癒しの庭Ⅲ

集おう癒しの庭へ

またまた盛岡へ!

2008年10月31日 | Weblog

 

   隣町史談会の現地研修会で盛岡までお出かけです。参加者は24名、ご案内の講師には私が頼まれていました。ここ4~5日は下調べに没頭していました。盛岡までの藩政期の街道を辿り、盛岡では隣町のお城にゆかりの殿様3名のお墓を訪ねる研修です。

   古の街道を辿るためには、大部分が今は使われていない道を探すことであり、古い絵図面が一番頼りになるものでした。加えて盛岡までの間の市・町・村史をしっかり読むことも大切なことでした。

  バスの中では終止マイクを持ってご説明、お墓では参加者と共に墓石に書かれている文字の読み取りに努めました。お陰様でお寺さんも分からなかった大きな五輪塔が、とても貴重な人物のお墓であったことも分かりました。

 

                       

   地輪の部分に書かれていた没年が、「□応元年」と読めたこと、俗名が「直□」と読めたことから、系図には「承応元年(1652年)、三左衛門直次、85歳、没」とあり、この方三左衛門家の初代の方のお墓であることが分かった次第です。

   質問にお答えしたり、お墓をご案内したりと忙しく、写真を撮る時間はありませんでした。

                              

   昼食時だけ写真を撮る時間がありました。「和のレストラン・千鳥」でおでん料理で有名なお店ということでした。

                    

 

                         

                

                        

                        

 

          

   なかなかにお洒落なお店で、ゆっくりと昼食を楽しむことができました。川徳デパートのすぐ近くです。盛岡にお立ち寄りの節はいかがでしょうか。

                             和のレストラン・千鳥

 

               

 

    今日は些少でも人のお役に立てて良かったと思います。思うにこの盛岡北山にある聖寿禅寺の一層部分だけの五重塔が私を引きつけ、これまでに下見と本番の二回分で計4回訪れてしまいました。来春になるともう1回、郷土史学習会から案内を頼まれてしまいました。

    来春はさらに新たな発見や確かな確認が出来るようご案内をしたいと思います。例えば、この五重塔の一層部分にはたくさんの地蔵菩薩さんが入っていますので、寺守りをしておられる東さん(檀家総代)にお願いして見せて頂くとか、聖寿禅寺八角堂の中でこのお寺の由来等をお聞きするなどをしたいと思います。

  隣の東禅寺は北家のお墓がたくさんあるところですが詳細は私はまだ知りません。こちらも南部家の菩提寺で盛岡藩初代利直公のお墓はこちらにあります。

   なぜ菩提寺が二つに分かれているのでしょうか。知りたいことがたくさんあります。盛岡は少々遠いのですが、これから調べる楽しみの一つにしたいと思います

 

 

  

 

 

 

 

 


我が市のターシャの庭には元気なターシャさんが居りました!

2008年10月30日 | Weblog

 

    久々に我が市のターシャさんのお庭から初めてのお誘いを頂きました。「無事開店したこと、お庭の紅葉が今盛り」ということでのお誘いでした。

 

         

   広いお庭です。その一部が紅葉していました。この区画は今は使っていない池のある場所です。カントリー風のお庭の中で唯一和庭らしき場所がここなのです。

 

                 

 

        

   写真には入り切りませんでしたがもっと左の畑で、エステの新しい経営者のおかあさんが菊の花のお世話をしていました。かなりのご高齢のはずですがとても元気に働いておられ、「おっ!ターシャさんが」と思うような光景、ご挨拶をしたら帰りに食用菊をお土産に頂きました。ありがとうございました。

                                                      

 

                           

 

                  

 

         

 

   先にも跡にもこうしたお店に入ることはもうないのではと思いました。玄関ドアーといい、様々の設えの面白さを拝見させて頂きました。

 

   おかあさんを置いて明日の準備のために早々に帰り、後に迎えに行ったらおかあさんは随分若返っていました  

 

 

    

 

 

 

 

 

 


枯れ山水庭の鑑賞!

