★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
日々、感じたことを通してみえること。

ヒプノの続き・・・

2011-11-04 | 体験やイメージ
これは、今日の出来事でお世話になったシゲサンにも送った内容を抜粋します。



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多分、昨日の私の観たものはヴェネチアに関連してると思うのです。(思い込みすぎていたらバッサリ注意してください)

今日は早く仕事場へ行って早く帰ろうと思って普段より早く電車に乗りました。
混んでいる時間はイヤなので普段は乗らない時間にも関わらずすいていましたが・・・(今朝早起きしたのもありますけど)

電車の1つの広告になんだか妙にひきつけられ「行かなくちゃ・・・」とよばれているような気がしたのです。(私は良く女性が頻繁になんにでも使う「呼ばれている」とかの言葉は好きではありませんが、今日は特別に使います・・・)


迷いましたが開館と同時に入れそうなので美術館へ・・・(私は中世の西洋画は好きで良く美術館へ行きますが、このヴェネチア展が開催されていたのは知りませんでしたしヴェネチアはどちらかと興味はないので)
でも、突然行ってしまいました。

入って直ぐに展示されていたものはヴェネチアの都市を上から描いたものなのですが、「これ観た」と言うものでした。
前に夢の中でどこかのヨーロッパへ旅行に行っているらしく帰る日に何か心がザワッとしたものがあり、連れは飛行機に間に合わないと別の部屋へ支度をしに消えてしまいましたが、私はそのまま部屋のテラスのほうへ・・・
(この部屋はヨーロッパのとても高級そうな所で天井も高く赤っぽい壁にテラスは白い飾り木で囲まれた窓、シフォンの上質なカーテンが開いたガラスのドアから入る風でユラユラ優雅に揺れていました)
私はどんどんその窓に近づいていき、そのカーテンを開けてテラスへでると、目の前に広がる海の色が真っ赤に染まっています。(赤潮か何かだと思いますが、生臭い感覚)
沢山の魚が死んで海にプカプカ浮かんでいるのです。
その異様な光景の先に広がる海に、想像もつかないようなおびただしい数の船(ローマ時代とかに出てきそうな帆をはった大砲とかがのってるやつ)がこちらに向かっているのです。衝撃的な光景です。

ちょうど、そのとき連れがドアから「行くよー」とポーターが荷物をのせたカートをひいてのんきに覗きこんだのですが、私はやらなくてはならないことがあるから先に帰っていいと残ることに。


なんだか印象的な光景だったので憶えていたのですが
そんな景色のものがあって・・・

もう1つ入った瞬間に思ったのは、だから「水」かぁ~ということ。
ケイスケサンにカードをするために正面に座った瞬間に「水のイメージだ」とすぐに言われました。
それも、最初のカードは港に繋がる海から半分出たゼウス。
これも、美術館にあるヴェニスの町が描かれたところに同じように半身がでたゼウスがいるのですよ・・・


それから、昨日みた城(横長の大きな長方形で数階のたてもの)は宮殿ですね。
同じような形状の建物の絵でわかりました。


でも、私は芝生に覆われた宮殿を見ていたし木々の陰に隠れてみていたけど。
(ヴェニスは水ですね)

その宮殿での沢山の人々が怒鳴りあってもめている恐ろしい声を聞きたくないし見たくないから外から見ていたのですが、
この時代は宮殿に貴族達が集まって評議会と言うものをして国の方針など決めていたそうです。フランス軍に侵略される最後の評議会は100人以上が集まっていたそうです。

昨日、私はお姫様じゃないとは思ったのですがどんな立場か良く分からなかったのですが多分貴族ですね。


今朝も、そのときの私が死ぬとき思っていた重たい気持ちは「皆はこれで幸せだったのか?これが皆にとって正しい選択になったのか?」と答えや確信が持てない状態だったので、今自分に関しては優柔不断だったのかな・・・(最近は変わってきましたけど)と思ったり、もしも、これが本当に私に繋がっていることならそれは正しい選択だったのかな?なんてまた穿り返して考えていたり・・・(だって、みんなつつましく生きるためにそれぞれが自分の役割の仕事をしているだけの生活をする小さな村だったのですよ。でも、生きると言う意味ではイキイキとしていたようですが、戦い奪い返す道は選ばなかったのは皆にとって正しいことか?なんておもったり・・・)


それで、今思うとケイスケサンのカードにも「信じる」って出てたなぁ~・・・と。
また思い出して反省して・・・


全て正しい!!と思ったら少しスッキリしてきましたけど・・・


私にとって自分を信じ始める事を意識した数年前あたりから楽になったのは確かですし、
何だか深いですね~。



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こんなことがありました。



書き忘れましたが、ヴェネチアはマルコポーロの地でジパングを素晴らしい夢の国に書いたのです。

昨日、「平和」の部分でシゲサンが「だから戦争の無い国、平和な時代の平和な国を選んだんですね」と言ったのを思い出した。
そんな夢の国を選んだで生まれてきたのは自分なんだ・・・・


なんだか、どんどん話が繋がっていくのでびっくりします。(私が全部を思い込みで繋げようとしてる?分かりません!!)



