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日清戦争時 の 広島市街地図

2010-01-04 | 手話

  日清戦争時の広島市街図が寄贈され、広島公文書館で、公開されることになったそうだ。(中国新聞1月4日付)

                        

日清戦争直後の広島地図現存 '10/1/4

 日清戦争(1894―95年)で「臨時首都」となった広島の市街地図が現存していた。明治天皇が臨席した大本営や帝国議会仮議事堂をはじめ当時の主要施設、町名が明記されている。広島の近代化であり、原爆で壊滅に至る「軍都」の始まりも表す地図は、三重県熊野市の民家で見つかった。広島市公文書館が寄贈を受け、新年度に公開する。

 広島は、日本が1894(明治27)年8月に清に宣戦を布告した翌9月、明治天皇の到着に伴い大本営が移された。続く10月には臨時帝国議会が開かれる。同時にこの月、市全域と仁保島村宇品(南区元宇品町)は「臨戦地境」として戒厳令が敷かれ、朝鮮半島と中国大陸への派兵拠点となった。

 地図は、広島城本丸の第5師団司令部を使った大本営や周辺の軍事施設、現在の県庁東館辺りに作られた仮議事堂、延伸間もない山陽鉄道(JR山陽線)と宇品港を開戦直後に結んだ軍専用の宇品線(廃線)を記載。後に埋めたてられる西塔川(中区の鯉城通り)や平田屋川(並木通り)沿いなどに広がる町並み、商業施設も書き込み、日清戦争を機に軍都の機能を増しながら全国有数の都市となる広島の原形が分かる。

  もう10年近く前に私が書いた本だが、広島の地名を現わす手話を見ていくと戦前の広島の街、戦前のろう教育の様子が見えてくる。広島の地名手話には軍都と関連した表現がとても多いし、昨年80周年を迎えた老舗のデパート『福屋』をエレベーターで表すのなどは手話が「視る言葉」だと感心させられる。

似島はドイツ―手話で歩くヒロシマの街
河合 知義
広島県手話通訳問題研究会

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  アマゾンの古本では高くなっているのですが、NPO法人・広島県手話通訳問題研究会へ申し込んでいただくとアマゾンよりは新本が安く購入できるのでぜひ、お読みください。(以上、宣伝でした。もちろん私にご連絡くださっても結構です。)

広島ブログ

☜ どうぞ読んでみてください。「似島(にのしま)はドイツ」
 

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