リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
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病院がない?大北医療圏

2013年01月07日 | Weblog
ローカルタブロイド紙の恒例の新春対談の中に地元選出の宮澤敏文県議の驚愕の発言があった。

これまでさんざん述べてきたように院長と県議は安曇総合病院の老朽化した病棟の建て替えに計画にからめて地域医療再生基金という公的資金を用いてリニアック(放射線治療機器)を導入し、安曇総合病院を将来のがん拠点病院にしようと画策した。そしてどう考えても無理があるこの計画を秘密裏にそして強引におしすすめた。
その結果として本来急がれる耐震基準を満たさない病棟の建て替えの計画は遅れ、混乱を引き起こした挙句に院長が交代するという一種のスキャンダルとなった。


(大糸タイムス 2013年1月5日より)

その動きの中心人物であった地元選出の宮澤敏文県議が、今度は大北地域には「病院がない」という発言をした。

確かに大北地域には、がん治療からあらゆる救急医療まで全てを叶えられる病院はないかもしれない。
高度医療や超急性期医療は市立大町総合病院でも安曇総合病院では担えておらず、脳外科治療や緊急手術、心臓カテーテルインターベンション、がん放射線治療などは松本医療圏の病院に頼らざるをえない。
安曇野市や松本地域の基幹病院の医者に「大北には病院がないのか。ε-(ーдー)ハァ」といわれてしまうのは仕方がない面はある。

しかし安曇総合病院が自分の思い通りにならなかったからといって地元選出の宮澤県議が言っていい発言ではないと思う。
大北医療圏には安曇総合病院や市立大町総合病院という2つの病院があり、地域医療を守る努力を懸命にしている。
これは2つの病院の現場の職員をあまりに馬鹿にした発言であると思う。

その一方で、この対談の後半で県議は「県と県議でがん対策推進条例(仮称)をつくっています。地域完結医療として、大北は6万5000人と広域としては小さいわけですが、知事が大北は医療広域として残すという方向性をだしていただきました。大町病院と安曇病院の連携をしていくことを本気になって考えなくてはならないということを感じます。」と述べているのである。
「当地には病院はない」から高規格道路を作る必要があるといったその口でこのようなことをいう分裂ぶりである。

結局、無選挙で当選した宮澤県議のいう「病院」とは「自分の言うことを聞き、あらゆる高度医療ができ、職員は文句を言わずに働き、赤字にならない病院」なのだろう。

しかし病院は政治の道具ではないぞと言いたい。

このような政治家に利用されないように病院職員も地域住民ももっと賢くなる必要があるだろう。
医療ということにたいして病院から地域住民に情報を発信することが必要である。
まずは、この失言に対しては安曇総合病院と市立大町総合病院は病院として正式に抗議をすべきだろうと思う。

いまこそ政治を機能させるために。

2013年01月01日 | Weblog
新年、明けましておめでとうございます。

日本漢字能力検定協会の昨年の一文字は「金」だそうですが、私は「怒」だと思います。
何に対して「怒」っているかというと民主主義とそれをささえる装置である政治、言論の自由、マスコミの機能不全に対してです。



2011年3月11日とそれに続く日々は、ほとんどの日本人にとっては決して忘れることはできない日になったと思います。
地震と津波の大災害とそれに引き続く原発事故で多くの人の故郷が失われました。

2012年の12月に震災原発事故後、初の解散総選挙が行われました。

しかしこの選挙とその前後の動きの中で我が国においてシステムとしての政治がもはや機能していなくなってきていることを痛感しました。

野田元総理が解散したタイミングは仲間であるはずの民主党議員にとって惨敗必至の最悪なタイミングでした。

なぜ野田元総理はこのタイミングで解散したのでしょうか?
野田おろしを察知した野田元首相自らが自爆テロ的に解散したのでしょうか?
そういう側面もあるでしょうが政権交代当初はともかく今の民主党はもはや自民党の劣化コピーですから自民党がやりたくてしかたなかった増税を打ちだすなどのことも含めて自民党ともなんらかの裏取引があったのではないかと疑わざるをえません。
もちろん裏にはアメリカの意図が見え隠れしています。


(利権としがらみにまみれて、アメリカの言いなりで、おまかせ政治で一部の人がやりたい放題の日本を取り戻す)

自民党は「日本を取り戻す」という取り戻したいのは既得権益と権力だろと突っ込みたいスローガンで、民主党は「決められる政治、今と未来に誠実でありたい」というこれまたギャグかと突っ込みたいスローガンでした。
「新しい公共、コンクリートから人へ、国民の生活が第一」と言っていたかつての民主党は何処へいってしまったのでしょう。

自民党以外の政党にとって公明党や共産党はともかく、政治システムの転覆を狙ういわゆる第3極や、反原発反TPPを主張する勢力にとっても十分な準備をする時間がなく結果として自民党の大勝につながりました。

私の選挙区でも実質的に自民党の候補か民主党の候補の実質2者からしか選べず、脱原発、反TPP、社会保障の充実、雇用の柔軟化を明確に訴える政党、候補を選べませんでした。
なんじゃこの選挙。

なんにも選べない投票なのだから投票率が低くなったのは有権者のせいだけじゃないよな・・・。


そもそも野田首相が言っていたように当初、今回の選挙の主たるテーマの一つはTPP参加の是非のはずでした。

ここ数年、日本の大手マスコミは「アジアの成長をとりこめ。バスに乗り遅れるな。平成の開国。新しい貿易のルール作りに参加を。」などと参加するのが当然というムードをつくってきました。
しかしTPPは参加交渉のテーブルにつかないと情報が入らないのに、交渉テーブルにつくと脱退は難しい、ぼったくりバーみたいなものです。
それぞれの国の文化やこれまでの構造を丁寧な議論を得ずにぶち壊そうとする大量破壊兵器です。
反民主主義的なTPPの内実が知れるに知れるに連れ国内の反対世論も盛り上がり野田総理は交渉参加への道筋をつけられませんでした。
米が主導する21世紀の貿易ルールづくりに参加をと民主党の野田総理は解散前にTPP参加を主張し、それを選挙の主たる争点として戦うと主張していたはずです。

しかし何故かいつの間にかマスコミも民主党もTPPを対立軸として扱わなくなりました。
これは衆院選での民主党の惨敗が不可避とみられるなかTPP参加反対が日本の民意となり、日本の交渉参加がさらに暗礁に乗りかねないと米側は危惧してクレームをつけてきたからのようです。

米政権が「TPP争点化」に「NO」!! 首相の衆院選戦略狂う


米政府のクレームを忖度した大手マスコミもTPPを選挙の主たるテーマとして取り上げなくなりました。
民主党内にもTPP慎重派、反対派の議員も多くおり、そのまま選挙に突入し結局争点がぼやけてしまいました。

自民党も一見TPP参加 に反対しているようで、「どうともとれる玉虫色の表現」をして選挙に勝ちました。
案の定、政権交代した途端、対米従属を主たる政策とする安倍首相はさっそくTPPへの参加を匂わす発言をしています。
自民党は「聖域なき関税撤廃が条件である限り、反対」としていますが、関税など為替しだいで吹けば飛ぶようなものでTPPで本当に問題なのは非関税障壁の撤廃とISD条項なのですよ・・。
なんだかコメの関税をまもったからとかいって目眩ましをかけてTPP参加を強行されそうです。
油断なきよう。