2008年10月29日 | Weblog

   

            

    おかあさんが、「石のむろじさんが作って下さるKさん宅もこんな風に砂紋を描くことができるね」と、庭園誌に掲載されている写真を見せてくれました。確かにこうした雰囲気のお庭ができ、さらには橋の根本には州浜が予定されているので、砂紋を引く効果は更に高まると思います。そろそろ砂紋引きの道具を作ることにしましょうか。この写真の砂紋はやや幅が広いように思うのですがいかがなものでしょうか。

   私がこれまで見た枯れ山水庭の最高は京都の大徳寺大仙院の書院にある枯山水の庭園です。

          

     

      

     

          

          

          

    ここ大仙院の国の重文に指定されている枯れ山水庭は、桂離宮のような回遊式庭園(飛び石や延べ段があって庭を歩いて鑑賞する庭園)ではありません。お座敷から眺める観賞庭園です。

   山の奥から流れ出る小川が次第に川幅を広げ、最後は方丈前の大海にまで至る様子を舟を置いたりなどかなり具象的に造形をしています。5枚目の写真では塀の下を川が流れており、始めてこの庭を見た時、室町期にこうした大胆な発想があったことに驚きを覚えたことを思い出します。

   砂紋は川の流れの様子(波紋)を表しています。

  同じサイズの用具で作られているようです。もしかすると我が家の砂紋の幅よりやや広く、深さは少し浅いかもしれません。

   Kさん宅の砂紋を引く道具は、ほぼここ大仙院の砂紋と同様の幅や深さが同じ程度の用具を作ってお届けしようと思います。

   いかがでしょうか

 

 

  追伸・・・大徳寺大仙院について       

 方丈は永正10年(1513)の建物で創建当時の遺構である。方丈は禅宗建築としては竜源院と同様に日本最古のものであり国宝に指定されている。方丈の玄関の上部にほどこされている透かし彫りの細部装飾も見事である。書院(枯れ山水庭も含めて)は国指定の重要文化財である。

   大林宗套(だいりんそうとう)、笑嶺宗訴、春屋宗園、古渓宗陳といった名僧が住職となる  三世住職 古径和尚は、豊臣秀吉の怒りにふれて賀茂の河原で梟首にされた千利休の首を大仙院に持ち帰り、手厚く葬ったといわれる。

  7世住職 沢庵和尚(たくあんおしょう)が、宮本武蔵に剣道の極意を教えたといわれ、沢庵和尚は、漬け物の「たくあん」を考案したといわれている。

 

  追伸2

  現在の住職 尾関宗園(おぜきそうえん)さんは、多数の本を著し豪快な説法が観光客に好評な名物和尚だそうです。 私たちがお邪魔したときにこの方がおられたと思います。色紙を書いて売っておられました。                          このお寺は檀家さんがないので(葬式をやらない)、こうしてお土産を売って収入としているのですと笑って話されていましたが、あの方が尾関宗園(おぜきそうえん)さんだったと思います。壁に掛けられていた書が今でも心に残っています。・・・ ○

 

 

 


郷土史学習会で鉱山跡地の見学、夜は同期会です!

2008年10月28日 | Weblog

 

    郷土史学習会の今年最後の現地研修会が行われました。次回はもう11月、現地研修には寒すぎます。今日は市内の鉱山跡を出来るだけ高いところから確かめると言う計画?です。先ずはスキー場の最終リフトを超えてテレビ塔の場所まで総勢9名が3台の車に分乗して、その後は徒歩です。テレビ塔~大森山~鉢巻山、往復で1.5時間のコースです。3カ所はとても見晴らしの良いところで、江戸時代以降どこで鉱山が掘られたかがが良く分かりました。

     

          

