人はその時に意識した成りたい自分に未来はなる。
でも結局、元から持っていた
自分の性質に根本的なところは戻っていくような気がする。
ただ単に戻るのではなく、
それまでのいろいろな経験から得た肥やしも融合されているので
良くも悪くもなかなか味わい深いものになる。
自分が与えてきた肥やしによる芽が育ったものになっているのだろう。
特に多感な年頃は色々な人間関係や多くの経験から
沢山の感情や思考を活動させて自分の中に蓄積させたり
浄化させたりと影響させていく。
途中では全く本来の自分とは違ったものを表面に演出してしまい
自分自身も自分のことがよく分からなくなってしまうかもしれない。
成りたい自分が全く自分にマッチしていないのに
無理にそうあろうとするからだ。
でも、どんなに成りたい自分を目指しても
元からあった性質を消してしまうことはないのだと思う。
それが個々に表れていく味わいになる。
全ての人は、この世に生まれ持ってきた愛すべき性質を持っている。
沢山の感情や思考をした中で
自分がどうそれらを対処し、どう肥やしにしたかは個人個人違う。
自分の人生に責任があると言うのはそう言うことではないか。
言い訳無用。
こうありたいと言う自分でいられるよう
今から自分がどんな肥やしを与えていくかが大事で
それが未来の自分を作る。
愛すべき性質を
より知恵のあるもの
より愛すべきもの
より豊かな味わいを持たせていこう。
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