ネットでニュースを見ていたら、新潟の「いづもそば」がお店を閉められる記事が出ていました。残念ですね。
私は2度ほど寄せていただき、「似島はドイツ」にも書いたことがあります。
「新潟」という手話の意味を教えて下さったのはこの店のご主人さとうさんです。
「新潟は今、船の出入りだけで表すけど以前は、指文字『5』を煮度ほど額に当て、船の出入りを現わしていた。なんでも5番目の港だから」(『似島はドイツ』P90)
95年の暮、しごとの研修会のため 新潟駅へ着いてすぐに目に入ったのが「いづもそば」 なんで新潟で出雲?って思ったお店が佐藤さんのところで、中央手話サークルの帰りに連れて行っていただいたのでした。
佐藤さんお元気で!
そば40年、閉店へ 客が手話で注文 新潟駅前
聴覚障害で耳が聞こえない店主が40年間続けてきたJR新潟駅前のそば屋「いづもそば」(新潟市中央区弁天)が、今月末に閉店する。店にはなじみの常連客らが集まり、最後のにぎわいを見せている。
店主は、阿賀野市出身の佐藤紘一さん(66)。聴覚障害を持って生まれた佐藤さんは、ろう学校卒業後に上京し、恩師の紹介で都内のそば屋に弟子入りした。「ろう者だから」と甘やかされるのが嫌で、必死に仕事を覚え、9年間、修業を積んだ。
親方の仕事を目で学び、自力でそばを打てるようになった頃、故郷で自分の店を持ちたいと準備を始めた。「耳が聞こえないのに無理だ」と最初は父親に反対されたが、店の物件探しを続けるうちに協力してくれるようになり、1970年に開店にこぎつけた。以来、家族やアルバイトと一緒に営業を続けてきた。
開店当初は客が来たことに気付かず、怒らせて帰してしまうことも。売り上げが伸びない時期もあったが、障害を丁寧に説明しながらそばを出すうち、常連客が少しずつ増えていった。
やがて常連客が電話に出たり、注文を取ったりして助けてくれるようになった。今では、佐藤さんを気遣う客がメニューを指さしたり、手話を使って注文をしたりするのが当たり前の光景だ。
味に妥協はしなかった。出雲産のそば粉を使い、つなぎは一切使用しない。天ぷらはそばの味を消すため、客に求められても出さなかった。しょっぱく味付けされたつゆは、新潟の人の口に合うよう10年かけて研究したものだ。
昨年、店が入る建物の建て直しが決まり、新店舗の出店費用や後継ぎ不在を考え、やむなく閉店を決めた。常連客の同市東区神明町、菊池繁さん(61)は、「この店では、ろう者も健聴者も関係なくみんなが集まれる。閉店時間を過ぎても飲み明かした日々が楽しく、閉店するのは寂しい」と惜しむ。
閉店は25日の予定だが、そば粉が無くなり次第店を閉じるという。佐藤さんは「本当はもっと続けたい」と未練を残しつつ、「耳が聞こえずに苦労することもあったが、お客さんに支えられてなんとかやってこれた」と笑顔を見せた。 (2010年1月10日 読売新聞)