★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
日々、感じたことを通してみえること。

ややこしい話・・・かな?

2012-10-27 | 日記
先日、面白い逆説的な考え方をして自分で余計にこんがらがった。

わたしたちが一般的に善とされていること悪とされていること、それは果たして誰が定義したのか?
または育った家庭環境やまわりの社会から自然に教わって身についただけなのか・・・

善を前提に悪を行う人もいる。
それならその善を定義したこと自体悪になるのではないかとも思うのです。

例えば、何かを信じるあまりに他を排除しようとしてしまう部分さえ悪でもある気がする。

ずっと途絶えることなくある争いもそれぞれの善の上になりたっている部分もあるわけで・・・


そんなことを考えていたら
「過ぎる」ということが発端になるのではないかと思った。

どれも中間が、ほどほどが良いのでしょうか。


それぞれの中にある善を個で信じる力だけが行われていたら
争いも不満も無くすむのではないかな?


自分の中のぶれない善を信じることが出来ないと
誰かの善を言っている部分に頼りたくなる。

でも、果たしてそれが全て本当に善であるかはわからない。
いつの間にか善と見せかけた悪が行われているかもしれない。
それを判断するのは、やはり個の善にかかっているのでしょう。

その個の善を見えなくしてしまうのは怖れになるのですね。


どうして、そこまで怖れるのか?
怖れの為に自分の中の善さえ悪に塗り替えることもできるの?
判断力さえなくなる怖れって・・・とてつもない力があるのですね。

もしも、一人一人が自分の恐れとしっかり向かい合っていれたら
大きな集団としての恐れからくる悪が行われないのかな・・・


その善、悪でさえ果たして何かさえハッキリしないものかも?


それ自体、あくまで個人の判断なのかもしれないし
誰も裁く立場には無いのかもしれない。


案外、自分の信じるものをブレずに突き進むことって
この世界ではとても難しいことなのかもしれない。


コメント
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