ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔読後の独語〕 【江戸が大好きになる古文書】油井 宏子 柏書房 

2007年11月08日 | 2007 読後の独語
【江戸が大好きになる古文書】油井 宏子 柏書房 

「江戸が大好きになる古文書」は白木屋で働く人々のさまざまな様子を紹介している。
今なら就業規則に当たる奉公人への規則集「永録」というものが残っていてこれを解読して古文書テキスト代わりとしたのがこの本だ。
 私は古文書などにはまったく縁の無い日々を送っていたが、最近地元の名主文書を読む会というのがあって末席に座っていて、多少なりともその世界をのぞこうということでこの本を読んだ。
 「あ」という字は阿弥陀さまの「阿」をくずしたものだそうだ。
 「え」というのを漢字の「江」の字を小さくして使っている。
「越」を「を」と読む。
 くずし字は、何の文字かわからないのが多い。
いったいこの偏は言偏なのか木偏か、どっちなんだ。
1行読むのに、てこずってなかなかすすまないが、だんだんと読んできてお江戸日本橋の白木屋内部の様子がわかってきた。
酒について書かれていた。

禁酒 内外共 大酒たべ候事無用ニ候 
酒呑候儀ハ 御店定法ニモ有此候通、三拾歳過不内ハ法度之事ニ候

文中の「たべ」は「食べ」だが、この字も「多」の下に「べ」と続けている。
 ともかく、30歳にならないと酒が飲めないのだからキビシイ。
白木屋に勤めなくてよかった。
でも、どの道にも裏道はある。
法度という禁止条項があるのは破るケースも多かったから一文としたのだという風にも読めた。

正月之内ハ、碁、将棋、謡、御免有此候得共、又是ヨリハ定法ノ通リ年寄衆カラ小頭拾人ノ外ハ決而可為無用

リタイアの毎日、私など1日1回は碁・将棋のテレビを見ている。
一方は正月だけなのだからさしづめ天国ということになる。
文中の「年寄衆カラ小頭」という上役についての説明があった。
 江戸の商家では番頭、手代、丁稚などの序列をよく聞くが白木屋の場合は大番頭にあたるのが3人の支配役でその下に5人の年寄役がいる。
小頭役は10名で小頭役の下に平手代という買役(仕入れ)、売役(販売)、表売場、外出勤役、屋敷番役という営業部隊が置かれている。 屋敷番は地方部にあたるらしく水戸方、銚子方、上州方、甲州方、相州方というふうに別れている。
 白木屋の本店は京都にあったためかこの日本橋店では近江長浜出身の11~12歳の子どもを雇い入れ、使い走りや雑役をさせながら、商人としての「いろは」を徹底的に叩き込む。その道を教えるためには御詠歌まで引いた。

 ~信心は 心1ツの丸木はし よそ見をしては あやうかりけり~

要は商いの仕事も丸木橋を渡っているようなものでよそ見をしないで真面目にヤレということか。
 ところが余所見をして丸木橋から転落した奉公人も多い。
奉公人の中村嘉助は黙って日本橋店から姿を消した。
 10日余をかけて故郷の近江に帰った。親元に8ヶ月厄介になるが、いつまでそうしていられるわけにもいかず京都に出て奉公口を捜す。江戸に下る定吉と一緒になって吉原の伊勢屋方に舞い戻り奉公先を紹介してもらったりするが、話がうまくかみ合わない。
 師走の24日に江戸通り四丁目に宿をとる。
 ここからは日本橋白木屋はもう眼と鼻の先の近さだ。
 路銀も乏しくなって奉公していた白木屋に盗みに入る。
 もともと勝手知ったる他人の我が家だ。
 間取りはすべて頭に入っているから、床下に隠れて皆が寝静まるのを待って28両を盗む。正月の8日には同じ手口で四百五十六両を懐中にする。
 嘉助がよそ見をして丸木橋から転んだわけは遊女だった。
懐の大金は馴染みを重ねた吉原の遊女に貢ぐためでもあった。
やがてこの悪事が露見したが、

 直ニ御店へ御召連ニ相成、一々御糾シ預、明白白状之趣左之通

ということで、捕まって白状した聞き取り顛末の古文書が残っていた次第だ。
 奉行所に差し出さず白木屋の身内で調べあげたところが面白い。
 店の体面を大事にしたのだろうが、こうした古文書をつっかえつっかえでも声に出して読んでみるとなんとなく生々しさがでてきて、下手な小説を読むよりずっとリアルな情感が生まれてくるから不思議だ。
 白木屋には「明鑑録」という内部事件の記録があるそうだ。
 天保10(1839)年から安政6(1859)年にかけて120件余りの犯罪取調べの記録だそうだが、読んでみたいものだ。

8年前の1999年1月31日、白木屋東急日本橋店は閉店。
336年の永い歴史に幕を閉じた。
 子どもの時に、近所の大人から白木屋火事の話をよく聞かされた。 昭和7年に7階建ての白木屋が燃え、4階以上が全焼。
14人が亡くなった火事だが、逃げ遅れた女子店員たちが帯や反物をロープ代わりにして、脱出を図った。
「だが、当時の女は下着をつけていないため着物の裾を気にして落ちたんだ」
「当時の女は、たとえ命に代えても、すその乱れを直そうとしたもんだ。白木屋の火事以後、女はみんなズロースを履くようになったんだ。」と、こんな話だった。
 336年の歴史から見れば、中村嘉助もこの火事も白木屋伝説のほんの一部だったかも知れない。
 古文書への接し方のコツは先ずじっとにらむ。音読をする。真似して書くの3点だそうだ。
著書の油井さんは全国の書店で古文書講座を開いているそうだが、機会があればぜひ謦咳に接したく候。
                     (2007年11月7日 記)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