戦争のなかの京都 (岩波ジュニア新書) 中西 宏次 岩波書店 このアイテムの詳細を見る |
米軍が京都を空襲せんかったんは「歴史のある街やさかい」との学者の意見を米国政府がとりいれたからや と 教えてもろうた気がするし、ずううとそう思うてましたんやけど ほんまは 京都にも空襲があり、殺された人もおったみたい。
他の都市のように、本格的に空襲されんかったんは、原爆投下の候補地の一つとしてのこしてあったらしい、というのがほんまなんやて。
そう言うたら、広島と同じように京都は周りを山で囲まれてるさかい米国にとっては「原爆の効果」を確かめるには一番ええとこやったんやろか。
どっちにしろ、戦争中に相手のことまでそんなに思うてくれるわけがないわなあ。そやから戦争へもっていったらあかんのやで…なあ。
生活保障 排除しない社会へ (岩波新書)
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先月に買って、電車の中で読み続けた本でしたが、昨日・今日で2度ほど読みなおすことができました。
とても分かりやすい本です。スウェーデンやデンマークなどの経験、ヨーロッパ大陸の国々、アングロサクソン諸国…の様々な取り組みを紹介しながら日本のこれからの進む道を提起しているように思います。「殻の保障」から「翼の保障」へとのアクティベーションの考え方に基づく生活保障など、もっと勉強したいものです。
話は全く変わりますが、今はなくなった県立体育館であったこの先生のお父さんの演説会の手話通訳をやったことがあります。もう30年以上も前の話ですが。ほんまに全然関係ない話やなあ。
昨日・今日とお手伝いに出かけていて…
これが、昨日いただいたお昼の弁当、そして今日は
こんなお弁当をいただきました。
今日はもう眠たいのでこれだけ…お休みなさい。
グリーンコープ・共生の時代1月号は、福岡市のホームレス支援の取り組みを紹介しています。
残念なことにここでも「反対!」の大合唱があったようです。
「人間は歴史の中で経験的に学んできたことがあります。それが『人は独りでは生きられない』ということでした。人間は弱い。だからこそ『社会』をつくった。助け王と様々な社会的システムをつくったのです。生活協同組合なんてその最たるものでしょう。抱襆館の人間観も『人は弱い』なんです。人間は助け合って生きるしかないのです。」
白島町圓光寺でのお話しで先日京都ダルクの加藤武士さんもおもしろいことを言っていました。
「ダルクができることで薬物中毒者や薬物問題がやってくるのではなく、顕在化するだけなんです…」と。
つまり、どこにも薬物依存で苦しんでいる、そして回復を願っているご本人や、家族・友人が住んでいるのだ…と
広島でも路上生活者への支援が細く、でも長く続けられています。
一方、「公園からホームレスを追い出してやった」と福祉関係者が自慢げに話していたと先日人から聞きました。
えっとおどろいてしまいました。 悲しいことです。
こんな広島をみんなで少しずつでも変えていきたいものですね。手をつなげる街にしていきましょう、少しずつ少しずつ。
♪つくりかえよう 美しく…♪ なんて歌もあります。
誕生日から、このブログの見出しを POCO A POCO と 変えました。
スペイン語で、少しずつ とか ちょっとずつ とかの意味です。 ぼつぼつと生きましょかにつながります。
更生保護制度―司法福祉 (社会福祉士シリーズ) 弘文堂 このアイテムの詳細を見る |
最近、矯正教育と少しだけかかわるようになって、この教育を受けるろう者たちはどうなっているのだろうかと気になり始めました。
刑務所でも、これまでの労役から、教育へと つまり立ち直りをどう支援していくかといった方向に少しですが、流れが変わってきているそうです。
刑務所にも社会福祉職が採用されるようになり、この流れは少し大きくなっていくでしょうか
でもそのためには、社会福祉職が司法福祉の分野でしっかりと働ける物的・心的な条件を整備していかないとできません。
非常勤職では務まらないし、経験や知識の積み重ねや引き継ぎがなされないと思うのです。
そして一人ひとりの立ち直りをしっかりと支援していくために、刑務所や少年院、保護観察所などに手話通訳士も配置されていくことが必要だと思います。
だいぶエコ生活の工夫をしてきたともりなんやけど、歳とってきたらだんだんサブなって、エコエコと言うてばっかりおられへんわ。
暖房はつけるし、電気は使うし、何か心臓の手術と関係があるような気がすんねんけど、手術してからものすごう寒う感じるようになったわ。
昨日来とった、全労災の広告エコ節約いうて書いてあんねん。