   所々に「立ち入り禁止」の立て札が立っています。その立て札の向こうをよく見ると水がたまっています。ここは地中に坑道があった所が陥没して水が溜まった所です。水が溜まっている所もありますし溜まっていない所もありました。写真のように丸く陥没している所もあれば、数十メートルにも渡って山の斜面がずり落ちたように坑道が陥没している所もあり、最近陥没した所もあって、大変危険な場所でした。

                 

  私たちはしっかりした案内人と一緒なので安全なのですが、この場所は「キノコ」の名所でもあり数人のキノコ採りの方が入っていました。

  みんなは鉱山の様子を確認するために、遠くを見ながら1時間半歩いていましたが、私はナイロンの袋を持って足下だけを見つめて歩きました。

    

                       

                              

   上が「ツチナメコ」というキノコで、下は今まで私とおかあさんがとっていた「アミタケ」が今日の収穫でした。

   ただし、ご案内いただいた「道の案内人」の方に私たちが「アミタケ」と聞いて「アミタケ」と覚えていたキノコは「アミタケ」ではなく学名「イグジ」当地では「モチノベリ」というキノコなのだということを教えてもらいました。

   確かに「アミタケ」はもっと小さくて傘の裏が網の目状になっているのものだと思っていました。もしかして「アミタケ」は2種類あるのだろうかと不思議に思っていましたがこれで納得出来ました。良かったです。

 

      

   ついでにこちらのキノコについてですが、昨日おかあさんが我が家の桐の切り株から採って来たキノコです。道の案内人のYさんはキノコについてもとても詳しい方なので持っていって顔を合わせるなり聞いてみました。

   「ユキナメコ」というキノコで歯ざわりの良い美味しいキノコで、雪の中にいくらか見えるほどに秋遅くまででるのですが、それほどに大量には採れないキノコなのだそうです。ナメコの仲間なので1晩置くと傘の表面は乾くのですが水で洗うとナメコと同じようにぬるぬるするのだそうです。いただくのが楽しみです。

  今晩は同期会があります。会場はスキー場です。温泉があり、最近美味しいお料理をつくるシェフが入り、経費は安く、100人が宿泊でき、会場は広い(冬季分はスキー場のレストランとなります)ので、最近は各種宴会や結婚式も行われているそうです。こうした会場を選んだわが同期会の会長は偉いです。副会長は私ですが私は何にもしませんでした。申し訳ありません。

  同期会には東京の会のメンバー19人が帰郷し地元の私たちと合わ70人の参集で、余興などもあり、くじ引きでは私に最高のプレゼントが当たりました。とても賑々しい会、旧友とも会うことの出来た素晴らしい会でした

 

      

 

 


くずし字字典!

2008年10月27日 | Weblog

 

                           

    古文書とお付き合いを始めて5年目を迎えています。ここ2年は読む力がさほど伸びていません。原因はこうした辞典を面倒くさがってひかなくなったからです。

   最初の3年はお給料をもらって古文書を解読する仕事をしていたので、終日辞典をひいていたのですが、4年目に市の予算がつかず3人、2人と減りついに誰もこの仕事はしないことになってしまったのです。

   そこでその後は「古文書を読む会」など2~3の会に入会して古文書を読んできましたが、どうしても分厚い辞典をひくのが面倒です。結果、予習をしないで学習会に行き他の方から教わってくることになってしまいます。

 

                           

   先日、仙台のしょうこおかあさんからCD-ROM版の辞典が出ていることを教えてもらいました。これがあると「用字」も「用例」もパソコンで簡単に調べることが出来ます。始めて覚えた文字は印刷してファイル(自分の辞書)を作ることができます。ところがこのソフトは29.800円と高価なのです。もう少しお小遣いを貯めないと買うことが出来ません。

   ところが、今日値段などを調べていたら「東京大学」からネット上の「用字辞典」が、「電子くずし字字典」という名前で出されていました。「用例(どのように使われるのか)」を調べることは出来ませんが、一つ一つの文字のくずし字を調べることは出来ました。29.800円の辞典の半分ほどの役には立ちます。しばらくはこれを活用していこうと思います。

