「原発再稼働、増設が絶対に必要」という自民党保守の主張の理由は、
①社会活動による二酸化炭素の増加がもたらした温室効果によって地球の気候が破局的に温暖化するため、二酸化炭素を出さない原発運転が必要。
②ウクライナ戦争に伴う石油ガス供給不安から、生活水準の維持のため原発が必要。
という理屈だった。
実は、これは自民党の背後にいるダボス陰謀団(ユダヤ金融資本)の主張なのだが、地球温暖化説を真正面から打ち砕くような大寒波が本日14日、日本列島を襲いはじめた。
これを書いている12時現在、あまりの寒さに震え上がり、手がかじかむので石油ストーブを点けた。気温は2度だ。
今夜から水道管凍結防止のため、一晩中トイレに石油ランタンを灯し、風呂場や台所では水をチョロ出しにしなければならなくなる。明日は、靴底が階段に貼り付くだろう。たぶん今冬はマイナス十数度以下に下がると予想している。
すでに、このブログで何十回も、地球はマウンダー極小期と同じ、数百年に及ぶ寒冷化のサイクルに突入しつつあることを書いた。2030年からは、天明飢饉なみの大寒波・大冷害が長期間にわたって押し寄せてくる。それは300年くらい続く可能性がある。
まさに人類存亡の危機といってよい。
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5978881.html
そして、「社会活動による温暖化=猛暑」の本質も、実は、二酸化炭素が原因というより、むしろ原子力発電温排水が最大の原因であることを何度も指摘してきた。
地球温暖化の虚偽 温暖化の本当の原因は原発温排水 2021年07月14日
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5827206.html
また、原発運転や新増設は、プラント建設、膨大な送電インフラ建設、数十万年に及ぶ人智を超えた核廃棄物の隔離保管期間に必要なエネルギーを考えると、火力の数百倍に上る炭素を排出するため、二酸化炭素抑制には完全に逆効果であることも書いてきた。
https://www.greenpeace.org/japan/sustainable/story/2020/11/14/45947/
だが、ダボス陰謀団も、その使い走りである自民党政権も、そんな真実にはお構いなしに、原発推進、再稼働に疾走しはじめている。
原子力規制委員長の更田豊志が9月で退任し、代わって就任したのが、原子力産業の使い走り=御用学者として知られる山中伸介だった。
更田でさえ、厳しい姿勢は見せかけだけと理解していたが、国は、やや頑固な更田を嫌って、さらに従順な原子力産業の飼犬である山中に首をすげ替えた。
その山中伸介は、「原発寿命を40年から60年に延伸し、定検などの停止期間は寿命に含めない」と、ほぼ無制限の寿命延長容認姿勢を明らかにした。
きーこのブログ(みんな楽しくハッピーがいい)が、その愚かさを糾弾してくれている。
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-4769.html
私は非破壊検査や放射能取扱資格を20近く取得して専門的知識もあるのだが、原発の劣化は、運転を停止すれば劣化が止まるわけではない。
原子炉内の核燃料は50~500年にわたって強制冷却が必要なほどの崩壊熱を発し続けるので、圧力容器や格納容器、外殻コンクリートは、熱応力に晒され続け、劣化が止まらず進行するので、核分裂を止めたから寿命が延びるわけでは決してない。
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5979526.html
そんなことは常識なのだが、大阪大学の原子力工学では、材料工学の基礎知識が存在しないらしい。何せ、あの統計学者にすぎない菊池誠が、専門家面して放射能安全デマを撒き散らす大学だから、極端にレベルが低いようだ。
原発推進組学者のほぼ全員が、工学系の教員ばかりで、放射線生物学を学んだ研究者は皆無といっていい。原発核廃棄物が人類に与える恐ろしい災厄を理解している者も皆無であって、みんな原子力産業の目先の利権のおこぼれをもらって喜んでいる飼犬ばかりだ。
そもそも、MOX廃棄燃料を500年間、地上に置いて強制冷却しなければならない事実を知らない者が大半だ。
人類の歴史で、500年間の安定政権が皆無であることも知らない。
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5827227.html
彼らは、自分の目先の利権に目がくらんで、人類の未来=子供たちの未来という視点が存在しない盲目者である。
もしも、「子供たちの未来を守る」という利他主義の心があったなら、原子力発電など絶対に認めてはならない。
なぜ、学者たちが科学技術の間違いに気づかないかというと、それは、幼い頃からの競争主義社会で、自分が学歴や地位で優位に立ち、その利権を守ろうとする気持ちしか働かないからだ。弱者に連帯して、未来を守るモチベーションが存在しないのである。
チェルノブイリやフクイチの巨大事故で、何が起きたのか?
