リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

若月俊一と佐久総合病院

2006年08月22日 | Weblog
佐久総合病院の一つの歴史が終わった。

平成18年8月22日午前5時5分

かねてから療養中であった
若月俊一佐久総合病院名誉総長(96歳)
肺炎にて永眠。

農村、農民への愛、ヒューマニティでこの病院・地域・人をそだててきた。
一つの時代の立役者。

「農民とともに」
やってきたことは医療の民主化。

その精神は引き継がれなくてはならない。

ご冥福をお祈りします。
天国から私たちの未来を見守ってください。

最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (といぴ)
2006-08-22 13:16:47
昼の時間に「お別れの会」

職員や近しい人が焼香し別れを惜しんだ。



病院葬(あるいは厚生連葬)は1ヶ月後くらいにとのこと。詳細は未定。



なんとなく病院内が重い詰まったような雰囲気。みんないろいろな思いがあるのだろう。



南木佳士が電話でインタビュー?



「先生忙しいですね。」

「こんなときだけね。」



若月にシンパシーを寄せる人は相当いるだろう。どのくらいの反響があるのか想像もつかない。

しかし、これで佐久病院もやっと再構築に向け次の一歩を踏み出す決心ができるのだろうか。

返信する
Unknown (charlotte)
2006-08-23 21:53:13
こちらで知りました。

ご冥福を心よりお祈り致します。



私の祖母もそちらに入院しておりますので、

きっとショックな話であると思います。



先生の意思や跡を継いで行く方が

多くいらっしゃることを期待しております。
返信する
巨星堕つ (といぴ)
2006-08-23 22:58:59
「巨星堕つ」という感じですね。

新聞も各誌で取り上げられていました。

このインタビューだったのか。



毎日新聞、産経新聞(この二紙が好み)での取り上げられ方が大きかったですね。



「虚勢をはってがんばります。」

返信する
佐久病院、若月先生は心の故郷 (湯原淳良)
2006-08-25 00:42:16
昭和34年4月から1年間インターンとして勉強させていただきました。同僚には名古屋からの6人の仲間が居ました。故磯村、堀尾、堀江、小沢先生など。故船橋、佐々木、松島、故飯島諸先生の思い出、一緒に出かけた秋田・東京・野辺山の健診が思い出されます。労働組合の活動驚きでした。円形の神経科の病棟に一階に住まわせてもらい、農村医学のありようを学ばせてもらい私の一生の支えと成っています。今でも佐久に居たことは誇りになって自慢げに語ることが多いこの頃です。佐久を出て2回佐久を訪れ諸先生とお会いできましたことは今でも懐かしく思っています。
返信する
Unknown (といぴ)
2006-08-25 18:22:35
はじめまして。

僕らの世代はひ孫弟子くらいにあたり、直接的に若月先生と話をすることはほとんどありませんでした。

 反響の多さにあらためて驚いております。

 たくさんの著作や映像、全国に弟子を残してくださったので、それを手がかりに未来へのヒントをつかみ、よりよい医療、地域ををつくっていかなければいけないと思っています。



なお、新聞にも出ると思いますがお別れの会は以下の日程に決まったようです。



「お別れの会」

主催:長野厚生連、佐久病院、若月家合同

日時:10月7日(土)13時~14:30

場所:佐久病院、A、Bホール。

注意:花、香典は一切お断りだそうです。
返信する

コメントを投稿