
 ともあれ地元に生まれた期待の星だ。
 記事中の広島中学校は娘も息子も卒業しているので親しみも持てる。応援しよう。
菜園に出る。
 5寸ニンジンの播種。ほうれん草の準備。土中に石灰窒素と鶏糞などを鋤きこむ。
 少し昼寝、メールアドレス変更をグループに分けてそれぞれ通知をする。
 ヨガ帰りのあーちゃんを迎えるため、近くの中華飯店で時間をつなぐ。
 WBCフライ級タイトルマッチのリング前が中継されていた。
内藤に挑戦する18歳の亀田大毅が「おい内藤、お前は負けたら腹が切れるか」などの挑発的な様子で試合を煽る様子を一緒に見ていた中華店の親父さんは「この親父から女房は逃げ出した。母親がいねえからろくな子どもに育てってねえ。内藤が勝つよ」と言っていた。
家に帰って試合を見ていたらなんと亀田は内藤を持ち上げて投げ飛ばした。
「オイオイ、レスリングじゃねえぞ」と呆れたが会場からもブーイングが飛んでいた。
世界選手権も落ちたものだ。

10月12日
 越谷の久伊豆神社での面白い写真展を見た。
 広重の「名所江戸百景」の絵景色と同一場所と思われるところをデジカメで撮影したもの。
 お江戸日本橋からはじまって本町、小伝馬町、人形町、上野不忍池や湯島天神、佃島などの広重の絵と今の地点の写真が対照して展示され、あわせて自宅土蔵でみつけたという関東大震災以前の大正の「江戸百景」写真も掲げられた。
この3つを比較した解説文もとてもわかりやすかった。
 それにしても広重の「名所江戸百景」の意匠、遠近法の上手さに驚いた。大きな図版でもう一度見てみたい。

10月13日
 須賀島・市民農業大学の圃場で実習作業。
 今日は消毒。
 温暖化で各種苗に寄宿する虫が非常に多いため少し薬を使うことになる。
 たしかに今年は夜盗虫、青虫が異常に多いことは我が菜園でも証明された。
 また農学校近くの畑では、かなり農薬を使っていてここの圃場がピュアなために虫に言い寄られる結果になったということもわかるが、だからといって強い農薬に依存することがいいことなのか?。
 現在は先生不在でS理事長の判断が優先されの指示となっているが少し疑問だ。
 午後から生涯学習センターホールで恒例の第五回杉戸昌平寄席があり農園四天王(Nは仕事で今回は欠席)で見る。
 これは地元の高校を卒業した三遊亭春馬師匠を中心に若手落語家が演じる木戸銭ただのホール寄席。
今日の会場は八分の入り。
 27歳の前座、小笑は短く手軽な「桃太郎」を選んだ。昔話のモモタロウの解説を子どもが親に語って聞かせているうちに父親のほうが寝てしまい子どもが、「今どきの親は罪がないわ」で落ちをとる噺。
二つ目の蓄蓄亭桃之助は「たらちね」。「自らことの姓名は、父は元京都の産にして、姓は安藤、名は慶三・・・」と自己紹介する新妻がハチ公のところで新所帯をもつ噺。
春馬さんは上方ばなしのほうで知られる「お玉牛」を披露。真っ暗な部屋に夜這いにいくとそこには牛が寝ていてという噺でバレネタすれすれのところで笑いをとっていた。
 寄席がはねて、4号線沿いの「侍」という居酒屋で飲む。
落語と農がツマミになり「軽く」飲むはずが「重く」になって散会。



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