もう1つ「これからやってみたいな」と言うことがあります。
前にも漠然と思いましたが、今回は確信のようなものを感じたのです。

ただ、どうやっていけるのか分かりませんが「流れに任せる」ようにしていけば自然とそうなるのだという気がします。



セッションが終わった後は、あんなに迷っていたのに何も感じません。

高いなんて思わないのが不思議ですが・・・・

またお願いするつもりです。

よく、女性達は占いなどにもお金を使ったりしますが(3万、5万も有り。)
そんなことより根本の部分を解決するために使うほうが有意義な気もしました。
が、直ぐに人から解決策や迷いを聞きたいものでしょうね。


私にとって、とても不思議な体験でした。


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ヒプノを受けてみて・・・

2011-11-04 | 体験やイメージ
昨日、茶久良ヒーリングサロンに急遽お世話になることに・・・
そこでヒプノヒーリングと言うものを体験。

勿論ヒプノは知ってはいましたがどちらかと言うと、その技法や誘導の話し方に興味があり私自身の過去生にはそんなに興味はありませんでした。

それに過去生を知ることに高額を払うことにはあまり興味はありません。
もちろん、その過去生での出来事が何かしらの影響を今の生にあたえているとするなら、それを知って改善したり今に活かしたりする意味で大切だとは思っていましたが
私にとっては過去にどうしたとかなんだったかなんて興味が無く「今」や「それで何?どう活かせるの?」と言った今から未来のほうが興味の対象なのです。
お姫様だろうが、路頭に迷っている人だろうが何でもOKなのです。


それなのに、行ってしまいました・・・・


それも良く分からないまま、何をしてもらいに行くかさえハッキリしていない状態にも関わらず「とりあえず、行きます!」と言う感じで・・・・


勿論、お会いして「申し訳ないのですが、まだ何のコースか決めていないのです・・・」と言うと
シゲサン(施術者さん)はにっこりして「とりあえず行く!って言っていたから分かっていますよ」と・・・良かった~


行ってからも私の中でまだブツブツ葛藤が・・・
「そんなに払っていいの?何やってるの?どうしよう、どうしよう・・・」
先日のケイスケサンのワークショップだってエイヤー!!!と言うかなりの思い切りだったのに
今度はお勉強と言うより自分のためだけに、自分を知るためだけに・・・・それにこんなに使っちゃうの?
そうとう迷いましたケド・・・

去年、初めてある人のワークショップと言うものに出て、お金を使ったのが人生で初のお勉強代でした。
そのときも、勇気がいりました。
そこにいらっしゃっていたのは皆さんプロなど、お勉強というか知識が豊富な方たちでその金額は当たり前のように湯水のように何個ものコースをとって高額な料金を次々払っていました。
私はといえば、プロでもないので高額に思えましたし仕事の関係もあり一気に詰め込んでも私がついていけないと思いつつ、でも2コースまで参加・・・


迷っていたのにシゲサンと話していくと「それで」とやることが決まり早速開始。
なぜそれにしたかという理由は、「私自身を知る」と言うことと私が素晴らしいと思っているケイシーさんの療法を取り入れたものだったから・・・(興味があった)
おととしくらいに私がとても人生が(自分が)わからなくなっているときに偶然本屋さんで出合った本がエドガー・ケイシーさんの本で「目からうろこ」だったのです。
彼自身にも共感できる部分があったし、その言っていることなど人間の意識やもっと深いところにあるワンネスの部分との繋がりなど・・・
でも、ケイシー療法をやっている人にであったり彼のことを聞くのは初めてでした。(もちろん有名ですけど)
だから、即「それ」。




話が飛んでしまいましたが、結果からお話しすると良かったのだと思います。


始めは本当に私が観ているものなのか、ただ聞かれるから何かを答えたほうがいいので作り話をしている思い込み系なのか分かりません。
これは、今でも分かりません。(証明しろと言われたら出来ないから。でも、不思議なんです)

いつも言っているように私は何でも結びつけたり何でもシンクロだ~とか言ったり過剰な思い込みはイヤなのです。
疑い深いのですね・・・・
まぁ、でも私個人の考え方なので仕方ないです。