これまで何度も述べてきたようにTPP(環太平洋パートナーシップ協定)の対立軸というのは米国VS日本、製造業VS農業などといったものではなく、グローバル企業VS民主主義、1%VS99%です。
グローバル企業は環境への規制や労働力が安く確保できるところで生産し、売れる市場があるところで売り、税金の安いところで税をおさめる一方、国家は国民の生活や環境を守る責任を負っています。
経済ごときが国権全てを超越して強欲を欲しいままに振る舞う究極の愚挙であり、いざというときに守りたくても守るべきものが守れないのがTPPの仕組みです。
情報のないところで食の安全・医療・社会システムを壊すかもしれないところにあえて突入する必要はありません。
TPP問題はグローバル企業というモンスターから民主主義や国民の生活をどう守るかどうかということなのです。

一方でTPPは国家安全保障上の問題であるという主張もあります。
北朝鮮や中国の軍事的脅威から日本をまもるためには同盟国たる米国との関係を強化するしかない、そのためには日米経済同盟(不平等条約)としてのTPPに参加するのもやむを得ないという理屈です。
そして予想どおり選挙直前になって、北朝鮮のロケットが発射され事実上のミサイルだと騒がれ、尖閣諸島に中国の航空機が侵入しマスコミは大騒ぎしました。米国の諜報組織であるCIAが動いたのだと思います。
米国は日本の憲法を改正させ再軍備させ日本に駐留する米軍の変わりに配備し、軍事兵器を売り込む市場とするとともに中国へのカウンターパワーの一翼を担わす魂胆です。
イラクやアフガンの例をみるまでもなく戦争があることで利益を上げている軍需産業は確実にあるのです。
脅しに屈してTPPに参加した先にどのような未来があるのでしょうか?
米国はもう日本など守ってはくれません。そんな余裕はないでしょう。

自民党は憲法改正、国防軍の創設などおかしなことを言い始めていますが、インテリジェンス機能を強化したり周辺諸国としたたかな関係を結ぶ道を探ることが先決ではないでしょうか。

さて、もう一つのテーマになるはずだったのが原発再稼働の問題でした。
震災、津波に引きつづいた原発事故で、あれだけの取り返しの付かない事故をおこし原発の未熟成、管理の危険性が明らかになりました。この事故は繰り返し予想されていたものでした。その意味ではこれは人災です。
放射性物質がばらまかれ、故郷は失われ、放射性物質に関する法律は反故にされ汚染地帯に人々は見捨てられ多くの人が被曝をしつづけています。政府はあえて東電を潰さず、賠償と責任逃れの隠れ蓑にし続けています。
悲惨な事故を経て明らかになったように原発はその原発事故の対応や廃炉のコストなどまで考えると決して安価で安全な発電方法ではありませんが、原子力発電所関連の施設が資産となるか負債となるかの分かれ道ですので電力会社にとっても必死の事態なのでしょう。

事故後、原発に関してはそれまでも国民は電力不足で計画停電が必要だの電気料金の値上げせざるをえないだの、景気が悪くなるだので散々脅されてきました。



しかし一番の問題は核の廃棄物(放射性物質)の処理がどうするかということへの解決法に決着がついていないものを使い続けるのかということなのです。
さらにその廃棄物であるプルトニウムは核兵器の原料となりえ、もっともいつでも我が国が核兵器をつくれるようにするために原発を動かさなければいけないという国家安全保障上の理由が原発をやめられない裏の理由の一つになっています。

では消費税増税、税と社会保障の一体改革のテーマは一体どうなったのでしょう。
民主党政権当初、年金政策について深く切り込んでいっていましたが、いつの間にか立ち消えてしまいました。
教育、セーフティネット、雇用対策などを踏まえた社会保障のグランドデザインが見えて来ません。

野田総理は3年前のマニュフェストにもなかった消費税増税を強行したのはなぜでしょう。
限られた税金の使い道を優先順位をつけてきめていくのが政治のはずです。
優先順位をつけることなく国債を際限なく発行し、未来へツケをのこし、増税を繰り返すのなら政治は必要ありません。
それを「決められる政治」とはちゃんちゃらおかしい話です。

庶民から、未来の国民(子どもたち)から財界やグローバル企業へとお金が流れていきますが、それを望む人たちがいます。
大きな力に突き動かされています。
自民党も、誰もが嫌がる増税というテーマに関しては死に体の民主党政権の間に押し付けておくという裏取引があったのではないでしょうか?


今回の選挙前、TPPや原発、増税という対立軸に対して原発再稼働に明確に反対していた日本未来の党、日本共産党の主張を大手マスコミはあまりとりあげませんでした。
一方で政策すらまとまっていない橋下徹氏と石原慎太郎氏の野合政党である維新の会を第3極として大々的に扱いました。維新の会はとんがっているだけで大筋の政策では新自由主義礼賛で自民党と変わりありません。

さらに自民党が大勝するという世論調査の結果をもとにした予想を直前まで流し続けました。
明らかに意図的でバランスを欠いた扱いです。マスコミしかPRの手段がなくネットによる選挙活動を封じているなど、新たな政党には手も足も出ませんでした。

その結果、民主党に対する懲罰が唯一のテーマとなり自民党はわずか国民の2割の得票で政権を奪取しました。

自民党は原発再稼働と自己に関する情報の隠蔽、責任の曖昧化にしたまま政権交代して早速「2030年代原発ゼロ」どころではなく、新しい原発をつくるという話になっています。
早速訪米しオバマ大統領に日本国民の生活を売り渡すTPP参加表明を手土産にしようとしています。
社会保障に関しては自助を基本とするといい生活保護の切り下げからはじまり、穴だらけのザルセーフティーネットを放置し、景気が上がれば全てが解決すると未来に借金を重ね、様々な理由をつけて税金だけはあげようとしています。
もっとも参院選まではTPPや原発、外交などには本格的には手を付けず、金融緩和、消費税増税前の前借りの需要喚起、バラマキなどでとりあえずの景気対策に終始するでしょうが・・・。
参議院選挙でも自民党が勝つようなことがあればもうやりたい放題です。

こんな政治では、とても民意が反映されているとはいえません・・。
国民をバカにした話です。

民主主義における選挙は1人1票が原則です。
(一票の格差は是正しなければなりませんが‥‥)
しかし言論の自由が保証され、様々な議論が巻き起こり、個人個人が真剣に考えるようにならなければ、資金を投じてマスコミを牛耳る大企業、組織票を集められる宗教団体や各種団体などの意向のみが反映される結果になるでしょう。
いまやマスコミと政治はワンセットになってしまっています。
権力の監視機構たる役割をわすれ、お金の力で世論を操作できる大手マスコミは言いたい放題で、だれでもコストを掛けずに発信できるネットでの選挙活動を規制する。
おかしな事です大企業や米国の手先となってしまった大手メディアの報道のみにまかせては結局民主主義は成り立ちません。
(そのことで得しているのは誰でしょう?)