 

     電子くずし字字典 (データベース選択画面をクリックして下さい)

 

  

     これは「候」という字のくずし字の1ページ目です。これら全てが「候」という字だということを覚えると良いのです。

   用字だけでなく、用例も含んだ辞典だと、例えば「御座候」とか「御座無候(ござなくそうろう)」等々の様々な使い方も示されています。もし「無」のくずし字が読めないのですが「候」が読めたら「候」をひくと「無」を使った例が出てきて読めると言うわけです。 

  今のままでは忙しくて、じっくり辞典と付き合うことができないのですが、パソコンの辞典だと何とかなりそうです。

   頑張って予習をして学習会に参加できる私になりたいと願っています

   


これから売れるリンゴは!

2008年10月26日 | Weblog

 

    先の郷土史学習会で秋田県果樹試験場(分館)にお邪魔した折、

県で作っている一番新しいパンフレットを頂きました。

    

   「秋田紅あかり」は発売されていますが、

他はまだ発売されていません。

やがて市場にデビューするリンゴさんたちです。

   「秋田紅あかり」は甘すぎてリンゴのイメージとは少し違います。

 

    他の3つはこんな味なのだそうです。

     

  私は「秋田紅ほっぺ」に期待するのですが

どんな結論となるのでしょうか。

   リンゴ栽培の方にお聞きしたら

「富士」を超えるリンゴをつくることは至難の業なのだそうです。

「富士」は青森県の果樹試験場でつくられたものです。

秋遅くの収穫です。

  私は「秋田紅ほっぺ」に多くを期待します。

 私が「富士」を超えるリンゴは商品名のない「4の23」というリンゴです。

とても美味しいと思います。

つるが弱くて商品としては売れないのだそうですが、

独特の旨味があります。

とても堅いリンゴです。

   「秋田紅ほっぺ」が実汁が少ないことや、

サイズが小さいこと、「4の23」同様早生種であること等、

「4の23」に似たリンゴではと期待しています。

名前が若干気に入りませんが・・・・。

 

  さて、どんな味のリンゴがお店で発売されるのでしょうか。

  9月からは早生の「秋田紅ほっぺ」を、

11月に入ったら「富士」を、そうなったら嬉しいですね

  

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秋色が!

2008年10月25日 | Weblog

 

        

    我が家で、今紅葉が一番早いのがこの「ドウダンツツジ」です。

 

         

  じっと開花期を待っていた「ツワブキ」が、茎をどんどん伸ばして開き始めました。                      

  

         

   春に咲いた「ブーゲンビリア」がまた咲き始めました。春と違うことは色がとても鮮やかになっていることです。新しい花がどんどん咲いています。新しい花になるほど色が濃くなっていきます。

 

     

   ひなこちゃんの「夾竹桃」も春に咲いてまた咲き始めました。春よりも花が一回り大きくなった感じでたくましい咲き方です。

    

                                         

   私はこの実は食べませんが美味しいと言って食べている人がいます。私にはこの味は甘すぎるのです。興味のある方は食べにいらしてください。

 

   花たちは間もなくなくなるであろう暖かさを惜しんで、春以上に一生懸命花を咲かせているように思います。秋のバラはまだたくさんは咲いていませんが間もなく咲き、椛の紅葉も間近です。

 

   長い冬の間中、心の中にきれいな花が咲き続けているよう、庭の花をしっかり見ておこうと思います

 

 

 

 

                            

 


洗い出しは!

