癒しの庭Ⅲ

集おう癒しの庭へ

東京大仏

2008年11月30日 | Weblog

 

                 

                

                                              

 

                        本堂より大仏様を望む

 

 

                           大仏様の後ろ姿

 

   先日練馬のともさんたちにお邪魔した折、昼食の帰りに「東京大仏」に寄っていただきました。「東京大仏」は日本で3番目に大きい大仏様です。以下のような順です。

 

大仏さんの高さ(座高)比較

奈良東大寺  
 毘盧遮那如来   15.0m
鎌倉高徳院  
 阿弥陀如来    11.4m
 東京乗蓮寺  
  阿弥陀如来     8.2m
    高岡(富山県)
           阿弥陀如来     7.4m
          

 

     もともとは江戸四宿の一つ、中仙道板橋宿の中心的寺院で「お閻魔さまの寺」として知られていいた大切なお寺さんでした。

 

                           乗蓮寺 江戸名所図絵

 

                                                           板橋宿 江戸切絵図

 

                

 

                  

 

                          

 

                         文殊菩薩像

 

                                     

   真新しく立派な大仏様です。大仏様だけでなく各種の石像や弁財天を祭っている池、閻魔様を祭っている閻魔堂、福寿観音様を祭っている観音堂など多くの見るべきものも多く、板橋区には他にも見るべきお寺さんがまだあるように思いました。

   近くにお住まいの方は一度拝見にいらしてはいかがでしょうか  

                          

 

   おまけ・・・ 《乗蓮寺/東京大仏》

  赤塚山慶学院と号する浄土宗寺院。
   御本尊は室町時代に仏工春日によって作られた阿弥陀如来です。応永年間に英蓮社信誉生阿了賢無的によって開かれ、江戸時代は孤霊山と号していました。天正19年(1591)に徳川家康より10石の寺領(朱印地)が安堵されました。また、当地の戦国時代の領主である板橋信濃守忠康の墓所ともなっています。寛保3年(1743)には徳川吉宗が鷹狩に際して休息のために立ち寄り、以降は御膳所となっていました。
  昭和46年(1971)より、首都高速5号線の延伸に伴う国道17号線の拡張によって寺領の大半を失うこととなり、現在の赤塚の地に7ヶ年をかけて移転しました。さらに昭和52年(1977)には、関東大震災、東京大空襲などで被災した有縁・無縁の霊を弔うため、また悲惨な自然災害や戦争が二度と起きないようにとの願いから、阿弥陀如来の露座大仏(通称東京大仏)が建立されました。

  東京大仏は高さ13メートルの青銅製で、重さは32トンあります。新東京百景にも選ばれました。

 

 map

 

  

 

 


ハーブガーデンをどうつくりましょうか!

2008年11月29日 | Weblog

   先日、練馬のともさんたちにハーブガーデンに案内していただきました。例のビーナスの背負った瓶から水が出る工夫をしているオーブンガーデンです。

   レストランへのお客さんも大入りでした。

 

                               

 

                        

 

   私はこのハーブガーデンには学ぶことがたくさんありました。

   我が家のガーデナーさんは、今は勉強を終わって我が家のハーブコーディネーターさんでもあります。そこで、今期を機会にハーブガーデンをどう作ったら良いかをいくらか考えてみました。

 

   今回お邪魔した板橋のハーブのオープンガーデンはこんなお庭でした。           

             

 

             

   一番目立つことはハーブを収穫するための場所とハーブが育つ場所を敷石で区分けしていたことです。

   正方形の敷石を使った場所と長方形の敷石を使った場所の2カ所がありました。多分作った時期が違ったと思います。我が家では両方の敷石を上手に組み合わせたら敷石そのものの美しさが、ハーブの激しい成長と調和するのではと思いました。

 

             

   そして、もう一つの素晴らしさは「高さ」を工夫することで、雑然となりがちなハーブガーデンを楽しめるものにしていることです。

  真っ先に目に入るのは数多い背の高い「コニファー 」です。当市ではコニファーは露地植えでは冬を越せませんので、背の高いきれいな植栽、例えば花の小さいバラ(オールドローズ)のスタンダード仕立てなどにしたらどんなものでしょうか。コニファーよりは楽しいものになるのではないでしょうか。

   より高さを出してハーブと親しんでもらうためには、レンガのほかにはロックガーデンでも良いでしょうし、枕木(模造品)を積み重ねる方法もあると思います。    

 

   全国のハーブのオープンガーデンを覗いてみましたが、今回ともさんたちに連れて頂いた板橋のお庭を越える庭はそんなにはありませんでした。

 

 kikiさんのオープン日     

 

 

 

 

    一般的な平地に植栽しているだけのハーブガーデンが多いのです。

                      

  

   ハーブだけでまとめないで、他の植栽に加えると高低差を作るためにハーブを使うも良い方法だと思います。ただし強烈に繁殖するミント類などは住む区画をしっかりと決めてあげないと将来に不安なものが残ります。  

                         

   ようやく全国区のハーブガーデンの中で今回拝見させて頂いた板橋のお庭に近いものを見つけました。北海道の私邸です。

 

 

 

 

 

  ハーブが雑然と育つのではなく、敷石(正方形ですが)で区分けされて育ちます。高低差の工夫もされています(レンガや石ではなくつるを使っているのは珍しいです)し、通路を敷石にすることでハーブが繁茂することを防いでいます。我が家のハーブガーデンづくりの参考になりそうです・