それには選挙の時だけではなく常日頃からネットも活用した多種多様なメディアで政府や国会議員、官僚に情報を提供し、議論し、監視して協働して予算や制度や法律をつくるなどのことが民主主義の肥やしとなります。

政治家はたまたま代表として議会にでているだけで当選したからといって全権委任したわけではなく、市民一人ひとりが政治家を政治につながるハブとしてどんどん使えばいいのです。
(インターネットを使った個人的なロビー活動です。)
逆に言えばネットワークのハブたる政治家を選び、政治家をハブになるように育てて行かなければいけません。

私自身も多くの人と同様に社会でもがきながら様々な人の居場所と出番をつくるとともに、政治や政治家の動きを監視し、応援し、自分が見聞きしたもの、感じたもの、考えたものを発信し、ひろく議論して政治を動かしていこうと思います。

ただ日本は、基本的人権、特に表現の自由や通信の秘密を脅かす可能性が非常に高いACTA条約に批准しており、著作権違反というイチャモンがついて言論を恣意的に制限される可能性があります。
また自民党の憲法改正案は個人の人権を義務と引き換にし為政者の都合で制限しようという立憲主義の体をなしていないひどいものです。
この動きを放置しておけばますます民主主義は機能しなくなるでしょう。
国民の不断の努力によって憲法が保証する自由と権利を保持しなければならなりませんね。

願わくば今年の一文字が「希」となりますように・・・。

組織人として、専門職として、人間としての倫理。

2012年12月28日 | Weblog
近年、どの企業組織においてコンプライアンスのことが言われるようになった。
倫理意識の欠如を原因とする、企業の不祥事が増えているからであろう。
コンプライアンスとは企業や組織内の人が法律や内規などのごく基本的なルールに従って活動することである。



そして専門職としての職業倫理や、人としての倫理はさらに法令遵守の上位をいく概念であると思う。

例えば医師であれば応召義務やヒポクラテスの誓い(Do not harm.(害するなかれ)など・・)などが職業倫理にあたるだろう。
人としての倫理はなかなか言葉で説明するのは難しいが・・。

一例をあげれば患者さんが喫煙しているからといって、その患者さんの診療を拒否し、禁煙の動機づけにつながる介入ではなくハラスメントをおこなうなどはどう考えてもおかしい。喫煙についても自分の責任分野はしっかり診療した上で禁煙についての動機づけをおこない禁煙外来につなげるのなら文句はないのだが・・。
まず意図的サボタージュは組織人としての倫理に反するし、患者を傷つける行為は医師としての職業倫理に反する。
内科医はアルコール依存症の患者さんだからといって肝硬変となり吐血したからといって放置をしたり自業自得でしょうと突き放したりはしない。
内心ウンザリしながらも身体の治療をおこないつつ、精神科につなぎアルコール依存症という精神疾患に対して介入を行なっていくだろう。
また、収益をあげるために患者に必要のない検査や処置を強要したりすることも倫理に反する。

患者を診ないばかりか傷つけているそのような医師を放置しているとしたら組織として問題である。
このことはまた別のエントリーで書こうと思う。

このように組織の中に法的にまた倫理的に問題となる行動をしている人がいて直接の指摘で改められない場合、まずはライン(職制、上司)を通じた改善を訴えるだろう。
しかしそれでも改められない場合や、パワハラや違法行為の強要などで部下が上司を告発せざるをえないような場合、集団自体がおかしな方向に向かっていっている場合はどうすればいいだろうか。
その場合、トップに直結する「倫理ホットライン」などのコンプライアンス通報制度が整備されている。
しかしトップ自体が法律に違反していたり、倫理にもとる行為をしている場合はどうすればよいのだろう。
その場合は組織内で声をあげ賛同者をつのったり、監督官庁へ告発したり、マスコミへ公表して世論にうったえるしかない。

ここで思い出されるのが「ミートホープ」の食肉偽装事件である。

北海道のミートホープという食肉会社では社長の命令で、牛肉ミンチに鶏や豚の心臓やパンを混ぜたり、腐った肉を使用する際、漂白剤を使用したり、血液製剤をつかうなどのことが日常的におこなわれていた。
元工場長の告発により地元紙に食品偽装事件が掲載されたが、社名と地域は報道されず、保健所などの公的機関も動かなかった。
遂に逮捕を覚悟で警察に訴えるが、被害届がないことから確認が難しく、このような難件に割く人員はいないと受け入れてもらえなかった。
結局、告発を行った朝日新聞のDNA検査によって牛か豚かを調べた結果、偽装が立証された。
これら一連の情報は内部告発が発端となったもので、公益通報のあり方に一石を投じる事件でもあった。

さて私がこのブログを通じて組織内の恥(?)や内部の情報をさらしたことがコンプライアンスに問題はないか、組織人としてどうなのかというようなことをある人に指摘された。

記事に関しては個人の責任で意見を述べているし、個人の名誉や企業秘密、個人情報などの扱いには細心の注意を払っているつもりだ。
事実誤認などで問題があれば直接指摘していただきたい。納得すれば訂正するし、発言には責任をもつ。
秘密漏洩や名誉毀損などコンプライアンスに反することがあれば直接言っていただき、こちらの対応に納得できなければトップに通告したり倫理ホットライン、裁判などにかけて調査していただければと思う。

もっとも私だって本来ならば職場内部のこと、特に恥になるようなことは書きたくない。
しかしこれまでこのブログで報じてきたように安曇総合病院において一部の政治家と院長が結託し、公的資金を用いてどう考えても地域のニーズに合わず身の丈にも合わないリニアックの導入という無責任な動きがあった。
そして組織内でのコンセンサスもとらず、職場内の意志決定機関である職場代表者会議も上位組織の厚生連の理事会も通さずあまりに強引に秘密裏にものごとを推進しようとした。
いまさら退職していく院長を告発するつもりはないが、その事はコンプライアンスには抵触しないのだろうか。

私は現場で患者さんと向かい合っている専門職として、この計画は地域住民や病院に残って病院を支えて行かなければない職員にたいして将来にわたって不利益になることであると考え問題視せざるをえなかった。

私はその動きに反対し代案を示し、きちんと情報を公開して筋を通して議論するように求めた。
院長とのヒアリングや、さまざまな会議などでも相手にされなかったため、持ちうる手段で情報を公開し起こっている事態にスポットライトをあて、そして広く議論がまきおこる土壌をつくろうとした。

そもそも厚生連の病院は公的病院であるのだから、経営に関わる情報や現場の専門職から見て必要と考えられる医療など全ての情報を公開した上で、受益者たる住民や組合員と議論して病院を作り上げていくべきだと思う。

公的病院の方針や公人である政治家の言動を報じたり、それに対して意見を述べることが悪いことだとは思わない。
しかし職員や地域住民とも問題意識を共有すべく院内外に掲示したビラは怪文書扱いされ即回収された。
それで自分として持ちえた手段の一つがインターネット(ブログ)しかなかったというのが現実であったのだ。
その効果があったのかどうか、事態は職員や地域の人など多くの人にも知られることになりリニアック導入の計画は中止となった。
混乱はまだまだ続いているが、いろいろ議論や紆余曲折があっても最終的によい医療実践が残ればよいのだと思う。