2008年10月24日 | Weblog

 

  ただ闇雲に試行だけでは上手くいきません。勉強も大切です。こんなHPがありました。セメントと砂利の比率がありました。これを知りたかったのです。噴霧器をつかくことも初めて知りました。これを試みてみようと思います。            

                               洗い出しの仕方

                                                                   洗い出しで作った玄関

                               洗い出しの作品例 

 

      

   頑張るとこんな洗い出しも出来るそうです。頑張ってみたいのですが、昨日までセメントと砂利を混ぜ合わせる作業で腕が痛みます。腕の痛み止むまで敷石つくりは小休止します。     

  隣町の史談会の現地研修が近づいて(今月31日)きました。私が講師でみんな(定員33名の予定)をご案内します。そのための勉強の時期となりました。しばし盛岡までの途中の町史などをしっかり読みます。

 

                               

 

   こうした行の延べ段風の作品(切石と自然石を組み合わせたもの)も作りたいのですが、3cm以下の厚さの平板に石を切る技術は私にはありません。やはり私は庭師(自称)であって石工ではないようです。残念! 残念

 


洗い出しの目地が上手く出来ません!

2008年10月23日 | Weblog

 

    これまでに6個の「敷石」を作りました。目標では11個を作製することです。購入した(超安価に)13個とつなげて、前庭から東側のサークル部分はとばして裏庭の砂利敷きまで敷石を敷き繋げる予定なのです。ところが、裏庭に仮置きに並べた敷石をみて、裏庭に「延べ段」があると見て楽しいし、歩きやすいと気に入ってしまいました。

                    

 

     そこで、今までの敷石づくりの枠の他にもっと大きな枠を作りました。写真では正確なサイズが分かりませんが、小さい方が45×45cmで、大きい方が45cm×67.5cm(45cmの1.5倍)です。大きいのを2個作ると小さいのを3個作った長さになります。そうした並べ方の他に67.5cm幅で繋げて幅広の豪華な延べ段を目論んで見たのです。

   もっと大きい(長い)枠にすると作る回数が少なくて済みますが、重くて腰への負担が大き過ぎます。目標の11個はさらに15個程は増えそうです。のんびり根気よく作っていけばいつかは出来ると思いますが、同じものを作るのに飽き、もっと良いものをと工夫していきそうに思います。

   大きい枠を作ったのですが、逆に3分の2の大きさの小さいものをたくさん作ると我が家のガーデナーさんの花壇の園路にも使えそうです。

 

           

            

   小さいのにも大きいのにも着色料は入れず、砂利を入れて(それぞれ違う種類の砂利を入れています)、洗い出してみましたがあまり良い具合には砂利が浮いて出ませんでした。砂は入れずにセメントだけにするとか、もっと砂利を多く入れて大分固まってから(半日ほど乾燥させてから)たわしと水道の水などで強制的に洗い出してはどうかと思います。

   次回は一工夫してみようと思います

 

 

        

           

 

 

 

 

 

 

 


ホームセンターで勉強を!

2008年10月22日 | Weblog

 

    先週は大変忙しかったのですが今週はのんびりです。先週運び残していた例の閉店する園芸資材店の砂利を頂きに出かけました。途中、大きなホームセンターに寄りました。

                                                        

    「敷石」を作っている私には、資材の値段や製品の様子が勉強になります。

       

   様々な敷石がありましたが、この「みかげ乱形平板(ピンク・ブラック)」が私にヒントを与えてくれました。これは私が作っている「鉄平石」の代わりに「御影石」を使い、目地に色の着いたモルタルではなく、ピンクや黒の砂を使ったものです。接着剤でくっつけているかもしれません。「御影石」はお墓に使う石でテカテカに磨かれています。接着されている砂は石を砕いたもので決して品のよいものではありません。

   モルタルに鉄平石を配置する敷石を私は鋭意試作中ですが、モルタルの色むき出しは楽しくないので、着色料を何にするか、砕いた煉瓦、墨汁、朱墨汁、ポスターカラーなど、良い色で経費安価なものは何かを模索していました。

                       

    今回着色料を使うのではなく、目地に砂利を入れて洗い出しすると良いと初めて思いました(遅いですね)。砂利を使うと経費はほとんど0になります。我が家にある砂利は4種類です。