 

   一般に「ハーブの魅力は鑑賞するだけではなく、暮らしのあらゆるところに浸透し生活に密着した植物であるところに・・・・」などと、観賞花壇ではなく「畑」でよいという考えが強いようです。しかし、ハーブには香りの良いもの、花の美しいもの、フェンネルなどのように姿が美しいもの、葉の色が美しいものなど、観賞に適しているものも多いので、花壇の作り方次第でその魅力を十分に引き出すことが出来ると、私は思います。

 

   こんな「ハーブガーデンづくり」のHPがありました。参考?にしたいと思います。

1)ハーブガーデンの特徴

ハーブの魅力は鑑賞するだけではなく、暮らしのあらゆるところに浸透し生活に密着した植物であるところにあるように感じます。ティーや料理の他、ハーブバス、ポプリやサシェなどのクラフト作り、健康食品などにも採用され色んな分野で注目されているようです。

古くは中世の修道院の内庭に作られた薬草園から出発したハーブ園は薬草を得る実用的な目的以外に文化としてのガーデンのあり方を考えさせてもくれますね!



2)ハーブガーデンを作る前に知っておきたいこと

① 使用する目的に合わせてハーブの種類を選ぶこと。
  
香りを楽しむもの、お茶としていただくもの、料理に使うもの花を楽しむものなど色んな楽しみ方があります。それぞれの個性をよく知って栽培する種類を選びましょう。


② 栽培特性を知ることが必要

ハーブ類はヨーロッパや東南アジア、中国・日本原産と様々です。この多種多様なハーブを育てるにはまず栽培特性を知ることが必要です。ボリュームの出し方、冬越し、日本においては高温多湿の夏をどう乗り切るかがポイントなんですね!


③ ハーブの魅力は美しい花を咲かせてくれる種類も沢山!

ハーブは生活に役立つというだけではなくガーデニングとして美しい花を咲かせ楽しませてくれるのも魅力ですね。ナスタチウムやサルビア、マリーゴールドなど、ハーブとしてよりも花期の長い花壇材料として知られる種類を組み合わせることで、ハーブガーデンを華やかにし楽しむことが出来ます。

 

 

3) ハーブガーデンの作り方

① ハーブガーデンにする土地は、深さ30cm位を掘り返し、ごろ石は取り除く。ハーブ類は水はけの良い土壌を好むので、底に排水しやすいように石を敷きつめてもよい。

② コンテナには市販の培養土が便利。直植えの場合でも基本的には一般の園芸と同じように掘り起した土にピートモスや腐葉土を1㎡当たり4~5kg混ぜ込む。ハーブの大部分は強酸性を嫌うので、中性にするために石灰を1㎡当たり150gほど混ぜて1週間位置いておく。

③ 土をならしレイアウトした後で、ハーブ苗を小さいものは20cm~30cm。大きなものは40cm~50cmの株間をとり植え込んでいく。傷んだり弱ったりしている根は、少し落としてから植えると定植がスムーズにいく。

④ タイムなどの小さな苗は雨風に弱いので、割り箸や竹串などの支えを立ててやるとよい。フェンネルやコリアンダーなど上に伸びる種類のものはしっかりとした支柱が必要である。
   
⑤  十分な水やりをし、種類に応じて肥料を施す

 

     おまけ

  今気に入っているお庭(ガーデン) ・・・ 決して我が家のガーデンではありません。

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雪つりを終えて

2008年11月28日 | ガーデニング

 

    我が家の庭木の冬囲いもほとんど終わっているので、

より有効で美的な冬囲いはどんな方法が良いのか、

改めて考えてみました。

    我が家の庭木の冬囲いは大別して3種類ありました。  

                

   我が家の庭木は

ほとんどが木に添えて背の高い棒を1本立て、

そのてっぺんからたくさんの縄を下げて、庭木を吊っています。

いわゆる雪つりという方法です。

       

   雪つりをするためには、

庭木の約2倍以上の長さの丈夫な棒が必要です。

そして枝を吊す縄は枝の数だけ必要となります。

実際は棒のてっぺんで縄を折り返しているので、

倍の長さの縄が枝の数の半分の数を準備すると出来ることになります。

   枝を縄で縛るためには「男結び」という技術が必要になります。

興味がおありの方は以下にある動画をご覧下さい。

  

   我が家の2番目の冬囲いの方法は、

たくさんの棒で木を囲う(添えしばり)方法です。

               

   我が家ではたった1本だけ「添えしばり」をしています。

例年この椛(もみじ)の木は

棒をたくさん立てて丈夫に囲って下さいと

来て下さったシルバー人材センターの方にお願いしています。

この椛は小屋の屋根の雪が落ちる下にあって

毎年いじめられている木なのです。

最初は小さな木で雪かこいも簡単だったのですが、

年々大きくなり紅葉の色も素敵になっており、

しっかりと囲ってやらなければならなくなったのです。

この「添えしばり」の雪囲いは

決して美的な方法ではありませんが、

丈夫に囲う為には必要な方法です。

欠点は美的で無いほかに棒がたくさん必要なことです。

  

                       