ま、洗濯もんは、日光で干しよるし、自動車の免許は持ってないよってええねんけど、風呂は家族が続けてはいる…これはやな、なんぼはよ入り言うても、息子は返事だけやから、これは僕の責任ちゃうわ(育てたんはこっちやさかいな なんぼか責任があるやろかな)。あと、水筒を使う、これはまだまだやなあ。でけるだけペットボトルは買わんようしとるけど、水筒持ってはなかなかいっとらんわ。
一番は、「食べ物は必要な量だけ買う」これが難しいなあ。まあ、根がけちやさかい捨てることはめったにないけどなあ。
でも、冷凍庫にもいっぱい詰めとるし、古うなってから食べとるし、無駄やし、もったいないわなあ。
今日の各新聞は、年間の殺人事件が戦後最低となったことを報じています。「治安が悪くなった」とのキャンペーンが貼られがちですが、キチンと事実を見つめていくことが大切です。少年犯罪も激減です。「このごろの若いもんは」というのが当たってないことが分かります。逆に、高齢者の犯罪は人口増と比べても大きく増えています。こじつけて言えば、「高齢者比率の多い地区ほど犯罪率も高い」なんてむちゃな理屈も成り立つのです。まあ、そんないい加減なことを言うつもりはありませんが…。
職場の玄関口に誰かが小さな雪だるまを作っていたのは昨日の朝…。可愛いでしょう。
そしてこれは今朝の安佐インター、先週よりは随分少ないように見えます。
仕事場からバス停までの帰り道おもしろい形をしていたので撮りました。
紙屋町のバス停では、パトカーがタクシーに注意をしていましたが、パトカーが去って30秒もするとまた、…… ……
いたちごっことはよく言ったもんです。 さてさて、「いたちごっこ」を手話で表現するとどうなるのでしょう? 意味から言うと「繰り返し」でいいのでしょうかね。
ネットでニュースを見ていたら、新潟の「いづもそば」がお店を閉められる記事が出ていました。残念ですね。
私は2度ほど寄せていただき、「似島はドイツ」にも書いたことがあります。
「新潟」という手話の意味を教えて下さったのはこの店のご主人さとうさんです。
「新潟は今、船の出入りだけで表すけど以前は、指文字『5』を煮度ほど額に当て、船の出入りを現わしていた。なんでも5番目の港だから」(『似島はドイツ』P90)
95年の暮、しごとの研修会のため 新潟駅へ着いてすぐに目に入ったのが「いづもそば」 なんで新潟で出雲?って思ったお店が佐藤さんのところで、中央手話サークルの帰りに連れて行っていただいたのでした。
佐藤さんお元気で!
そば40年、閉店へ 客が手話で注文 新潟駅前
聴覚障害で耳が聞こえない店主が40年間続けてきたJR新潟駅前のそば屋「いづもそば」(新潟市中央区弁天)が、今月末に閉店する。店にはなじみの常連客らが集まり、最後のにぎわいを見せている。
店主は、阿賀野市出身の佐藤紘一さん(66)。聴覚障害を持って生まれた佐藤さんは、ろう学校卒業後に上京し、恩師の紹介で都内のそば屋に弟子入りした。「ろう者だから」と甘やかされるのが嫌で、必死に仕事を覚え、9年間、修業を積んだ。
親方の仕事を目で学び、自力でそばを打てるようになった頃、故郷で自分の店を持ちたいと準備を始めた。「耳が聞こえないのに無理だ」と最初は父親に反対されたが、店の物件探しを続けるうちに協力してくれるようになり、1970年に開店にこぎつけた。以来、家族やアルバイトと一緒に営業を続けてきた。
開店当初は客が来たことに気付かず、怒らせて帰してしまうことも。売り上げが伸びない時期もあったが、障害を丁寧に説明しながらそばを出すうち、常連客が少しずつ増えていった。
やがて常連客が電話に出たり、注文を取ったりして助けてくれるようになった。今では、佐藤さんを気遣う客がメニューを指さしたり、手話を使って注文をしたりするのが当たり前の光景だ。
味に妥協はしなかった。出雲産のそば粉を使い、つなぎは一切使用しない。天ぷらはそばの味を消すため、客に求められても出さなかった。しょっぱく味付けされたつゆは、新潟の人の口に合うよう10年かけて研究したものだ。
昨年、店が入る建物の建て直しが決まり、新店舗の出店費用や後継ぎ不在を考え、やむなく閉店を決めた。常連客の同市東区神明町、菊池繁さん(61)は、「この店では、ろう者も健聴者も関係なくみんなが集まれる。閉店時間を過ぎても飲み明かした日々が楽しく、閉店するのは寂しい」と惜しむ。
閉店は25日の予定だが、そば粉が無くなり次第店を閉じるという。佐藤さんは「本当はもっと続けたい」と未練を残しつつ、「耳が聞こえずに苦労することもあったが、お客さんに支えられてなんとかやってこれた」と笑顔を見せた。 (2010年1月10日 読売新聞)