   

     (1) 「桜川の砂利」(茨城県水戸の砂利、今回安価に買い求めたものです)

      

 

    (2)「錆砂利」(三重県朝明川の砂利、以前坪庭に入れたもので2袋半残っています)      

            

 

    (3)「平川の砂利」(青森県平川市の砂利、裏庭全体に敷いています) 

             

 

    (4)「仙台の砂利」(産地は不明、仙台の庭師さんから頂いたもので前庭に敷いています) 

              

   どの砂利を目地に入れたら良い具合の色合いになるのでしょうか。私の洗い出しの仕方は自己流です。どうしたら立派な洗い出しになるのでしょうか。様々な方法を試してみようと思います。

       

  以前どこかで素晴らしい砂利の洗い出しを見たことがあります。東京の「住友家」の洋館の出口の階段(2~3段程)だったと思います。あれはもしかすると洗い出しというよりはセメントに打ち込んだのかもしれません。

   まずは色々試してみます。成功のためには実行あるのみです

 

     

 

 

 

      

 


ポポーを3個収穫!

2008年10月21日 | Weblog

 

         

    1週間ほど前にポポーの木の下にポポーの実が2個落ちていました(下の紫の実はアケビの実です)。

                                             

                          

   ポポーは南方系の樹木で葉っぱがとても大きいです。

 

        

   1週間ほど置いておいたらポポーが完熟しました。私は美味しく食べることが出来ますが味が濃くくせのある味ですので嫌いな人もいます。バナナの栄養価の10倍とか以前に聞いたことがありますが、本当でしょうか。

                                                                 ポポーとは

                              ポポーの販売

                              ぽぽーのお店

   ポポーの種は大分大きく1個の実に8個の種が入っていました。ポポーは大変移植を嫌います。これまで実生で育ったものを掘り上げて他所の方へ差し上げたことが何度かありましたが一度も活着することはありませんでした。我が家の樹は以前はたくさん収穫できたのですが大雪などに痛められわずかしか実らなくなりました。最近もう1個が落ちていたので今年度の収穫は3こです。我が家では実生の苗を2本育てています。もう2~3年もすると結果が見られると思います。

 

   種まきから育てると生育が期待できます。今年の種は我が家のガーデナーさんにお庭のコーディネイトをお願いしたKさんに差し上げました。Kさんのお庭はターシャのお庭のように見る限り全てがお庭です。ポポーの樹は芯を止めずにのばすと10mもの高さに育つそうです。

   Kさんのお庭の奥深くに、高々とそびえて撓わに実っているポポーの樹があったら素晴らしいと思います。成功を願います

 

 

 

   

 

  

 

 

 


天狗橋はどこに!

2008年10月20日 | Weblog

 

  昨日のことです。大日堂の禰宜さんの講演を拝聴後、S先輩と郷土の古道(巡見使道・殿様道)を探し古道は見つかったのですが、一つの神社がどうしても見つかりませんでした。


   渓谷に人だけが渡れる散策用の「天狗橋」が架けられています。

             

 

   この「天狗橋」を国道側から渡り終えると、このような説明が掲示されています。

         

    「杉沢」とは「夜明け島」の事です。夜明け島に住む天狗が一夜で「天狗橋」を架けてくれたので「天狗神社」を建てたと言われるのですが、その「天狗神社」がいくら探しても見つかりません。

   もしかすると「天狗橋」を渡ってからではなく、向こうの国道側にあるのかもしれません。新たな探求課題が生じました。どなたか「天狗神社」の場所をご存じの方はお知らせ下さい。

 

   「天狗橋」について一言。この「天狗橋」から下を覗くと大変深い渓谷です。

                    

                    

    この「天狗橋」は江戸時代に架けられていたことは確かですが、明治になって取り外されたしまいました。現在の観光用の橋が架けられたのは最近の事です。

 

   