  他に「添えしばり」の方法で雪囲いをしているのが

この2つの灯籠です。

左は我が家のガーデナーさんが気に入っている織部灯籠で、

右は我が家に先祖から伝わっている灯籠です。

我が家に5本の灯籠がありますが、

この2本は最近は例年雪囲いをしています。

左の灯籠は屋根からの落雪に近く

大雪の年は倒れる心配があるからです。

右の灯籠は

すぐ左脇にある伽羅(キャラ)の木からの落雪に備えたものです。

大雪の時は雪を取り除いてあげると

こんな雪囲いは必要が無いのですが・・・、

大雪の後は必ず雪が深いので、

あまり若くは無くなった私はズルをしているのです。

この灯籠の雪囲いは

「雪つり(1本の棒とたくさんの縄でつる」では出来ません。

灯籠が重いので縄が切れてしまうからです。

   我が家の3番目の冬囲いの方法は

極めて簡単です。

棒を1本立てたり、

棒を立てずにぐるぐる縛る方法です。

                           

   普通は雑木(広葉樹)は、なかなか雪には折れず、

折れても新たな枝が出て回復するのですが、

大きくなって、背の高さを魅力としたい木は

この添え木1本に縛ることで途中で折れることを防ぎます。

我が家で雑木(広葉樹)を雪囲いするのは

「ナンテン」や「白モクレン」など極わずかです。

我が家のガーデナーさんのお庭では

「バラ」と「サザンカ」「キョウチクトウ」「お茶の木」は

寒さよけの雪囲いが必要です。
 

   我が家では、ほとんどが1本の棒を立てて

縄で木を吊る「雪つり」の方法です。

シルバー人材センターの方に

「長い棒が足りなくなったら足して下さい」と頼んでおくと、

何年かすると「1本長い棒にしたらどうか 」と聞いて来ます。

棒や縄は全部シルバー人材センターの方が準備して下さいます。

   初めての方は、

シルバー人材センターの方にどう頼んだら良いのか分からないと思うのですが、

「この木は長い棒を1本立て吊って下さい

(松や伽羅など綺麗な雪囲いをしたい木)」、

「この木はしっかりと囲って下さい(落雪が心配される木)」、

「この木は棒を立てて縛って下さい(ナンテンなど絶対折れて欲しくない木)」

とお願いすると、

まずは美的で機能を果たす雪囲いが出来ると思います。

   小さな木で、時間があれば、

2~3本は自分で雪つりをしてみるのも楽しいものです。

 

    我が国最大級は

こちら「金沢兼六園」の雪つりだと思います。

まさに最大級、

雪つりもここまでくると芸術家も、落ちないように・・・・

 

唐崎松雪吊り

 

雪吊り作業風景

                     

 

                                      兼六園の雪つり風景(動画)

 

     参考

 

雪吊りの種類

 

・りんご吊り
松の木、槇の木をはじめ、よく枝造りが出来た比較的大ぶりの庭木に、芯柱を添えてその先端から多くの藁縄を張り(縄の数は対象の庭木の枝振りにあわせて決める)それぞれの枝を結わえ吊る方法です。完成した姿が収穫前のリンゴの枝が折れないように吊り支えた形からりんご吊りと呼ぶようになりました。
・幹吊り
「りんご吊り」と同じく大きめの樹に施す手法です。樹上の太めで、しっかりした枝又から複数の藁縄を下げて、枝を結わえ吊ります。
・三ツ又しぼり吊り
ツツジなど中低木類を対象に三本の竹を囲うように立て込み、上部の結束ヶ所から藁縄を吊り下げ、張り出した数多くの小枝を吊り上げるようにわら縄で絞ります。
・その他
菰掛け、三つ股絞り、竹立て(添え)しぼり、巻きあげ、小(中、大)しぼり、三つ股吊り、街路樹の低木列植には“横竹しぼり吊り“ ”竹ばさみ“の手法があります。
 

   参考2        雪国の暮らし、窓、玄関、植木などの降雪対策  

 

 

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有栖川宮家を考える

2008年11月27日 | Weblog

   最近気になっている人の一人がこの方です。昨日の盛岡藩邸下屋敷に居をかまえた有栖川宮(ありすがわのみや)様です。

  NHKの大河ドラマ「篤姫」もいよいよ終盤を迎え面白くなっています。

 

                                  


     有栖川宮家は歴代、書道歌道の師範を勤めて皇室の信任篤く、将軍家とも婚姻関係を結び、公武ともに密接でした。 

   こちらの方は有栖川宮熾仁親王の婚約者であった皇女和宮(かずのみや)さんです。

            和宮親子内親王    和宮

 

    十四代家茂(いえもち)公御臺所和宮 孝明帝妹宮 と右上に書いてあります。

  

  和宮は1861年(文久元年)、有栖川宮熾仁(たるひと)親王との婚約を解消し、14代将軍家茂(いえもち)の正妻として徳川家に嫁いでいるのですが、この頃は討幕運動が最も激しい時代でもあったのです。

 

               将軍家茂と和宮(写真:NHK) 

 

   和宮が将軍家茂(いえもち)と婚儀を挙げたのは、文久2年2月であったが、その結婚生活は4年半ほどであった。
 その間、家茂は3度も長期にわたって京阪へ出張しており、夫婦がともに江戸城で暮らしたのは実質2年半ほどしかない。しかも最後の1年半近くは家茂は第2次長州征伐のために京阪に滞在を余儀なくされ、和宮は夫の死に目にも会えず、その死に顔を見ることもかなわなかった。和宮、このときかぞえの21歳。

