ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔09 暮らし雑感〕 「坂の上の雲」放映前の雑感

2009年11月28日 | 2009 暮らし雑感
 「坂の上の雲」放映前の雑感

司馬さんの「坂の上の雲」が、もう間もなく始まる。
11月1日、NHK 3チャンネルで「ETV50もう一度見たい教育テレビ~教養番組アンコール」というのがあった。
そこで、司馬さんの「昭和への道 第一回 何が魔法をかけたのか」が放映された。
これは、23年前、1986年の5月に放映されたものだという。
ご自身の戦争体験を交えて、敗戦まで国民を引きずってしまった日本の魔法とは一体なんであったのかを語ったもので、きわめて興味深く聞いた。

いま本屋では「坂の上」大型本が飛ぶように売られ、NHKでもその前宣伝に力を入れてきた。
それで、期待のフィバー現象が起きているともいえる。
しかし、当の司馬さんは一貫して「坂の上の雲」に対する数々の映像化提案を拒み続きてたと聞いたし、それはまぎれもない事実だ。(注)
司馬さんがこだわり続けて拒否したものを、NHKも逆にこだわって映像化した。
 「坂の上」は執筆準備に5年、新聞連載に5年かかったと聞いている。
NHKは今後3年にわたって放映するそうだが、司馬さんの懸念して怖れていたものへ解答を持って描くことができるだろうか。

まあ、それはそれとして、23年前の熱っぽい司馬トークは面白かった。 そのトークメモ録を自分のブログに残しておきたい。

● 夏の日を佐野で迎えた遼太郎
司馬さんは大正12年生まれ。昭和18年学徒動員で駆りだされ、敗戦の8月15日は栃木・佐野の小学校で迎えている。
当時、22歳の戦車隊員でもあった。(注)
玉音放送を聞きながら、滂沱としての流れる涙は司馬さんにはない。
「この国は、なにをしていた国か。なんてくだらないことをしていた国に生まれたんだろう。
数日間、痛苦な怒りがそこにあった。
以後、昭和初期から敗戦までの日本を魔法の森に変えてしまったものはなんであったのかを40年の歳月、考え続ける。
もっとまともな時代があったのではないのかとも。

● 戦争になりますな 父らの話に身が震え
昭和12年、私立上宮中学2年生だった司馬さんはなどの新聞を見ていた父と客が 「これは、戦争になりますな」の会話に慄然とする。
「日支両軍交戦」の記事がそこにあった。
盧溝橋事件勃発。
少年の身の震えの戦慄は、鋭敏な感覚内部に沈んだ。
時局は、上海事変から中国大陸全土へと戦線は拡大し泥沼化していく。
司馬さんはきらいな学校に通いつつ、御蔵跡町の図書館にこもってそこを自分の学びの場とした。
その頃、人間の存在として中国人と朝鮮人を強く意識していたとも。 少年期に父親に歯向かうambivalence(アンビバレンス)と似たような感情であったとも。

● ノモンハン 愛国者などいるもんか
昭和14年のノモンハン事件。
全軍の73%にあたる死傷者が出た。1万1000人。
日ソ初の軍事衝突だった。
この戦争を指揮し遂行した側の日本にひとりでも愛国者などいたのだろうか。
戦闘現場では将軍など上の命令がなくても30%の戦死者がでたなら現場の指揮官の責任で却命令を出す。
それが世界に共通したる軍のありようのはずだが、75%でも死して止まずとした関東軍・・・。
銀髪、温厚なその人からでるこの時のことばは、実に烈しい。
なぜ世界の常識が通用せぬか。
その歴史解明は、その魔法の謎ときは、マルクスレーニズムの手法による一刀両断では解明できないと語る。
手作りの魔法の謎ときのカギは、このノモンハン事件にあったとも。
だが、司馬さんも以後、学徒出陣となって関東軍連隊の一部として戦車隊の中にいた。

● 陛下とは呼ばずにお上というその意識
参謀本部は天皇陛下を陛下と呼ばず「お上」ということばを使っていた。
参謀本部のスタッフ、幕領たちはお上としての天皇の統帥権を絶対視し規範として利用した。
軍事統帥上、満州での侵略はすべてにまさって認められた。
昭和史を紐解けば、出先満州での関東軍の蹂躙があり、参謀本部の戦争追認、国会の承認という形が続く。