   江戸~明治の紀行家・絵師・庭師の「蓑虫山人」が描いた「天狗橋」です。当時も凄い渓谷で欄干がなかったので大変怖かったと思います。この絵で注目したいことは大きな川の右岸に道があって左岸に渡って左岸に道があることです(注、右岸とは川上ら川下を見て右側が右岸です)。現在の国道には天狗橋は無く(東北自動車道にはあります)、左岸を上ってきてそのまま右岸に渡ることなく進みやがて「笹の渡りの橋」で左岸に渡ります(江戸時代には「笹の渡りの橋」はありませんでした)。

                                                           蓑虫山人とは

   江戸時代にあった「天狗橋」がその後無くなったのは、明治18年から始まった工事で現在の国道が完成(明治20年)したからです。 

   この渓谷にかかる橋を考えるととても複雑です。江戸時代の街道、現在の国道、東北自動車道、そして鉄道の橋です。一番橋の多いのが東北自動車道で5橋で高い所を通っています。江戸時代の街道が少なく2橋です。

   江戸時代の地図4種や「一の渡り橋普請奉行」や「天狗橋普請奉行」が残している古文書(石田家文書)を調べて、この渓谷のおおよそが分かりました。

   「一の渡り橋(最初の橋)」には、「橋」の他に「舟着き場」も準備されていたことが石田義兵衛の書いた図を見ると分かります。

 

  

 

    橋があるのに何故「舟着き場」まで準備しているのでしょうか。その答えはここの地名が「碇(いかり)」ということにありそうです。江戸時代は川が溢れる、洪水になることを「いかる」と言いました。ここは川を渡ると重要な道が左右に道が分かれる交通の要所です。そこで、洪水で橋が流されても舟で川を渡れるようにしていたのです。

   当時の「道奉行」「橋奉行」さんの苦労が偲ばれます

 

 

 

 

 

 


たくさんの新しいことが・・・!

2008年10月19日 | Weblog

 

  午前中は「石のむろじ」さんが作られるKさん宅の図面を見せて頂き、ました。さすがは石のプロです。より庭が素晴らしく見えるための様々なテクニックを活用されています。庭を一つの統一された作品として隅々まで計画されています。単なる良いものの寄せ集めではありませんでした。1000程の引き出しがあって、その中の3~4個の引き出しの内容を組み合わせてお庭を設計得してしておられるように思い、感動ひとしきり、今後の完成が楽しみです。

   午後は先の文化財保護協会で研究発表をされた大日堂の禰宜(ねぎ=神官)の講演を聞き出かけましたが、実は講演後に禰宜さんに来年度の文化財保護協会総会の記念講演の講師の内諾を頂くのがねらいでした。いとも簡単にご承諾を頂く事ができました。早めに文章で正式な了解を頂こうと思います。

  今日の3つ目の素晴らしいことは、講演会の会場で無形文化財の委員3人の内の2人の方が並んで座って講演を聞いておられました。講演が終わって委員長のSさん(例の神主さん)に当市の古道の案内をお願いしました。安代町の古道は旧安代町教育委員会が素晴らしいパンフレットを作っておりほぼ完全に踏破(車之走峠越、お七地蔵、マダの木街道など)出来たのですが、当市の街道(江戸時代の)については分からないことが多いのです。

    

    古道(巡見使道)はこんな所にありました。

        

  私も委員長さん(神主さん)も古道の出口は分かっているのですが入り口が分かりませんでした。そこで出口から車で入ると行き止まりとなり、その先は徒歩で坂を下ると国道が見えました。今では全く使われていない道で、これでは誰も分からないはずだと思いました。巡見使道は旧安代町と同じように表示板を設置したり簡易舗装をして後生に残すべきだと思いました。

  巡見使道とは、徳川将軍が代わる毎に(3代将軍から始まる)全国巡見使が派遣されその巡見使が通る道で殿様道とか天下道とも言われています。当市には巡見使は9回来ています(秋田市には11回です)。様々の古文書でその日程やルートは確認できるのですが、実際の道は東北自動車道が通った関係で車は通れず、徒歩での通行も不可能になっている所があることも分かりました。  

   今日の古道探しで、古道沿いにある貴重な神社が3つあることが分かり2つは訪れてお参りをしてきましたが、もう1つは2人で一生懸命探したのですが見つけることが出来ませんでした。

   古道(巡見使道)を復元することや、神社の確認など新たな課題が生まれた今日でした

 

   

 

 

        

 


メタセコイヤ!