 結婚生活がきわめて短かったのは天璋院(篤姫)も同じで、将軍家定の第3番目の正室として暮らしたのは1年半ほどである。髪をおろして未亡人生活にはいったのは、かぞえの23歳のときであった。

 どちらにしても、彼女たちの結婚生活は国政の動きに翻弄された。

 

          篤姫様(写真提供NHK)      

      NHK大河ドラマ特別展「天璋院篤姫展」-大阪歴史博物館   天璋院様

                天璋院様

 

                                                                                          天璋院篤姫様の生涯        

 

 

                                                                                          麻布の記念公園にある有栖川宮熾仁親王の銅像

 

     有栖川宮熾仁(たるひと)親王の略歴     

 有栖川宮第9代。
 嘉永2年(1849年)親王宣下で熾仁の名を受ける。
 元治元年(1864年)国事御用掛。
 同年の禁門の変で謹慎処分を受けたが、慶応3年(1867年)王政復古により総    裁に就任。
 翌年の戊辰戦争では東征大総督。
  明治8年(1875年)元老院議官、のち議長。
  明治10年(1877年)西南戦争で征討総督となりその功により陸軍大将となる。

  明治15年(1882年)露国皇帝即位典礼に参列して欧州各国を歴訪。
  明治18年(1885年)内閣制度の発足にともない、参謀本部長となり、のちに近衛      都督を兼任。参謀総長も務める。
  日清戦争では陸海全軍の総参謀長となる。

 

  戊辰戦争や西南戦争時は倒幕軍の総督としています。しかし、有栖川宮熾仁(たるひと)親王については次のような見方をしている人もいます。いかがご覧になりますか。 

  ♪宮さん 宮さん お馬の前でひらひらするのはなんじゃいな♪
 公武合体の政略のために、婚約者の皇女和宮を徳川に奪われ、倒幕の旗頭となり、徳川を討つために江戸に攻め上る・・なんてドラマチックな展開ですが、最後の将軍の徳川慶喜が和宮を奪ったのではないし、慶喜は、母親が有栖川家のお姫様なので、従兄弟同士。もともと、従兄弟の助命も頭の中においていたのかもしれません。明治になってから、慶喜の妹を妃に迎えています。                     明治初年の西方の反乱には常に総大将なので、ある意味、日本古来の「戦う皇子」(倭建命や、吉備津彦、久米皇子、大海人皇子などたくさんいます)を再現した人でしょうか。しかも、ヨーロッパやアメリカ、ロシアにまで歴訪していて、皇室外交のさきがけでもあるようで、行動派の貴人です。

 参考

トコトンヤレ節(宮さん宮さん)

    トコトンヤレ節は品川弥二郎が作詩しました。
   師である吉田松陰を罪人として処刑した徳川幕府を恨み、倒幕を「トコトンヤレ」と囃はやしたてた歌を作ったといいます。
   現在伝えられている歌詞には何種類かあるようですが、そのうちの一つをご紹介します。
   ちなみに作曲は大村益次郎であるといわれています。

宮さん宮さん 御馬おんまの前に ひらひらするのは何じゃいな
トコトンヤレ トンヤレナ
あれは朝敵ちょうてき 征伐せいばつせよとの 錦にしきの御旗みはたじゃ知らないか
トコトントンヤレ トンヤレナ

一天万乗の 一天万乗の 帝王みかどに手向かいする奴を
トコトンヤレ トンヤレナ
ねらい外さず ねらい外さず どんどん撃ち出す薩長土
トコトンヤレ トンヤレナ

音に聞こえし 関東武士さむらい どっちに逃げたと問うたれば
トコトンヤレ トンヤレナ
城も気概も 城も気概も 捨てて吾妻へ逃げたげな
トコトンヤレ トンヤレナ


この曲は日本で最初の軍歌といわれています。
”宮さん”は東征大総督の有栖川宮熾仁親王を指しています。

      

  いずれにせよ有栖川宮熾仁親王も一方の極で全霊をかけてこの時代を激しく生きた方だと思います。 麻布にあった有栖川宮のお屋敷跡は有栖川宮家が断絶したのちは港区の公園となって、多くの人に親しまれているそうです。

   都心にあるとは思えないほどひっそりとしています。日本古来の林泉式の景観と、起伏のある自然を生かした庭園です。
 もともと忠臣蔵で有名な浅野家の下屋敷があったところです。後に盛岡藩南部美濃守の屋敷になり、明治29年(1896)に皇族有栖川宮家の御用地に、大正7年(1913)には高松宮家の御用地なっていました。昭和9年(1934)1月5日、有栖川宮威仁(たけひと)親王の二十周忌のご命日に公園用地として賜与され、東京市は同年11月17日公園として開放しました。現在は港区立の公園で、広さは約67560平米、敷地内には都立中央図書館、麻布運動場もあります。
 近くには南部坂、木下坂、盛岡グランドの名が残り昔を偲ばせています。地下鉄日比谷線「広尾駅」が近いですが、麻布十番からも閑静な住宅街を見物しながら15分ほどです。

 

 

 

  

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   いつの日か、ここ有栖川宮記念公園をゆっくりと散策し、この時代を生きた人々の生き方を考えてみたいと思います

 

 


