ある大学入試の英文で、 「“ tea ceremony ”(茶道) という言葉ほど、イギリス人(外国人一般も) にわかりにくいものはない」 という意味のものがありました。
なぜならば、イギリスでは、“tea:ティー” は日常を表す代表的な言葉で、お茶を飲むのはごくありふれた習慣。一方で、“ceremony:セレモニー” という単語は、逆に非日常の代表格のような、お葬式とか結婚式など、厳粛で堅苦しい機会にしか使わない単語。その両極端がくっつくというのが意味不明だというわけです。なるほど…。
本書は茶道裏千家十六代家元、千宗室さんのエッセイです。裏千家では家元になると、みな千宗室と名乗るそうですね。何と言っても、あの千利休から続く伝統の名家ですし、筆者の妻はあの三笠宮崇仁親王の次女・容子(まさこ)内親王(千容子)ということですから、私などは近付きがたい(笑)。
私の妻は裏千家の“茶名”という免状を持っていますが、私は茶道を全く知りません。それでも本書を取り上げたのは、その一部が、NHKラジオ、私の本棚で朗読されていたのを聞き、おもしろそうだと思ったからです。お茶を、見よう見まねでいただいたことは何度もありますが、どういうものなのか興味を持って読みました。
書名“昨日のように~” というのは、歴史の重み、数え切れないほどの昨日に背中を押されて自分は今日を生きているのだという感謝の気持ちが込められているようです。目次をご覧になれば、わかるように歳時記と言える書き方で、さまざまなものを考察します。
以下が目次です。
一月(年渡り;初釜式 ほか)
二月(侘び・寂び;豊かな兆し ほか)
三月(百千鳥;お酒の話 ほか)
四月(桜の下に集う;伝統と革新)
五月(柏餅の御利益;鰹の極楽 ほか)
六月(心のアスファルト・B>G雨の慎み ほか)
七月(天、紘がる;SF大好き ほか)
八月(夏休み;葉の露 ほか)
九月(絵画の気配;心の身仕度 ほか)
十月(祭りの色合い;献茶式に思う ほか)
十一月(茶人の正月;次季の実り ほか)
十二月(惜別の時;私の書斎 ほか)
こうして繰り返される季節の変化や昔から受け継がれる茶道の行事に投影しながら、自分の人生や日本文化を語ります。
本書の最初に紹介されている禅語が 『漁夫生涯竹一竿』 というもの。茶室の掛け軸によくある言葉だそうです。これが 『山僧活計茶三畝』 に続き、“修行している僧侶には三畝ほどの茶畑。漁師にはお気に入りの釣竿一本さえあれば、心豊かに暮らせるのだ” という教えだそうです。
続けて筆者は、『人生とは日々、多くの欲望や不平不満を、さながら重ね着をするようにまとい続ける “緩慢なる自殺行為” であるとも言える。しかし、その中で自分の分際というものを冷静に見つめる確かな目を持てれば、とりあえず今不要なものははぎ捨てることができるのではないだろうか』 と述べています。
千宗室氏の生きる心構えでしょうか。えらく哲学的ですが、話が固いのは前書きだけでした(笑)。酒も飲めば、食事の好みもあれこれ述べたり、お茶の話が常に中心ですが、いろいろの話題、考え方を自由に語っておられます。
自分がつい犯してしまったような失敗などもまじえているのですが、いつも冷静な自分に戻してくれるのが、季節だったり、その季節にあるお茶の行事だったりするんですね。
想像以上に気さくな感じで非常に好感を持ちました。茶道もおもしろそうだ、習ってみたいなと(笑)感じました。
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自宅でお茶を教えているんですけど、私はお茶をいただくばかりで、(私の場合は、飲むって感じですけど)お点前をしたことがありません。
なぜって・・・あのお点前の順番を覚えきれないんですよ。
プラス正座がダメ!
