最近こうした本を読んでいます。「こんなに面白い」と書いていますが、そんなには面白くありません。
著者は油井宏子さんです。「あぶらい」と読みます。油井さんは以前にNHKの放送で古文書講座古の講師をしていたようです。その時の放送内容を本にしたのが、私が読んでいるこの本でした。
油井さんの放送がDVDで発売になっていることを知り、DVD5巻を購入しました。購入に当たってお世話して下さった方には深く感謝致します。
私は古文書を読むにあたって、じっとにらむはある程度やっていました。音読するも古文書に関係する学習会2~3に参加しているので人前で読むことも多くありました。しかし決定的に足りなかったことは「書く」ことでした。古文書を習い始めての2年間は習ったことを忘れてはいけないとノートに書き続けました。市の古文書の仕事が中止になったので私は師匠に教わる場が無くなり、その後はノートに書くこともなくなりました。
油井さんの放送のDVDを見て多くのことを学びました。
第1巻の内容は、江戸時代の寺子屋規則(浅田家文書)が書いてある古文書を読むことでした。
この文書は、江戸時代の子どもたちが文字を習うときの約束ごと(規則)が書いてあります。
私も江戸時代の古文書(草書文字)を学ぶためには、江戸時代の子どもたちと同じように寺子屋に入門すればよいのです。そうしたら当時の文書を読み書き出来るようになるはずです。
ここでの(寺子屋)での約束ごと(規則)を見ると、当時の寺子屋では今の小学校のように机が全部教師の方を向いて教師中心の一斉指導が行われてはいませんでした。
年令の異なる子どもたちが一つの部屋(お寺の)集まっているのですから、その子に合った手本が与えられ、その子は一人でその手本を書き写し、写し終えたら師匠の所に持って行って個別の指導を受けていました。今でいうなら僻地の複式学級での個別指導や、都会での能力差別学習(加えて、コース選択学習)のような学習が行われていました。それは私自身が古文書を初めて学んだ時と全く同じでした。
上が江戸時代の文書で今の「楷書」や「行書」とは、違う「草書」という書体です。毎日の次の3・4字目は「早朝」です。「早」はこう書くと覚えるしかありません。じっと見て覚えるよりも書いて覚える(寺子屋の学習のように)方が確かに忘れないと思います。
私もそうすることにし、習字用紙(半紙)を綴じ、毛筆用のノートを作りました。
5・6字目は「より」です。 「よ」はひらかなの「よ」で、「り」は漢字の「里」が書いてあります。
江戸時代の文書にはこうした「万葉仮名」や様々の「当て字」が多用されています。まるで「当て字」で書くことを楽しんでいるようです。寺子屋で正しい書き方を長い時間書き写した反動なのでしょうか・・・・。正しい文字(書き方)が分かっている上で、わざと「当て字」で書いているのです。
「上の空」は「浮空(うわのそら)」と平気で書きます。今の言語教育では考えられないのですが、気持ちが浮いて集中できない時は「浮空」と書きたかったらそう書いても良いという、おおらかな文字文化があったのだと思います。「寺子屋」の勉強の後には、書き手の自由や読み手の自由があったのだと思います。
油井さんが「古文書はこんなに面白い」と言ったのは、単に古文書がすらすら読めると「面白い」と言ったのではないように思います。古文書を読むと当時の寺子屋での勉強の仕方や文字の扱い方など、果ては農・工・鉱・商や宗教や他、殿様の様子、江戸幕府や藩主との関わりなどなどが分かり「古文書を通して当時の様子がわかるのが面白い」と言う意味だと思います。
私も「読み書き算盤」、「60の手習い?」で古文書を通した向こうにある文化を楽しみたいと思います。
それにしても、わずか200年前の日本の文字を読める日本人は多くありません。わずか200年前の自国の文字を読めない国はほとんでありません。何故日本だけは日本の過去の文字を読むのが困難なのかは、改めて日本史を考えることにします。
まずは、日本の過去に直接触れるためには、当時の文章(古文書)や仏像やお庭などの有形文化財、踊りなどの無形文化財などを見なければならないと思います。
私は先ずは、江戸時代の寺子屋の子どものように、当時の文字(草書)の手習いに努めようと思います。
師匠はおりません。どなたか師匠になって頂けないでしょうか