参勤交代、江戸の南部藩邸はどこに

2008年11月26日 | Weblog

   昨日は「郷土史学習会」の忘年会でした。いつものように二次会・三次会まで騒いで帰り、今日はゆっくりお休みの日です。

  東京から帰った私は江戸の南部藩邸がどんな所であったかを考えています。先ずは私自身の勉強のために「参勤交代の制度」から確かめて見たいと思います。

             

               

江戸の参勤交代


 参勤交代は幕藩体制における根幹の制度
当初は幕府に対する臣従の証拠として自主的に肉親を人質として江戸城に提出し、家族対面と将軍に挨拶をするために江戸に赴いたのが始まりといわれる。

寛永12年(1635)外様大名への義務づけ(武家諸法度により制度化)
寛永19年(1642)譜代大名への義務つけ


参勤交代のもたらした結果
宿場の整備、輸送・交通手段の整備、街道の発達
 
産業振興、消費経済の発展
 
情報の流通、文化の交流
 
大名の経済力の弱体化*

参勤前の手続き
参勤伺い
国許より使者を立て書状を江戸留守居役が同行して提出
→ 
老中
奉書にて参勤時期の指示


国許
江戸へお礼の使者

参勤後の手続き
老中まで江戸到着を報告
 
老中の使者が江戸藩邸を訪問
 
後日老中より登城を命ずる奉書が来る
 
登城し将軍に拝謁する
同時に献上物を差し出す

大名行列
行列の規模は大名の禄高や家格に応じて決められた。
最大藩の加賀前田家は2000人~4000人といわれている。
体面を重んじる武家としてその内容は派手になったと見え、慶安元年(1648)以降幕府はたびたび華美を控え人数を削減するよう発令している。
行列が隊列を整えるのは国許を出るとき、江戸にはいるとき、宿場の前後など要所だけであった。行程が一日延びるだけでもその費用はバカにならず、かなり強行軍だったらしい。とても全行程をあのような行列模様では目的地に着けない。

 

                                                                           参勤交代とは

   盛岡藩二代藩主「重直公」は江戸で生まれ大きくなるまで江戸で育ち、そして盛岡の殿様になられました。盛岡に住むようになってからの「重直公」は盛岡の田舎暮らしが耐えられず我が儘な暮らしをし、お諫め申し上げる家老を何人もくびにしたという話も伝わっています。

   江戸に一年おきに住まわれた盛岡藩主様と江戸に住み続けた奥様はどのように暮らされ、その子どもたちはどのように育つのでしょうか。「南部重直公」を評する文章を見るたびに参勤交代とはと考えさせられ、「重直公」が幼少を過ごした江戸の盛岡藩邸が気になっていました。

                                      南部重直公について

 

 江戸の盛岡藩邸は三つありました。上屋敷は外桜田にあり、「重直公」はそこで育ったようです。麻布にある盛岡藩邸は下屋敷で今は有栖川宮記念公園となっています。「重直公」が育った上屋敷の外桜田の場所は私は特定出来ません。どなたかご存じの方はお知らせ下さい。

 

   江戸時代の有力な大名が持っていた藩邸は以下のようでした。

上屋敷

  上屋敷は江戸藩邸のうち、大名とその家族が居住し、江戸における藩の政治的機構が置かれた屋敷である。大名が居住するため居屋敷(いやしき)とも呼ばれた。大名は在府中、定例の登城日や役職に定められた日など、しばしば登城する必要があったため、通常は最も江戸城に近い屋敷が上屋敷となった。

   大名が在府の際はここで政務を取り、大名が帰国した後は江戸留守居役が留守を預かり、幕府や本国との連絡役を務めた。

   上屋敷の構成は、大きく御殿空間(ごてんくうかん)と詰人空間(つめにんくうかん)に分けられる。

   御殿空間は大名の居室などの表御殿、正室の居室などの奥御殿や庭園などであり、詰人空間は家臣の住まいである長屋、藩の政務を行う施設や厩舎などで構成された。

中屋敷

   中屋敷は上屋敷の控えとして使用され、多くは隠居した大名や成人した跡継ぎの屋敷とされた。下屋敷と比較した場合、江戸城までの距離は近く、規模は小さいことが多い。

   中屋敷や下屋敷にも長屋が設けられ、参勤交代で本国から大名に従ってきた家臣が居住した。

下屋敷

   下屋敷は主に庭園など別邸としての役割が大きく、大半は江戸城から離れた郊外に置かれた。上屋敷や中屋敷と比較して規模は大きいものが多い。江戸市中はしばしば大火に見舞われたが、その際には大名が避難したり、復興までの仮屋敷として使用された。

   藩により様々な用途に利用され、本国から送られる米や各種物資を貯蔵する場として、遊行や散策のために作られた大名庭園として、あるいは菜園などとして転用される場合もあった。

 

 

 「有栖川宮記念公園」 関する次のようなHP(BLOG)を見つけました。

   有栖川公園は、正式な名称を「有栖川の宮記念公園」と云います。

  今は南麻布5丁目と呼ばれていますが、子供の頃は盛岡町と呼ばれていました。
此は江戸後期に「常陸笠間藩浅野家の下屋敷(播州赤穂藩)」があったところです。
では何故、盛岡町なのでしょうか・・・・・・・?