私としてもこの病院とこの地域に愛があるうちは可能な限り安曇総合病院で診療をつづけたいと思っている。



自ら考え行動する職員や住民をつくるのは徹底した情報公開が原則であり、今後も院内、院外への情報公開を徹底し、それをもとに職員や地域住民が議論できる場をつくっていく必要がある。

それこそが今度新しく来る院長に最も期待したいことだ。

「発達障害を取り巻く最新情報」

2012年12月17日 | Weblog
塩尻市で開催された自閉症を知ろう・感じよう・考えよう実行委員会の主催による「発達障害を取り巻く最新情報」という講演会に参加してきました。
講師は長野県健康長寿課精神保健係の日詰正文氏と児童精神科専門病院・都立梅ヶ丘病院の市川宏伸氏という豪華な面々です。

日詰正文氏は長野県の精神保健センターで長く活動をされ発達障害関係者にはお馴染みの方であり、個人の療育、相談からケースワークから仕組みづくりまで幅広く活動されている言語聴覚士です。
2007年から2010年まで厚生労働省に出向し発達障害対策専門官として様々な施策づくりに携わったのちに2011年に長野県に戻ってこられました。




6年前に日詰氏の話を聞いて以来でしたが、今回もしみじみとあったかくユーモアにあふれる語り口で聞いているだけで癒される感じがします。

 こちらのエントリー→発達障害親子ディキャンプ



長野県の発達障害への施策のイメージ図をみると、オレンジプランなどの認知症の施策に近いようです。
どちらも障害への理解と支援が必要で、家族への支援も非常に大切で、サポーターを大量に養成しようとしているのは共通しています。
認知症は解体症状がすすみ終末期~死までを見据えた対応が求められるのに対し、発達障害は発達していく存在であり社会に居場所をつくり就労支援などに至るまで長い関わりが求められます。

発達障害は見た目ではわかりにくく周りからも気づきにくいために支援の開始が後回しにされやすい障害でした。
感覚過敏などの特性は本人はずっと同じ状態だから周りの皆んなもしんどいと思っています。
でも、周りからも気付かれません。ですから周囲が知識をもたないと気づいてあげられないのです。
身近な地域の保健、医療、保育、福祉、教育などに携わるものが確実に理解できるようにしておくことが重要です。
昨年の大震災の時も避難所で音が聞こえすぎて困る子が想像を超えたうるささを感じてても、ワガママだと思われ車の中で生活せざるをえないようなこともあったようです。
また味を感じすぎていたりということで支援物資の食事が食べられないこともあり、何が食べられるかというような情報が一番求められたりしたそうです。

発達障害は生まれつきのその人の特性であり生涯ずっと付き合うものです。
発達障害者支援の全体像を把握し、必要なときに必要な支援をガイドできる専門家や情報共有の方法が必要になります。
たとえば音が聞こえすぎて困る、呼ばれてもわからないといったような特性を持つ子に絵カードや文字で説明するというような支援の方法があります。
大人の社会にそんなサービスはないから通用しないという声もありますが、構造化というのは様々な場面でされているし、上手に発達障害をもつ人を活かしている職場は活用していたりします。そんな職場の取り組みを厚生労働省のホームページで紹介していたりします。
発達障害サポートマネージャーや発達障害を理解できる医師を養成したり、進学したり就職したり医療機関がかわるなど支援者がかわっても継続的に支援するための情報共有のためのファイリングシステム(パーソナルレコードというか取扱説明書みたいなもの)の普及もいそがれます。
アセスメントのツールや支援の方法も世界で使われているいいものを長野県でも使えるようにしていこうと取り組んでいるそうです。

日詰先生はあるとき支援で出向いた学校で小学校の子どもたちに自閉症の説明をするように求められたそうです。
そこで子どもたちに自閉症の◯◯君の対応について聞いたら「ささやかないとびっくりするじゃん」「見せなきゃわからないじゃん」と言われ教えられたそうです。
この子たちのようにピントがあっている人は発達障害の支援と言わなくても上手にやっていたりします。
それを褒めてその意味をきちんと説明できるのが専門家の役割だそうです。

発達障害に関する正しい知識を県民全体に広め、行く場所も増えというふうになっていけばもっと生きやすくなるだろうと話されていました。

長野県発達障害支援センター
発達障害者支援・情報センター
世界自閉症啓発デー・日本実行委員会

引き続いての市川宏伸氏の講演会は治療や支援に関するUptodateな知識や動きをの網羅的な話でした。

発達障害支援法に至る法整備の動きや、発達障害の診断基準、発達障害と行為障害(非行)、いじめ、虐待、特別支援教育、医療、薬物治療、検診システム、司法との関係など様々な話題について次々と話がすすみました。

特に来年改定される国際的な診断基準であるDSM5の話では広汎性発達障害に関しては自閉スペクトラム障害にまとめられ、感覚の過敏や過鈍も診断基準にはいるそうです。またADHDとの併存が認められるようになるそうです。
診断基準がより現場の実感に近づくようでこれは嬉しいことです。

ただし診断だけしても意味が無く診断は対応(治療)の存在が前提であるということは強調されていました。
薬に関しては主たる治療法にはなりませんが、特に二次的症状に関して用いられ上手に使えば他の治療法のための有力な補助手段になるそうです。
ご家族も薬物に関しては期待や不安などもあり関心が深いのだと思います。
さまざまな薬の使い方につていもお話がありました。
こうして、まとまった話が聞けるのはありがたいことです。

午後は「星の国から孫ふたり」という映画の上映があったようです。私はこれには参加できませんでしたが、いづれ見てみたいですね。


「不登校を考える県民の集い」に参加

2012年12月11日 | Weblog
2012年12月8日、文化の香りが漂う、でもとっても寒いあがたの森文化会館で「第3回不登校を考える県民の集い」が開催された。

この会は主に不登校児をもつ親などの有志による実行委員会形式で始まったものだが、県政への提案や各地での活動の広がっている。不登校経験者の若者もくわわったボランティアで運営がおこなわれ今年で3回目になる。

私自身、児童精神を専門にしているわけではないが不登校児の相談も増えていることもあり、昨年ははじめて勉強のために参加させていただいた。
その縁もあり今年は実行委員から相談と座談会に専門職のアドバイザーとしての参加を頼まれた。


(あがたの森文化会館)

午前中は予め予約を受けていた家族の相談を5件ほどうけた。
相談というのは診察室よりやや閾値が低く、ポジションも微妙に違う。たまに診察と勘違いして来る人もいるが精神医療との出会いの一つとして非常に意味のある取り組みである。

午後は10ある座談会のテーマのうちの一つで「医療との関係」という座談会にアドバイザーとして参加した。
「上手に医療と係るためにはどうしたらいいのでしょうか。」というサブタイトルだった。

「不登校は医療機関にみせるな」というような声もある一方、養護の先生などは「医療につかがったらお任せ」となってしまう現実もある。
昨年は医師とスクールカウンセラーの連携はどうなっているのか?言うことが違うなどという意見も出た。