2008年10月18日 | Weblog

 

    10月5日の「オジナオバナ」の調査の日に、「大日堂」境内で「メタセコイア」の巨木を見つけました。

                           

                                           

    木の下にこんな実が落ちていました。

                           

   ずっと放置していたら乾燥して中から白い種がこぼれて来ました。今日はこの種を庭のすみに蒔きました。来春無事発芽するでしょうか。発芽して巨大な大木に成長したらどうしましょうか。

   大木にはしません。庭の小松として剪定を繰り返して樹形を整えていこうと思います。

                             メタセコイヤ

 

                       

   メタセコイアは葉が柔らかく形も素敵です。

 

                        

   最初は化石で発見された珍しい植物です。我が家でも生育できるでしょうか。先ずは来春の発芽を楽しみにします

 

 

 


敷石つくり、一工夫!

2008年10月17日 | Weblog

 

   私の敷石つくり、1作目は残念ながら壊れてしまいました。2作目はレンガを砕いて色を着けようと試みたものです。

              

   割れるようなこともなく無事完成しましたが欠点があります。

   よく見ると四角がやや持ち上がっています。作った時は全く気づかなかったのですが、乾いたら真ん中がやや下がっています。どうしてこうなったのでしょうか。多分単純に真ん中のモルタルが足りなかった事に気がつかなかったのだと思います。鉄平石の配置も同じ大きさのものが並んでいて面白さに欠けます。加えて、せっかくレンガを砕いて入れたのですがほとんど色が着いていません。点数をつけると65点です。

 

   今週はお出かけの多い週で今日だけは家に居ることができる日なので敷石の3作目に挑戦しました。

           

   まだ濡れていますが四角も上手く埋まっていますし、高さも均等です。石の配置も大小ほどよく混ざっています。色もセメント色ではありません。乾いたらどんな色になるのでしょうか。高得点が期待できそうです・・・?

   さて、この赤っぽい色は何で着けたのでしょうか。レンガを砕いてこんなに濃い色を着けることは困難です。

  

          

   乾燥したらこんな具合でした。ほぼ水平に出来たこと、色の具合がセメントいろではなくまあまあだことは良かったです。石の配置はまだまだ、70点ぐらいです。

          

         

   

   できたらこんな具合の石の配置にしたいのですが、残念ながら手元にある鉄平石は小さなものだけです。               

                                           

  先ずは、良い鉄平石が手に入るまでは様々の工夫をしながら、より良い敷石を作ろうと思います・   

 

    先のモルタルの色はこうしました。練馬のともさんが黒い色にするなら「墨汁」を入れると良いというコメントを頂きました。そこで赤くするなら「朱墨汁」を、レンガ色にするなら「朱墨汁」に「墨汁」をいくらか混ぜたらと考えての試作でした。

                        

               

           

   2作目と比べて見ると色の入った方が1ランク上に見えます。

   次はサイズに問題があります。市販のものが45cmの正方形だったので合わせて作りましたが、少々小さすぎます。そこでこれまでとの接続も考えて、45cmの1.5倍の65.7cm×45cmの長方形にすると縦に使うとこれまでまでとつながり、横に使うと幅の広い延べ段に使えます。

   さてさて、上手くいくでしょうか。それにしてもたくさん作るのは時間のかかる仕事です。たくさんの敷石を作りながら、配石の仕方を根気よく学んで行こうかなとも思います