原発推進派や原子力規制委は完全に忘れてしまっている。
山中伸介とともに再任された伴信彦というペテン師は、ICRP委員まで務め、「福島第一原発事故で、放射線障害は存在せず、未来にも存在しないと」いう結論を国連科学委員会の名前で提出した張本人である。
彼は、フクイチ事故後、「この事故で小児甲状腺癌は出ない」と断言した。しかし、11年後の現在、328名の認定患者が出て8割が摘出手術を受けた。実際には、全国で数万人以上の小児甲状腺癌患者が出ているはずだが、国は隠蔽したままだ。
こんなクズどもが、原発の60年超運転を叫び始めている。
一方で、福島の原発事故被災者数十万人が、いまだに故郷を追われて避難先の荒野を彷徨っているのである。
***************************************************************
【浪江原発訴訟】「国や東電の無責任さ許せぬ」4人の原告に本人尋問 「元に戻してもらいたい」「転校先なじめずつらかった」~福島地裁で第14回口頭弁論 民の声新聞 2022/12/10
http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/blog-entry-692.html
【「自宅に帰りたいです」】
「浪江の自宅は私のすべてです。それ以上でもそれ以下でもありません」
浪江町に生まれ育った60代の男性原告は、きっぱりと言った。
農家の7代目。先祖は江戸時代末期に浪江町に移って来たと聞いている。自身も県職員として働く傍ら、農作業に従事した。水は地下水をポンプでくみ上げていた。
ふるさとへの愛着から、すぐには避難しなかった。
「ふるさとにいたかったんです。それに、県庁から『避難するな』という指示も出ていました」
退職する職員が出るなか、相双保健福祉事務所(南相馬市)の職員として働いた(現在は定年退職)。100歳のお祝いで、飯舘村長泥地区のお年寄りを訪ねたこともあった。県からの賞状と記念品を届けたが、その男性は後に自ら命を絶った。
「避難指示が出て相当堪えたようです。100歳にもなって土地を追い出されるなんて、相当無念だったろうと思います」
その無念さを、今度は自分自身も味わうことになる。住み慣れた浪江町井手地区が帰還困難区域に指定されたのだ。
「許可がなければ自分の家に入れないなんて、誰が考えてもおかしいことです。イノシシに3回入られ荒らされた。冷蔵庫まで開けて物色された。2階にまで上がっていました。ネズミやハクビシンなど、あらゆる動物に入られて荒れ放題。きれいにしておきたいから機会あるごとに帰って草刈りや掃除をしています」
男性は「いつかまた、この家に住みたい」と何度も口にした。放射性物質の大量拡散がなければ、住み慣れたわが家を追われることもなかった。
「ぜひ自宅に帰りたいです。変わり者だと言われます。『あんなところで、どうやって生活するんだ』と、何人から言われたか分かりません。それでも自宅に帰りたいです」
男性は「理不尽」という言葉も何度も口にした。「元に戻してもらいたい」とも。その言葉に、原発事故被害の重さが集約されていた。
【「孫への被曝影響が心配」】
80代の女性原告は詩の同人誌を通じて夫と知り合い、福島市から浪江に嫁いで来た。浪江町苅宿の自宅庭にはツツジやウメ、サクラ、ユズの木があり、野菜も育てていた。2011年3月12日から15日まで、家族で津島地区に避難した。
「情報が何ももたらせませんでした。放射能の雨が降っているなんて知りませんでしたから、孫を屋外で遊ばせてしまいました。身を寄せた津島保育園では、孫はほとんど毎日のように屋外で遊んでいました。丼を手に、校庭で配給の列に加わったこともありました。とても後悔しています。孫が頻繁に鼻血を出したこともあり、被曝させてしまったのではないかと心配しています」
福島県現代詩人会の会員として、今も詩を書き続ける。
「原発事故でふるさとを失った会員は私と夫だけでした。原発事故で避難したこと、ふるさとを失ったことがどれほどつらいことか、私たちが書かなければ他の人に分かってもらえないと考えました。夫は原発事故後だけで3冊の詩集を出しております」
愛する夫は昨秋、天国に旅立った。夫の遺した詩集『荒野に立ちて ―わが浪江町』に、次のような一節が収録されている。女性が法廷で読み上げた。
「必ずや帰らなければならぬ 地を這っても帰らなければならぬ 杖をついても帰らなければならぬ わがふるさと浪江町に」
女性は言う。「これは夫の気持ちをよく表現していると思います」。