まず、医療をどう使えばいいのか、使わないほうがいいのか。
医療を使うとしても医療機関や医師もいろいろで、どこにどうかかっていいのかが難しい。
医療につながっていても医師との相性もあるし、医師が高圧的であったり逃げ腰だったりする。
そして薬を使うことや精神障がいとして支援を受けることにまだまだ抵抗があったりする。

不登校支援において医療にできることは果たして何であろうか。
医療は本人の病態、発達特性、家族との関係、周囲との関係などこんがらかった状況を整理し診たてることのお手伝いはできるだろう
そして診断により治療や支援の方向性を示しうるということはある。
さらに付き合い続けることで小中、中高の連結をこえて医療は長い目で見た支援の連続性を担保しうる存在になりうるかもしれない。
本人が受診するのが難しければば家族や支援者のみの相談し機会をうかがうことも意味はあり、家族が焦らずに余裕をもって本人に接することができることが何より大切である。
不登校であっても先を見据えた支援、発達や成長を保証することが必要。しかし中学を卒業するととたんに支援が乏しくなり、地域に多様な場が求められている。
本人や家族が集まれる場をつくり育てて支援していくという役割もある。
街の保健室や電話での相談、フリースクール運営などの活動をしている方も参加されていたが、学校を離れて支援活動をするようになって、はじめて不登校児の居場所がないというニーズや医療の役割を認識したという方もいた。



最後に不登校経験者の青年たちのスピーチがあったが、これは親や支援者たちに希望を与える素晴らしいものであったと思う。


「ちくほっくる」で勉強会

2012年12月07日 | Weblog
知り合いのPSWさんから職員の研修にまねかれ筑北村の福祉就労施設「ちくほっくる」を訪問。
Iターンで信州筑北村に来て障害者の支援と、地域づくりをもり立てている熱い方だ。
就業後の時間にスタッフに対して主に薬物療法、向精神薬についてお話しディスカッションした。
頓服薬は何かというところから、作用、副作用、シェアードデシジョンメイキング、錐体外路症状といったところまで話。



「ちくほっくる」は精神障害者、知的障害者の働く場、生活リハビリの場であるが、山間の窪地の人口約5000人の村で唯一パン屋でもある。プロの手ほどきのもと手作りの本格的なパンを作っている。イートインもできスープやコーヒーなどの軽食も食べられる。
渡り廊下でつながった裏の建物には知的と精神である程度分けられたディケアの様なスペースがある。



「ちくほっくる」は筑北村から村社協への指定管理で運営されており、就労継続B型事業所、生活介護事業、日中一時支援、地域活動センターとして運営されている。収入の多くは福祉の方から得ているが、多くのスタッフ、当事者が関わっており、村の小麦を挽いた強力粉でパンをつくるなど地域づくりにもかかわる様々な仕掛けも手がけているらしい。

パンは美味しければリピータがつき毎日消費するものだから、障害者雇用の場としては一般的だがここのパンはレベルが高かった。
病院内にこのくらいのカフェがあればとおもう。

本日は病院の玄関でディケアのバザーが行われていたが、当地には大町のがんばりやさん、有明のパン屋さん、などパンを作っている作業所はいくつかある。
役場や企業になど訪問販売をおこなっているようで病院内で日時を決めて職員などに販売できるようにしたらどうかと思った。

障害年金は社会保障?

2012年12月07日 | Weblog
我が国の社会保障は基本的には申請主義である。生活保護も年金も介護保険などの諸制度も申請しなければ利用できない。

消費者金融のTVCMは盛んになされるが、生活保護はTVCMでその存在を知らせてくれたりはしない。
むしろ某芸人の家族例のように生活保護受給者をたたき受給を避けさせるようなネガティブキャンペーンばかりだ。
生活保護で救済されるべき人が社会福祉協議会の生活福祉資金貸付で対応されているなど必要な支援にたどり着くのは至難の業だ。

障害年金という制度もあるが精神障害においては受給するには非常にめんどくさい手続きが必要となる。
そもそも初診時まで年金を払っていないと受給できない。
発症時に年金を支払っていなかったばかりに年金を受け取れないという人も結構いる。
高齢者であれば障害や収入、資産の有無にかかわらず経団連会長であってももらえるというのも、高齢者=弱者とも限らない現在おかしいと思う。
いまの日本の年金制度は社会保障ではなく低品質な金融商品であろう。

統合失調症で仕事を続けることも困難となり(他院に)入退院を繰り返しながら年金が受給できるということを知らされず、親が10年以上国民年金を収め続けていたケースもある。

実際、障害をもちながら生活を成り立たせられるだけの収入が得られる仕事につくというのはかなり難しい。
身体障害や内部障害など他の障害ではそういうことは無いのだが、精神障害に限り就労時間や月収なども各く欄が増えた。

年金の申請にあたり初診日証明などの書類を取り寄せたり、申立書をかくことなどは統合失調症や、うつ状態のひとにはとても不可能な作業であり大抵はケースワーカーが一緒に手伝って書くことになる。

一方で不況が続き失業して生活困窮し、うつ状態となり、かといって持ち家があったり車を保持していたりで生活保護の受給まではためらわれるようなケースで年金申請の相談をうけることがある。
障害によるものでなければ他の制度が優先されるべきであろうが、非正規雇用のケースなどなかなか難しい。

「うつ病で障害年金を年間216万円貰う方法」などネットなどでもたくさん見つかるが、社会保険労務士などでそのような手続きの相談や代行を行なっているところもあるようである。

初診から1年半後から障害認定を受けられる。そして申請日から最大5年前まで訴追請求ができ認定されれば数百万円の一時金が入ることもある。これは、かなりの大金であるから申請する方も必死である。

年金申請が受理されるように診断書の書きかたの例(ひな形があるのだろう)を持参したり、受診に同行されたりすることもある。
微妙なケースは通るとは限らないと断った上で嘘にならない範囲で書くが、制度を守らなければいけない立場でもあり微妙な気持ちになる。
どのくらいの報酬か聞いてみたところ年金の2ヶ月分だそうだ。

このようなことを経験するにつけ、年金や失業保険、生活保護などをなくし、変わりにベーシックインカムとパーソナルサポートサービス、住まいのサポートなどに転換すべしと感じる。

選挙を機に、この国のあり方に関心をもとう。

2012年12月02日 | Weblog
中央道の笹子トンネルの天井が崩落し大惨事となっている。
思えば原発事故も耐用年数を超えつつある古い設備を甘いリスク管理のもとに使い続けたことが大惨事をまねいた原因の一つである。
政治屋は新しいものはどんどん作りたがるがインフラの維持管理とか廃棄にはお金をあまり回そうとしない。

これからこのような古い建造物の劣化による事故がますます増えてくるだろう。

日本の各地で人口は減少に転じ空き家もますます増えてくる。
長野県内の空き家率は今でも19%もあるという。
当地でも放置された空き家が崩れて道を塞ぎ問題となったりもしている。

山間の集落では高齢化と人口減少で集落の機能が維持的ない限界集落も増えているようだ。
居住域が広がれば広がるほど道路や水道、電気、通信、病院などのインフラの整備と維持にお金もかかる。
治安の悪化も懸念される。