そんな感じのセッションです。



私の体験を書きますね。

大きな芝生の庭が広がる先に大きな大きな横長の長方形で窓が沢山ある(数階建て)建物を離れたところにある木々に隠れて見ています。

中で行われている大勢の人たちの罵声や怒鳴り声が怖いし見たくないのです。

私ははだしで、下を見ると生成り色(絹)のドレスを着ているようです。(少し汚れています)
胸元は分からないけれれど胴でギュッと締め付けているタイプのドレスです。

森に逃げています。
私について大勢の人たちも来ています。
私はどこへ行けばいいかどうすればいいかわかりません。
私はまだ若いのです。
でも、私がどこへいくのか決めている様子・・・

(ここは申し訳なくて言葉に出せませんでした。でも、後からお話しましたが・・・)
ここで、一人の女の子が私の換わりとして戻るようです。この女の子は私の世話をずっとしていた子です。
私が戻ると言うのに、私が戻ったら皆はどうするのか?と言って彼女自ら犠牲になっていく道を選びます。
私は申し訳ない気持ちで胸が張り裂けそうでしたが仕方ないのです。


私はみんなの生きる希望のようです。(多分自分の国のアイデンティティーを私に投影しているような・・・)
私がいることでみんなが唯一希望を失わずに恐怖と戦えているようです。


ある場所に小さな村をつくりました。
ただ、それぞれが生活のための役割を果たしているような
質素な村です。
何も揉め事もなく、ただそれぞれの役割をこなし仲良く生活しています。


私は弱って木でできたベットに横たわっています。
でも、中年くらいでそんなに年老いてはいません。
質素な小屋のような木でできた小さな家です。
近くに、私の面倒をずっと子供のときから見ていた年老いた男性が私を哀れむように見ています。

私は、いつも「これでよかったのか?みんなは幸せだったのか?」ずっとそればかり考えています。
でも、そんな答えは分かりません。
誰も教えれくれる人はいない中、若い私は常に選択をしていかなくてはならなかったのです。
だから、ずっと「これで良かったのか?」と、その答えを探して死んでいきました。



どうやら、ココでは「人間」と言うものについて学んだそうです。

「平和」も望んでいるよう。



私の奥深くでのことは(何を観たり経験しているかはあえて控えます。それぞれ思い込みをしてイメージを強く持たないように)・・・
これはクシャミしたりのどが詰まって咳がでそうになったり、チョットした途中休憩のハプニングもあり・・・


私にとっての課題は「信じる」と言うものにありそうです。
・・・・確かに今まで沢山試されてきたと改めて思いました。

そして「奉仕・支える」ということが大事らしい。
・・・・これはそんなイメージを取ったとき「もう散々したからイヤだ~!!」と反発したほどです。もう人の為に何かするのは止めようと決めていたくらい。

そして「流れにのる」
・・・・抵抗せずに流れに身を任せて行こうと今年は特に思っていた私自身の課題でした。


どうやら、私にはこと細かくは言ってくれないようで(もう言った、とか知ってるというような感じ)私はもっと自分を信じていけばいいのだと思いました。
この信じるって意味は「人」を、と言うこともありますが私にとっては「私自身」をということが大きなことだと思います。


未来の私は何かを教えているようです。
とっても真剣に・・・それもおこがましくて言えないような事を人々に教えています。(シゲサンに言うのでさえ恥ずかしかった・・・)
思わず、「なんて事を人様を前に言うの?」と恥ずかしくなりました。

私には「勉強しろ」と偉そうに言っています。



何だか、終わってからも私自身が作って適当に言っているのかなんだか良く確信が持てません。
意識はしっかりあるのですから・・・


でも、検証していくと全てつじつまが合うのです。
これ、全て私が言ったこと・・・



少しお話をしていると、何故かフッと涙が出そうになったので(何故か分かりません)恥ずかしいのでソソくさと帰ることに。

外に出たときも勿論意識はしっかりあるし、セッションを終えたばかりの時のようには頭もボーとしておらず大丈夫なはずなのに
駅までの道が分からなくなり駅とは逆方向に・・・しばらくして駅に着かないのでおかしいと思いましたが。(普段、一度通った道は間違えない方です)


電車にのると体が(上半身)100回スクワットした足元のように(次の日の筋肉痛ではなく直後の小刻みに震える感覚)小刻みに振動しています。


電車を乗り換えるために新宿駅に降りると
また、自分がどの位置に立っているのか、どっちにいっていいのか、全く思考できません。
まるで、脳みそにアルコールをかけてそこだけ酔っ払っているような感覚。
私はしっかりそこで意識しているのに、もっと頭の中が思考できないのですね・・・

電車の中でもボーとはしても意識はしっかりあるわけで、かといって本を読む気力はないので教わったことを復習していました。
立ったままいつの間にか意識が飛んでいました。(寝ているわけではないです)

地元について歩いているときも交差点で待っている間にも、フッと意識が飛びそうになって驚きました。


家まで送り届けてくれる人がいたほうが安全ですね。



こんな不思議な体験でした。


さてさて、これは昨日の体験で今日の件は次に引き続き・・・・・!







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