★ 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
● 統帥権 魔法呪文が国を変え

★そのものが大日本憲法11条の条文そのものなのだ。

第十一條  天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第十二條  天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム

第五十五條
1. 國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
2. 凡テ法律勅令其ノ他國務ニ關ル詔勅ハ國務大臣ノ副署ヲ要ス

憲法では、天皇の国事行為は関係する国務大臣の補弼を受ける事になっていた。
だが、昭和史の歴史的事実は政治家の輔弼が否定され、天皇直下の参謀本部が統帥権をまるごと行使した。
統帥権という魔法の呪文だ。
呪文には近代性や合理性など微塵もない。
狂的な尊皇攘夷論にも似たくすんだ灰色の論理だけが貫徹している。

昭和20年の敗戦の夏からGHQが日本を占領した。
アフガン、イラクの現実をひくまでもなく占領支配への根強い抵抗が生まれるものだが、日本では占領軍は解放軍と歓迎した事実もあった。
この時、20年近い魔法の呪縛が解けたわけだ。

● 坂上に 戻って雲は仰げるか
平成21年。
デフレ、格差社会という時代の閉塞感に包まれている状況から、一挙に明治の坂の上まで戻ってあの青空を仰ぎたい。
昭和の軍部独走より、もっとましな時代があったのではないか。
明治の青春群像が見上げた雲には日露戦争という重い雲もあったろう。
大河ドラマは、その雲をどうとらえ、どう表現できるか。
だからこそ、司馬はその映像化を厳封したと考える。
そのスタッフ陣営の力量に期待しつつ、今後のドラマ展開を刮目して待ちたい。

ノモンハンなど調べたけれど筆にはしなかった司馬さんに対して、
 14歳上の清張さんは「昭和史発掘」シリーズの名著を残された。
「統帥権」の呪文はこの発掘で解明されていたという読後の記憶がいまだに残っている。

平成も20年ともなれば昭和はどんどん遠ざかる。
まして昭和初期から終戦までの期間を実感を持って語れる人は身近にも、ますます少なくなっている。
来たる年は「坂の上の雲」に登場した人たちの史資料や背景を、自分なりに手探ってみながら、このテレビドラマに接して行きたい。  

城山の浮み上がるや青嵐  子規




■■ ジッタン・メモ







注 (2009/11/06 10:22) 神戸新聞NEWS
NHKが11~12月に放映するドラマ「坂の上の雲」をめぐり、市民団体や近代史専門家らが、原作者の故司馬遼太郎さんが「ミリタリズム(軍国主義)を鼓吹(こすい)しているように誤解される」と映像化を拒み続けていたことを挙げ「9条改悪の世論作りになる」などと批判している。県内では問題点を考えるシンポジウムも開かれるが、NHKは「誤解を恐れた司馬さんの思いを生かして制作している」と説明する。(森本尚樹)  「坂の上の雲」は司馬さんの代表作の一つで、日露戦争の海軍参謀・秋山真之、その兄で陸軍軍人の好古(よしふる)、俳人正岡子規らの奮闘や苦悩を軸に、近代化に突き進んだ明治を描く。ドラマは本木雅弘さん主演でNHKが制作し、11月29日から第1部5回が放映される。
 だが、司馬さんは生前、映画・ドラマ化の申し入れを一貫して拒否し、NHKの番組で「なるべく映画とかテレビとか、そういう視覚的なものに翻訳されたくない作品でもあります。うかつに翻訳すると、誤解されたりする恐れがありますからね」と述べている。  「NHK問題を考える会」(兵庫)事務局の西川幸さんは「自衛隊の海外派兵恒久化や憲法改悪の論議がくすぶる中での放映で、視聴者として問題点を考えたい」としている。  中塚明・奈良女子大学名誉教授(日本近代史)も「原作は日本の朝鮮支配と直結していた日清、日露戦争の真実に触れていない。韓国併合100年を翌年に控えた時期に公共放送での放映は理解できない」と指摘する。  NHK広報局は「司馬遼太郎記念財団から故人の遺志も理解した上で映像化の許可をいただいた。6年前にドラマ化を決定・発表しており、昨今の(政治的な)動きと連動するものではない」と説明する。  NHK問題を考える会は県内の平和団体や労働組合などの協賛も得て、11月8日午後1時半から、神戸市中央区の県私学会館でシンポジウム「なぜ、いま『坂の上の雲』かを考える」を開く。資料代1000円。同会TEL078・351・0194

http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0002497102.shtml


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