私って、日本人じゃないのね~。
それなのに、昔勤めていた中学校で茶道部の顧問に無理矢理(?)させられ、これを機に日本女性の美を追求するかと観念したんですけど、やっぱりダメでしたね~。
生徒から「先生、正座できないんだね、足、崩してたら?」と同情していただきました。(涙)
えっ、これまでブログで学校や先生の悪口書きまくっちゃったじゃないですかぁ。あ~あ。
まじっすか?心臓バクバク!どうしよう。穴があったら入りたい。
取り乱しております(笑)。お茶でも飲もうっと。
私もVIVAさんとわりと同じ意見の持ち主なんですよ。
学校の先生といっても、2年しかしていませんから。
職歴に入れるほどじゃありませんよね。
その2年間で、結構学校の嫌な部分を見てしまったので、ピュアな私は、ついていけなかったんですよ。(笑)
というより、私は、教えるより、自分自身が学ぶ方が合っているなあと思った次第です。
ああ、学生に戻りたい!
お抹茶も和菓子も大好きなのですが、やはり手順がダメです。覚えきれません。お菓子とお茶は緊張しないでリラックスしていただきたいなぁと思ってしまうのですよね。
だから、こういう本で雰囲気だけ味わうのが一番良いかもしれません。
ちなみに同じ理由でダイビングもダメでした。器材をつける手順が覚えきれませんでした。
私もリウマチがあり正座ができませんが「立礼式」という椅子に座ってする作法もあるそうなので、挑戦してみようかな?と思っています。
当教室の生徒でも、学校でお菓子目当てに茶道部に入る連中はいまだにおります(笑)。
ダイビングも面倒なんだ。や~めた(笑)。
私もお茶ならやってみたいのですが、妻ではなく、千宗室さんに教えていただきたいのです(笑)。バカモノ~!ってどなられそうですが…。
もちろんまだ読んだことありませんが、ぜひとも手にしたい本です。
実は(私の人生は実に「実は....」で始まるパートが多い!)
実は大学時代は茶道部だったんです。
(VIVAさん、今そこでのけぞってバック転しませんでした?)
学生運動と茶道が違和感無く納まっているのが、何でも屋の私らしいところです。ついでに言うと、中学時代はソフトボールと手芸部(ぐうぇ~!)高校時代は美術部と弓道部。なんなんでしょう、この両極端。
その時は、ただ親友にひっぱられて大して興味もなく入ったけれど、やりだすと夢中になるというパターンで....
塾にも予備校にも通っていなかったので、それだけ時間に余裕があったのでしょうね。それと私たちの時代はまだ「文武両道」の精神が巾を利かせていましたから、柔と剛の両面を磨くという先生方の指導もあったのではないかしらん。
ところで、茶道のお話でした。
要はお作法にしろお手前の順序にしろ、「愛でる」という基本精神から発しているんじゃないでしょうか。
私の先生は表千家でした。代々旧藩主の茶道の師匠だった家系で、4百年以上も経つ文化財のような自宅に、猫と一緒に住んでらした方です。数万円もするお道具にしろ茶碗にしろ、惜しげもなく部員の私らに預けて、「どんどんさわりなさい。可愛がってあげないと器は死んでしまいます」という、実にわかりやすい哲学を叩き込んでくれたおばあちゃまでした。
モノに接する基本精神を肌で教わった思いがあります。
作法などの多少の間違いは大したことではなくて、大事なのは「今この季節、この時間を、茶を介してひとと共有する喜び」ということを教えてくれたんじゃないのかな~。そんな言葉は発しませんでしたけどね。教えるというよりも、先生の態度から自然に吸い取っていったんだと思います。
またへんなこと書いちゃったな~
どうもVIVAさんのところへ来ると、こころがの~んびりしちゃって昔のことをよく思い出してしまいます。見過ごしてください。
VIVA茶室には、数万円もするものは何もありませんが、まぁお茶でもめしあがって、おくつろぎ下さい。
達人によれば、大事なのはこの時間を共有する喜びだそうですから…。