 


 有栖川宮記念公園の表札?
 左側から書かれている事が昭和初期
 に作られた事を物語っています。

  公園内の案内図

 

 明暦2年(1656年)芸州浅野家の分家播州赤穂の浅野匠守麻布下屋敷と当時赤坂にあった、南部盛岡藩20万石の下屋敷を相対替(等価交換)することになります。
  

  当初の南部盛岡藩下屋敷は赤坂氷川神社付近(現在の赤坂二丁目)にあり、屋敷に隣接した坂を”南部坂”と呼んでいた様です。しかし、相対替(等価交換)で浅野は赤坂へ、南部盛岡藩は麻布へ用地替えになりましたのが、相対替をした後も赤坂の南部坂はそのまま名称が残っていました。


   屋敷替えになった麻布には、南部盛岡藩の名前から盛岡町の名称が残った訳です。
考え方によりますと、当時分家であった播州赤穂の浅野匠守の知名度は南部盛岡藩より低かったと考えるのは些か、穿った考えでしょうか・・・・?

  陸奥盛岡藩南部家は、この他に上屋敷を外桜田に中屋敷を鉄砲州、築地、愛宕下等に所有していました。
   盛岡藩は、最後の藩主甲斐守利恭が廃藩置県によりこの敷地を手放しますが、明治4年から29年の間はどの様に使用されていたのか明らかではありません。

   屋敷内は、傾斜地を利用して渓流、セセラギ、中州、池等を配しており、現代に至っても林泉修景式大名庭園の面影を色濃く見ることが出来きます。
しかし、明治維新後には大名屋敷跡地が膨大な量、荒れ地となっていた様です。

 

 

   時の有栖川熾仁親王は明治元年4月21日、自ら志願して東征大総督となった江戸城に入ったと云われています。

   その後、有栖川熾仁親王は住まいを神田小川町(明治2年4月)、数寄屋橋(明治3年1月)、日比谷(同年12月)、芝(明治4年3月)、霞ヶ関(同年8月)、と変更していますが、明治29年麻布盛岡町(現在の南麻布5丁目)に移転し落ち着きます。

   しかし、この時すでに熾仁親王は逝去し弟の威仁親王が10代目有栖川家の総帥となっていました。そして跡取りの栽仁王は早世し、威仁親王も病により大正12年7月5日逝去してしまいす。

  このため、有栖川の宮家は廃絶となってしまいますが、大正天皇は名家廃絶を憂ひ惜しみ、第三皇子光宮宣仁親王に有栖川の宮家の旧名称である高松宮を名乗らせて祭祁を継がせています。因みに、高松宮様は昭和天皇の弟宮ですし、高松宮妃殿下は徳川慶喜の孫でその母親は、有栖川宮家出身と云う血縁関係にあります。

   昭和9年1月5日、お屋敷跡は高松宮宣仁親王より東京市に下賜され、同年2月に工事が始まり11月に完成して、有栖川の宮記念公園として一般に公開されました。
広さは約11,000坪、総工費は当時の金額で86,500円と云われていますが、現在の感覚ではチョット想像が付きませんね。


   その後東京都の管轄だった有栖川宮公園も、昭和50年4月1日港区に移管されます。
そして区立麻布テニスコ-ト、同麻布野球場を公園区域に編入し都立中央図書館施設を含めて港区立の公園として現在に至っています。

   私が子供の頃は、火薬庫と同様に此処も遊び場の1つで「スルメイカ」と凧糸で”アメリカザリガニ”を取って一日遊んでいました。
また、ウシガエルのオタマジャクシも沢山いましたが現在では・・・・・?
       
   久々に、晩秋昼下がり散歩がてらに・・・有栖川宮公園に行ってきました。
以前は、園内の池の周りに「釣り禁止」の札が立てられていましたが、全く無視されて釣り糸を垂れる人々に”呆れた”のか、上の様な2種類の警告に変わっていました。
しかし、池で釣りをしている大人の多いのには、今更ながら”呆れかえります”・・・・

 


東京駅を考える

2008年11月25日 | Weblog

 

   今回東京にお邪魔したら『東京駅』が改修中でした。上京すると必ずお世話になるのが「東京駅」です。

 

  

 

        工事中の東京駅

 

 赤レンガを約760万個も使用した日本最大の駅舎。首都・東京の表玄関として日本を代表する有名な洋館です。岩手銀行も同じ人の設計で東京駅赤レンガ館は大変興味を持っていました。

 

                 岩手銀行本店

 

   この東京駅を設計した人は、「明治の建築王」と呼ばれた建築家の辰野金吾です。東京大空襲によって、3階建てが現在の2階建てとなったのだそうです。塔の上部は今は角ばってますが、当初は丸かったそうです。それを今回の大幅改修を行ってもとの形にもどすのだそうです。

    

  

  合わせて『東京ステーションホテル』も休業になっているそうです。この改修作業は、2012年終了予定ということなので、4年後には『東京駅』も『東京ステーションホテル』も新たになります。

 

   どんな駅舎やホテルになるのか楽しみです。その時はじっくり見学したり、泊まってみたいと思います

 


        


シボレー・アストロ

2008年11月24日 | Weblog

 

   東京の最終日になってしまいましたが「のぶさん&ばどさん」の所に寄せてもらいました。のぶさんもばどさんもバドさんもみんな元気で、楽しい一時を過ごさせていただきました。

   のぶさんには駅や昼食イタリア料理のお店までの送迎など、「シボレー・アストロ」に乗せていただき有り難うございました。

   

 