どのように地域を再生し、高度経済成長期に拡大していった社会インフラを取捨選択し、経済活動や生活地域を縮小していくかということがこれからの主要なテーマとなるだろう。
そこではスマートディクライン、コンパクトシティが合言葉になる。
北海道夕張市などはその取り組みの最先端だろう。

長野県でも医療需要もそろそろ頭打ちであり、介護需要もまもなく頭打ちとなると予測されている。
そのなかで必要な医療内容を取捨選択し、連携を強化し地域に必要な医療を残して行かなければいけない。

安曇総合病院でも、一部の政治家と院長が進めようとした将来の大北医療圏のがん診療拠点病院を目指してリニアック(放射線治療機器)を入れるなど診療メニューを急性期よりに拡大発展していくという方向性に、職員と地域住民の良識で待ったをかけ、身の丈にあった地域を支える医療を充実する方向に舵をきった。

それでも耐震基準を満たさない古い病棟の建て替えは急がなければならない。


12月16日の選挙は東日本大震災・原発事故以後最初の選挙である。

この選挙は日本のこれからの方向性を決めるとともに、民主主義の維持と日本の独立の覚悟を問われる選挙だと思う。
選挙というのは政治参加する方法の1つであるが、政治から目を話しお上に任せてきた結果として、今の選挙で選べることというのは本当に減ってしまった。
いっそネットでの選挙をおこない国民投票をイシューごとに行えばよいのに(直接民主制)とも思う。
何も変わらないような一票ではあるが、行使しないと社会はますます変な方向にいってしまう。

経団連の会長でも年金がもらえる一方で、真に困窮している人に必要は支援が届かずに餓死したり凍死したりしている。
今の年金は社会保障でもなんでもなく悪質で低品質な金融商品でしかなく制度としても信頼するに足りない。
原発村をはじめとするさまざまな利権により特権階級が生まれる一方、格差の拡大や貧困の増大は放置されている。
中国や米国など外国との関係も問題が山積だ。

憲法改正やTPP参加で深く考えずに一気にぶち壊したい願望にかられるが、果たしてそれでよいのだろうか・・。

自民党は立憲主義に基づき公権力の暴走を縛るはずの憲法を、公権力が思うままに国民に義務を強いるようなものに変えようとしている。

アメリカというイギリスから飛び出て独立した人が西へ西へとインディアンを追いやりながらすすみ西海岸に達したら今度はハワイを占領し、日本の木と紙で出来た家を焼き払い、ベトナムの密林に枯葉剤を撒き散らし、イラクを空爆し、アフガニスタンを攻撃しということを性懲りもなつづける迷惑な国家である。
日本などていのよい金づるのパシリでしかないのだろう。
アメリカの国家中枢はすでに多国籍企業と軍需複合体に乗っ取られてしまっており、マネー資本主義というカジノの胴元(1%)に逆らうものは大統領であれ暗殺される。

そしてそんな胴元たちの意に反した日本のリーダーはことごとく葬り去られてきた。

前回の選挙の時に民主党の党首であり首相になるはずだった小沢一郎氏はいちゃもんのような政治資金規正法違反罪で強制起訴され、マスコミによって「金と政治」などという汚いイメージをつけられ政治の表舞台から撤退を余儀なくされた。
しかし長い裁判の末、結局無罪となった。首相になるはずだった人を非民主的に引きずり下ろしたその責任は誰も取らない。
続いて党首となった鳩山由紀夫氏は沖縄県民も日本国民も願っているはずの普天間基地移設問題で米と対立し、マスコミにより「お坊ちゃん」のイメージをつけられ首相の座を追いやられた。

アメリカに潰された政治家たち
孫崎 享
小学館


1%に支配されている大新聞やテレビメディアなどのマスコミは平成の開国、バスに乗り遅れるなどといい、TPPで中国に対抗するために日米同盟を強化するのだという論調でTPPへの参加を急げという社説を掲載してきた。
民主主義から程遠い秘密裏に行われる農業や医療、サービス、著作権など多方面にわたるルールのパッケージでの押し付けだというのに。
これまでもアメリカは日本に年次改革要望書などという露骨な内政干渉(なぜかあまり報道されない)をつづけてきたがTPPはそれにお墨付きを与えるものなのである。TPPで国家の主権と民主主義と国民の生活が脅かされ、ACTAで言論の自由が脅かされている。

選挙でTPPが焦点となり多くの人にこのカラクリに気づかれてはいけないとおもったのかでマスコミは当初ほどTPPのことは言わなくなった。

TPPへの加盟で、多国籍企業>米の法律>TPP>日本の国内法 という支配が完成する。

多国籍企業は国家の力をはるかに超え国民の雇用や生活、環境に責任を持たないモンスターとなった。
安い労働力があり環境汚染の規制が緩いところで生産し、市場とお金があるところでえげつなく売り、税率の低いところで税を納めるだけである。自らの利益のためには戦争を起こすことも辞さない。そうして得た利益は1%の支配層のもとに入り格差は拡大する。
それを難しくしている国内法などを非関税障壁の名のもとにまとめて取っ払おうというのがTPPの本質である。
TPPにおいて弱者や環境を守るための各国が制定した規制や法律、日本語という言語や文化、慣習なども非関税障壁といわれてしまう。
非関税障壁により投資したのに期待したリターンが得られなければISD条項(野田首相は知らなかった!)で提訴し賠償請求できるようになってしまう。
毒まんじゅうといわれるISD条項は、各国が自国民の安全、健康、福祉、環境を、自分たちの国の基準で決められなくする「治外法権」規定なのである。

交渉に参加して国益を守ればいいという人もいるが韓国FTAをみればわかるように交渉は軍事力を背景としたパワーバランスで決まるのだから日本の国益など守る交渉などができるわけがない。

外圧であるTPPを利用して国内のルールをかえ、しがらみを打ち壊してしまおうという動きもあるが、その結果の責任をだれがとるのか。

韓国FTAの時のように、この選挙前に北朝鮮か中国から軍事的な動きがあり、その恫喝(ショック・ドクトリン)で対米従属の世論を誘導するような動きがあるだろうと思っていたら案の定そのような動きが始まっている。CIAなどの米諜報機関の工作による北朝鮮のうごき、それにのっかった我が国のマスゴミのプロパガンダであると私はみている。

そして一方には人権などという概念はなく周辺国家はすべて王土に服従し征服されるべきものという中華思想が抜け切らない中国が控えている。
中国にとって反日は矛盾の高まる国内をまとめる戦略でしかない。

TPPにかぎらず1%の人のために99%の人の生活が犠牲となる仕組みは気づかない間に着々と作られている。
中国とアメリカという2迷惑大国にはさまれ、多国籍企業の思惑に翻弄され、資源も土地もない日本が辺縁国家としてどのように生き残っていくか・・・。

私達にできることはなにか?まずそれぞれの立場からそれを問うことだろう。
”Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country.”
暗殺されたケネディ大統領の言葉である。

「一身独立して国家独立する。」
福沢諭吉の言葉である。

軍事力をもたないのであれば、教育にとことん力をいれ土木、農業、工業技術者や医療従事者を大量に要請して国際貢献をおこなう。
原発に頼らなくてもいいような低エネルギーではあるが幸福度の高い生活モデルを創出することが必要である。
そして専門性の高い諜報機関をつくり、インテリジェンス機能を高め世界と渡り合っていくことが必要だろう。