放射能汚染を恐れて、思い出の写真も処分した。「私が一番輝いていた時代の写真も多くありました。全部フレコンバッグに入れました。本当に残念で悔しいです」
事故前、『ふくいちモニター』に参加して発電所を訪れたことがある。担当者に「津波対策は大丈夫ですか?」と質問すると、こう答えたという。「これまで6メートル以上の津波は来たことがありません。6メートルの津波に耐え得る対策を講じているので大丈夫です」。しかし「大丈夫」などではなかった。
「今回の事故は、東電が津波対策を甘く見ていたからために起きたと思います」
補聴器をつけて尋問に臨んだ女性は、陳述書の末尾にこう綴っている。
「国や東電の無責任さを許すことはできません」
【言えなかった「福島出身」】
最後に尋問を受けたのは、20代の女性原告。震災・原発事故発災時はチアリーディング部に所属する高校1年生だった。浪江町棚塩の自宅は大津波で流されてしまった。祖母と兄が亡くなった。
被曝リスクから逃れようと、親戚のある宮崎県に家族で向かった。宮崎での生活が始まったのは2011年3月19日だった。通い慣れた高校を離れ、友人など誰もいない高校に転校した。女性弁護士から「新しい学校での生活はどうでしたか?」と問われると、小さな声で「なじめなかったです」と答えた。ふるさとを離れた複雑な想いを理解してもらうのは難しかったという。
「『なぜ自分たちだけが故郷を離れなければならないのか』という想いが強まりました。授業中に突然、涙がこみ上げてきたことがありました。浪江に帰りたい、元の生活に戻りたいという気持ちがあふれてしまったのだと思います。勉強どころではありませんでした。成績は下がってしまいました」
女性は何度も涙を流した。絞り出すように言葉を紡いだ。
「なじめないし、家族しか頼れなくて…。取り残されたような想いでした」
宮崎の高校を卒業後、女性は都内の大学に進学した。大学では、自分が福島県の出身であることを伏せたという。
「自己紹介する機会も多かったですが、福島出身と言えなかったことがつらかったです。同級生の前では『宮崎出身』と言ったりしました。ごまかしているのもつらかったです」
5月に仕事の関係で浪江を訪れた。昔を懐かしがったり、思い出に浸るようなものもなくなってしまった。もはや、あの頃の浪江町ではなくなってしまった。
「消えてしまいたいなと考えたこともありました。浪江を思い出さない日はありません。そういう気持ちを少しでも分かってもらいたいなと思います」
涙、涙の尋問だった。それでも東電は、反対尋問で家族全員に支払われた賠償金額を具体的に示した。原告たちの言葉には向き合わない。それが加害企業の法廷戦術だった。
**********************************************************************
引用以上
原子力発電は、全人類の敵である。それを行おうとするものは、自分たちだけの独占利権を求めて、ウソを並べ立てて危険性を隠し、核燃料廃棄物の処理技術が存在しないにもかかわらず「未来の科学技術の発展に委ねればなんとかなる」と、絵に描いたような無責任を吹聴して、どんどん原発を建設し、核廃棄物を生み出し続けた。
「放射能が外部に漏れ出す破局事故は、1000万年に一度しか起きない」
とデマを吹聴した、その張本人が、原子力規制委員になっている。
https://ameblo.jp/nyudow/entry-11293823099.html
実際には、原発70年の歴史で、メルトダウン破局事故は6回起きたから、10年に一度の確率で破局事故が起きる。今、フクイチ事故から11年目なので、もう時間の問題で、7回目の破局事故が起きるだろう。
原子炉の60年超寿命が安全だと信じている者は、この世に皆無である。寿命を延伸しなければならない理由は、原発廃炉が凄まじい費用によって事実上不可能になっているからにすぎない。一基の原子炉廃炉費用が1兆円に上ることが明らかになっているからだ。
日本では、最初の廃炉=東海一号炉でさえ、未だに廃炉に成功していない。危険すぎ、カネがかかりすぎるので、放置するしかないのだ。
電力企業も国も、破局事故を起こすまで原発を運転させるしか他に手段がない。
だから、60年超という、妄想的寿命を言い出している。たぶん60年も運転すれば、すべての原子炉が脆性破壊=炉心崩壊という破局事故を引き起こすに違いない。
その頃までには、原発推進関係者は、ドバイにでも逃げればいいと考えているのだろう。