       以下は「シボレー・アストロ」のHPより

  4.8m、全幅2mの威風堂々としたボディ

 全長約4.8m、全幅約2mのボディは威風堂々。この強烈な押し出し感シ ボレーアストロの魅力の一つでもある。
  GMが正規輸入するものは標準ルーフだけだが、カスタムされたスタークラフト製のものはハイルーフが多く、なかには車高が2.3mを超えるものもあるため地下駐車場はもちろん、ドライブスルーなどが通れないケースもあるので注意が必要だ。
  フロントマスクは、1994年モデルまでが角目2灯ヘッドランプ、1995年モデルからは横長の異形4灯ヘッドランプとなる。
 ハンドルは左のみで、LSは2列目に3人がけベンチシートを採用した8人乗り、LTはキャプテンシートで7人乗りだ。1996年以降モデルの3列目シートは脱着式となる。
 オリジナルの内装は、樹脂製のインパネとモケットシート仕様だが、スタークラフト製はウッドパネルと本革シートとなり、回転対座シートも用意される。

              

               

 

   久々の「シボレー・アストロ」の乗り心地は素敵でした。ゆったりと広いということは最高の贅沢、しっかりと楽しませていただきました。

 

                    

                    

 

   またお会いできる日を楽しみにしています

 

 


新たな発見!

2008年11月23日 | Weblog

 

   今日も練馬のともさんにお世話になりました。昼食にお邪魔したハーブ園で、素晴らしいアイディアを2つ頂きました。その1つは以下のようなものです。

 

       

   瓶を持ったビーナスです。この瓶から水は出るのでしょうか。

 

                     

   近くに井戸がありました。私が作った井戸にそっくりです。この井戸から水はでるのでしょうか。

   よくよく観察したら、どちらも水が出るようです。

 

                     

    瓶を持つビーナスの後ろに回ってみると瓶にはホースが繋がれています。 

 

                

 

  そのホースは井戸の手前に置いてある瓶につながっています。瓶の中を覗いてみるとホースの先にはバスポンプ(お風呂の残り湯を洗濯機に送るポンプ)がつながれています。この瓶の水を「瓶を持つビーナス」に送って水を落としていたのだと思います。そしてこの井戸は本当の「汲み上げ井戸」で、飲めるかどうかは別にして、地下水を汲み上げてその手前の瓶に貯める役割をしているように思えます。

 

   私が家では、井戸の下に盥(たらい)を置き、バスポンプを使って、盥の中の水を井戸から出るよう(循環して)工夫してみたのですが、我が家のガーデナーさんからガーデンへの移動を希望されていたのですが、循環式だとやがては水が汚れたり蒸発して無くなったりしてしまいます。

 

   私は大変良いアイディアを頂きました。もし飲めなくてもいい水であればスイッチを入れただけで無限に水を汲み出すことが出来ます。我が家には大小の池が最低3個はあります。そこにバスポンプを入れたら無限に井戸からでも瓶を持ったビーナスからでも、大きなライオンの壁泉の口からでも、神社によくある竜の口からでも、その他水の出るものの全てから、常に水を出すことが出来ます。

   その水は小さな川を作って再び川に戻します。その前に水の落ち口の下には程よいバケツを置いて、園芸用具を洗ったり、植栽を移植したときなどの散水に使うと良いと思います。

   庭師の私の仕事が増えそうです。冬期間のことを考えるとライオンの壁泉などは妥当ですが、セメントやレンガで私がライオン像をつくると「どうしてここにブタがいるの」などと言われそうです。

 

   とにかくアイデアが生きるよう工夫をしてみます

 

                                         


富士山!

2008年11月22日 | Weblog

   ホテルまで練馬のともさんに来ていただき、厚木まで連れて行ってもらいました。大変な渋滞(事故)で時間がかかりました。ともさんには大変お世話になりありがとうございました。ともさん宅は3階にあって朝夕は富士山がくっきり見えます。

  

  

   朝な夕なに富士山を望める生活は羨ましい限りです。何度も窓に向かって富士山を眺めてしまいました。

 

           

 

          

 

                 

 

   ともさんの作った「疑似餌」です。細かい作業を通して見事な疑似餌が出来ています。来春は我が家の池で鯉を釣らないようにして「ハヤ(ニガハヤ)」を釣りたいと思います。

   ところで、今年川を遡上して我が家の池で育っているたくさんの「ハヤ」は来春生きているのでしょうか。

   例年、春になると池の中にはたくさんいた「ニガハヤ」はいなくなって鯉だけになっているように思います。毎年「ニガハヤ」は池の中で大量に死んでいるのでしょうか。

   もし死なないとしたら、年々大きくなった「ハヤ」の姿を見かけることになるはずです。来春は目をこらして冬を越した「ハヤ」がいるのかどうか確かめてみたいと思います

 


本日東京へお出かけ

2008年11月21日 | Weblog

 

   ご用は明日にして、東京駅着ご真っ先に向かったのはここです。

 

     

   皇居東御苑です。篤姫様が住んでおられた大奥のあるところです。江戸城二の庭園もあります。庭師の私としては我が家のガーデナーさんに一度は見て欲しい所なのです。

   東京駅から徒歩数分行ってみると、「月曜日・金曜日は休園日です。宮内庁」という看板が立っていました。今日は金曜日です。何と運が悪いことでしょう。  

 