内村鑑三の「デンマルク国の話」が思い出される。
今、世界でそれに一番近いことをやっているのはキューバだろうか・・・。

日本でも地方分権の実現に先駆けて、たとえば北海道だけでも制度を半独立させてモデルを示すなどすれば良いと思う。

民主主義とはそもそもめんどくさいものである。ヒーロを待っていても世の中は変わらない。
日本の未来と国民の生活を第一に考え行動してくれる政治家はだれか、真剣に情報をあつめ考えぬいて投票しよう。
その後も政治に関心をもち、様々な手段で関わり続けることも必要であろう。

ヒーローを待っていても世界は変わらない
湯浅 誠
朝日新聞出版


内閣府参与も務めた湯浅誠氏の近著。
「どの政党がいいか、誰がいいかと議論しても何も変わらない。いまや政治不信はシステム自体の不信に質的に変化している。そんな中、橋下さんという得難いヒーローを得て議会政治と政治システムそのものに手をつけようとしつつある。「誰か決めてくれよ、ただし自分の思うとおりに」と言いたくなるが、言い放つだけでは変わらない。拍手喝采して既得権益をバッサバッサ切っているのはやし立てているうちに自分が切られていたということもありうるだろう。民主主義のめんどくささを引き受け、自分たちで考えて決める民主主義にしなければいけない。そのためにはそれに参加することを可能にする時間と空間を確保することが必要だ。意識の問題と考えずに参加のバリアを下げることが民主主義の活性化のため、ひいては社会の活性化のために重要だ。」

はじめての漢方は補中益気湯がおすすめ

2012年11月24日 | Weblog
北相木の松橋先生の漢方の講演会(クラシエ主催)があったので松本まで行ってきた。
前回は「抑肝散加陳皮半夏」であったが、今回は「補中益気湯(ほちゅうえっきとう)の処方解説」なんだもの・・・。
松橋先生ファンかつ補中益気湯ファンとしては行かないわけにはいかない。

なんといっても補中益気湯は私が漢方に目覚めさせてくれた方剤だ。
自分がばててどうしようもなく、疲れているのに眠れなかった日々に補中益気湯を飲むと眠れるようになった。
また疲れると出てきていた痔も治ったということで漢方に信頼を寄せるようになった。
台湾にいったときは生薬で買ってきて煎じて飲んでみたが実に美味かった。

メーカーによると日本で人気のある漢方製剤は補剤が主だそうである。
高齢化し体力が低下し補剤が必要な人が増えているということかもしれない。
いわゆる補剤として補中益気湯、六君子湯(りっくんしとう)、加味帰脾湯(かみきひとう)、半夏白朮天麻湯(はんげびゃくじゅつてんまとう)、十全大補湯(じゅうぜんたいほとう)、人参養栄湯(にんじんようえいとう)などがある。
補剤の主たる対象は気虚(機能の低下、エネルギー切れ)や血虚(貧血など物質の低下)である。
そして補中益気湯は補剤の雄である。

補中益気湯を入院症例全員に飲ませれば良いということを言っている乱暴な本もあるくらいである。

本日、学んだことも取り入れながらこれら方剤に関してまとめてみる。

中医学の病理学をおさらいすると、中医学で気(き)は体の機能的な側面を表し、血(けつ)は実質的、物質的な側面を表す。
さらに血の一部として津液(水)がある。
これらのが一連のシステムとして人体の機能をなしたものが正気(せいき)である。
外部の邪気(風、寒、暑、湿、燥、火)と戦っているのが病気の姿である。
一方、気、血、水が流れているのが正常であり、流れが滞ると気滞(きたい)、血瘀(けつお)、水滞(痰湿)などの病態となる。
気は血や津液を流す働きがあるが、気虚となると津液の流れが滞り痰湿が起こりやすい。
痰湿が生じると脾気虚が更に進むという悪循環が生じる。
これを断ち切るために補気や去湿が必要となる。

この目的で用いられるのが六君子湯である。

六君子湯は脾を中心に全身に気を補う人参(朝鮮人参)がメインであり、白朮(びゃくじゅつ)、茯苓(ぶくりょう)がサブ。
この2つは対薬となっており、どちらも補気、燥湿の作用がある。白朮は(補気>燥湿)、茯苓は(補気<燥湿)でありバランスがとれている。さらに甘い大棗(ナツメ)、辛い生姜(ショウガ)で食欲を出す。全体をまとめる甘草が加わる。
どれも君子のように優しい生薬であり、ここまでで四君子湯(しくんしとう)であるが、さらに気虚の結果生じる痰湿にも配慮したのが六君子湯である。
六君子湯ではシトラスの香りのする陳皮(ちんぴ、ミカンの皮、理気(気を整える)、開胃(食欲↑)、燥湿)と、半夏(はんげ、理気、止嘔、去痰作用)が加わり、胃の痰湿を取り食欲を増進させるという配慮がされている。
まとめると、六君子湯は体の機能やエネルギーが落ち、胃の症状があり食欲がないケースに適応がある。

さて補中益気湯である。
六君子湯との違いは何か?
補中益気湯は補剤としての働きがより強く、気虚に伴う全身の症状に対して効果がある。
補中益気湯は体全体の気を補う人参と、体の表面(皮膚や肺など)の気を補う黄耆(おうぎ)、脾胃(消化器系)の気を補う白朮の補気トリオが方剤の中心となっている。
これに気血同源ということから気虚に引き続いておきる血虚にも配慮して当帰(とうき)が加わり補血、活血作用を加えている。
さらに補中益気湯を補中益気湯たらしめている生薬として柴胡(さいこ)、升麻(しょうま)が必須である。
これらは気を上にもちあげ、内蔵を身体のあるべき位置に保つ升提陽気作用をもつ生薬で内臓下垂、脱肛などを改善する。
これに理気健脾の陳皮、食欲改善の大棗生姜、全体をまとめる甘草が加わる。

今回の講義では述べられなかったが補中益気湯は柴胡剤の一部であり小柴胡湯証の人が弱った時に用いれば良いという口訣もある。
古典的な使い方として①中気下陥②気虚発熱③気虚出血(気虚が主、血虚が主なら加味帰脾湯がベター)が適応となる。
一言で言うと「バテた人」に用いれば間違いない。
うつ病治療の補助としてもとても良い。(不眠や抑うつが強ければ加味帰脾湯がよい)
あまりに弱って死にかけるところまでいってヘロヘロな枯れた感じの高齢者などには十全大補湯か人参養栄湯がよいが・・。


(松橋先生はスライドは使わずホワイトボードに書きながらの講義である。)


さて半夏白朮天麻湯も六君子湯から発展した方剤であるが、気虚がベースで痰湿から生じためまいや頭痛など様々な症状に用いられる。六君子湯に補気の黄耆や消食理気の麦芽、めまいを抑える天麻が加わっている。
さらに化湿の蒼朮(そうじゅつ)や利湿の沢瀉(たくしゃ)など痰湿に配慮し、痰湿は熱を持ちやすいことから黄柏(清熱燥湿)を加え化炎を予め予防している。次の証に移行していくのを予想して予め防いでいる。
一方で、甘く痰湿を悪化させうる甘草や大棗は抜かれている。だから半夏白朮天麻湯は六君子湯や補中益気湯のように甘くない。
まとめると「元気がなく、ふらついてめまいや頭痛など頭部の症状のある人」に適応である。
私は起立性調節障害の子どもに出したりもしている。