   しょうがないので案内を良く見て見たことにしました。

  

                                       皇居東御  苑HP

                                         

         

   お堀端のピラカンサスが印象的でした。

   その後は、新宿のホテルで我が家のガーデナーさんに休んでもらいました。明日、明後日は練馬のともさんにお世話になります。

   よろしくお願いします

  

 

 

   


冬囲いは・・・

2008年11月20日 | Weblog

 

      

   朝起きると大雪です。

シルバー人材センターからは

「今日は天候も悪く人も集まらないので中止です」という電話です。

明日も雪が降るという天気予報です。

明日から4日間東京にお出かけ、

帰ってきたら庭木の被害が大きいことは目に見えています。

5人お願いしていたのですが

4人なら行けるということなので、

先ずは来ていただきました。

 

                                                  

 

                  

 

    

 

寒い中を御難気をおかけしました。

いくらか作業が残りましたがそれは後ほどにします。

お陰様で明日からのお出かけが出来ます。

有り難うございました

 

         

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初雪です

2008年11月19日 | Weblog

 

   昨日の「後生掛温泉」に雪が積もりましたが。当市では今日が今年の初雪の日です。

 

                         

                                                   

             

            

   

    

 

    

  

  朝から次第に積雪は増え、今年の初雪は軽く降っただけではなくしっかりと積もりました。

   明日はシルバー人材センターから5名の方に来ていただいて冬囲いを、明後日には東京方面へお出かけの予定です。    

   さてさて、この雪は根雪になるのでしょうか。

   今後の天候がとても気になるところです

 

 

 

 

 

 

 


相模原からのお客様

2008年11月18日 | Weblog

 

      

 

      

 

   昨日から相模原のおにいさん御夫妻が訪問下さっています。今日はこちらにみんなで出かけました。ご存じ「馬で来て下駄で帰る後生掛温泉」です。改めて泉質を見ると驚くべきことが多いです。正確に言うとここは純粋の「源泉掛け流し」ではありません。源泉の温度が88.4℃と高いので加水をしています。「熱湯になりますので水道の水を止めないでください」という注意書きがあります。まああまりの高温ですのでやむを得ないのかもしれません。

   「後生掛温泉」に向かうに連れて道路への積雪が増えてきました。夏タイヤのままでしたので早めに入浴を切り上げ、「玉川温泉」の見学できて帰路に着くことができました。

 

      

 

  相模原の方々には大変お粗末を致しましたがまたお出で下さい。お持ちしております

 

 


広葉樹の剪定の仕方

2008年11月17日 | Weblog

 

   我が家のガーデナーさんが寒さも厳しくなったので、家の中に取り込んだ「クチナシ」の鉢植えを剪定していました。伸びすぎた枝や込みすぎた枝を下の資料のように剪定し「これで良い」と私に聞きました。庭師の私は上手に剪定できたいたので「それで良いよ」と言いました・・・・、が

               

 

           

 

       

        

   ところが、私は大事なことを忘れていました。「クチナシ」は来春には花が咲きます。もう来年の花芽が出来ています。来春たくさんの花を見たかったら花芽がついている枝は切らない方が良いのです。どうしても大きすぎて切り詰めて樹形を小さくしたい場合は別ですが・・・。

   樹木には「針葉樹(松や杉など)」と「広葉樹(秋には葉が落ちる)」があります。花の咲くものが多い広葉樹は花が咲かなくなるような剪定をしてはいけません。

   花を咲かせたい広葉樹の剪定は花が終わったらすぐ剪定します。例えば庭木に多いサツキなどは花が終わったらすぐに、遅くても6月中には剪定を終えなければなりません。従って特別な場合を除いて花を咲かせたい広葉樹の剪定は年に1回なのです。 

   私も含めて庭木や鉢植えの花を立派なものにしたかったら、どこを剪定するかと同時にいつ剪定するかも大事なこと、忘れてはいけないことだったのです

 

  

   付記・・・広葉樹剪定の補説

                

                

              

 

 

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貝の沢温泉で・・・

2008年11月16日 | Weblog

 

                 

   昨日の感動のまみちゃんの結婚式を終え、キャッスルホテルをチェックアウトした我が家の面々は、私の車とアッキーさんの車で源泉100%、艶々の湯、貝の沢温泉へ(秋田市太平)直行です。

 

 

    貝の沢温泉は、泉質も良く、東京ドーム8倍の広さに趣向を凝らし、見所の多い温泉でしたが・・・・

 

   入浴後の、会食後(昼食)は・・・・

             

  ひな姫様はお昼寝・・・、寝る子は育ちます!!!

    

                        

    ところが、まだ育ちたがっているのでしょうか・・・、それとも昨夕は「川反」でお疲れだったのでしょうか・・・・!  

 

    私とおかあさんは、外は小雨だったので館内散策です。

 

      

    素敵なお部屋を見つけました。一間半幅の窓ガラスが直交して庭を眺めることができ、さらにペランダにも出ることが出来ます(この場所は3階で庭がせり上がっているのです)。できたらこんなコーナーを作ってコーヒーでも飲みたいものです(我が家では2カ所可能な場所があります)。

 

     

          

 

   紅葉も美しく、泉質(純食塩泉・PH7.9弱アルカリ性・溶存物質総量約9g等調性)も素晴らしく、肌につるつる感の感じられ、もう一度みんなで行ってみたい温泉でした