他にも補剤といわれるものは気血両虚に対応した十全大補湯(枯れた人に適応)、加味帰脾湯(不眠やクヨクヨしている人に適応)、人参養栄湯、清暑益気湯、清心蓮子飲などグラデーションをもっていろいろあるが、病後の方や高齢者に六君子湯や補中益気湯を中心に出すと喜ばれる。

2つ目の講演はスパルタ式のめまいの集団リハビリをおこなっており、難治性のめまいの患者があつまる横浜市立みなと赤十字病院の新井先生の話であった。入院しての集団リハビリで入院したOBがきてボランティアで教えているというのがピアヘルプでいいとおもった。
そこで、めまいで入院し中程度の抑うつ傾向のある人に補中益気湯をだして効果を上げているそうだ。つかうようになったきっかけは漢方をつかう医師が入院していて、新井先生がばてている様子をみてすすめられ、飲んでみたところその効果に驚いたからだそうだ。

補中益気湯の効果を感じるためにはまずは自身が疲れてバテた時に飲んでみて欲しい。
普通の薬局でOTCでも売っており、ユンケル黄帝液やゼナの高級なものと同様の生薬が入っており、ユンケルやゼナなどよりもはるかにリーズナブルである。(OTCのものは医療用よりやや量がすくない。ユンケルと違って糖やカフェインもなく安心して飲める。)

めまいは寝てては治らない―実践!めまいを治す23のリハビリ
新井 基洋
中外医学社

安曇総合病院、再構築に向けて・・。

2012年11月21日 | Weblog
全職員が参加できるように同一内容で3日連続で全体集会があった。


アリバイ作りみたいな集会であったが、全員で再構築をやるんだという空気を作るのが目的だろう。
再構築はリニアックの問題で足止めしていたため、地域医療再生交付金を使っての事業の期限は迫っており本当に時間がない。
その中でもめいいっぱいみんなの希望や夢を取り入れるために意見を言える場を設けるのが目的である。




新倉先生がリーダーシップをとってこれまでの経緯を説明する。
再構築に向けて、いくつかの課題が残っている。

まず経営体力の課題である。正直言って経営体力はない。
それから地域とのつながり。大町病院なども含めた大北地区全体での医療再編も課題である。
最期に、執行部は?病院のリーダーは一体どうなるのかという問題もある。

そんななかで何故、今再構築に踏み切らなければならないのかというと・・・。
それは築43年の古い病棟が、耐震基準をクリアせず、今、大きな地震が来たら患者さんと仲間の命が危険にさらされるからだ。
しかし他の厚生連病院も建て替えの次期を迎えており、この時期を逃すと安曇病院の建て替えは10年、20年先の話になってしまう。
それでも市民病院や日赤病院のように地域の事情で他の病院のように自治体からも多くの支援は望めない。
そんな中、がん、救急、地域医療に使える4億円弱の地域医療再生交付金を建て替えに使えるという公算となった。
しかしこのお金は平成26年3月までに着工しなければ使えない。

最終的には来年2月の厚生連の理事会で了承をえなければならないが、それまでに地域のニーズと職員の希望をいれた病棟の計画を作らなければならない。
本当に時間はない。

再構築に向けての大きな方針として

・救急としてそれほど高度なことがいきなりできるわけはないが、HCUを整備する。
・がん診療としてリニアックは入れないことになったが、緩和ケア病棟や外来化学療法など本当に充実したものを充実させていく。
・在宅支援科ができ訪問診療の体制ができてきているが、それをさらにおしすすめ地域・在宅・医療支援の仕組みをつくっていく。

アイディアをふくらませ、みんなに声をあげていく機会をつくっていきたいとのこと。
でもね、とできない理由をさがすのではなく、それはいいね、どうすれば?とふくらませていくべし。


(研修医も発言)

ついで、事務局から職員からこれまで出た案や病棟の建て替えの場所のいくつかつかの案が発表された。
これまではいくら議論しても全然具体的でなく、現実感はなかったが、いよいよ具体的になってきたためか、院内職員の目つきもかわってきて、いろんな職種から積極的な意見もどんどん出るようになった。

自分も「各職種がそれぞれの巣にこもってしまわずに、自然に院内外の多職種、多職域のスタッフが顔をあわせられるような仕掛けの病棟を」と発言させてもらった。

地域の医療の未来を真剣に考えてみませんか?

デスカンファレンス

2012年11月21日 | Weblog
先日、今の病院にきてはじめてデスカンファレンスを小規模多機能事業所で行った。
ケアマネが声をかけ、主介護者、主治医、訪問看護、福祉用具、ディケア、小規模多機能のスタッフなどが参加した。

認知症をかかえ高齢夫婦で通院していた方で数年間外来に通い、通院も困難となり、病院からの在宅訪問診療の仕組みをつかってフォローしていた。嫁が戻ってきて主介護者になり小規模多機能も利用するようになり、終末期には訪問看護も加わって在宅での看取りまで関わらせてもらった。

夏の間に徐々に食が細りベッド上となり、肺炎となり3日間だけ点滴をしたが結局入院はせず家で過ごされた。
新規にできた小規模多機能のスタッフも訪問看護と連携しながら終末期まで連日訪問してくれた。

家族は当初、病院につれて行かなきゃと思っていたそうだが、主治医の「この段階で肺炎になるのは自然の経過でこれが治っても繰り返して亡くなっていくのですよという言葉で、そうかと気持ちが楽になりました。」とおっしゃってくれた。

カンファレンスではディで活き活きと過ごされている写真や、ひもときシートを見ながら経過をみんなで振り返って、医療はいちばん後ろから支えてみまもることが役割(でも大事な役割)で家族や介護スタッフが最前線だったんだなぁと改めて感じた。

うまくいったケースも、まずかったかなぁというケースも看取りのあとに皆で振り返ることが大切なのだろうと思う。
デスカンファレンスはケアのあり方を見直したり、またグリーフケアとしても意味があることだと思った。

長野摂食嚥下リハビリテーション研究会~認知症と向き合う

2012年11月17日 | Weblog
松本歯科大学で開催された第8回長野摂食・嚥下リハビリテーション研究会に参加した。

テーマは「認知症と向き合う」
当院からはST3人、医師2人、CW4人が参加していた。
治療食をつくっている複数のメーカーが様々なとろみ製剤やソフト食、補助栄養食などの試食コーナーをだしていた。
栄養士や歯科衛生士、看護師も参加できればよかったな・・。

このジャンルで当世を代表する3人の講演があったが質疑応答の時間やディスカッションの時間がなかったのは残念。



まず、東京都健康長寿医療センター研究所の平野浩彦先生。

「認知症の背景疾患(アルツハイマー型認知症など)は進行性の疾患、予見性をもったケアが求められる。」
初期のIADLレベルの買い物や調理といったところの障害から終末期の摂食・咀嚼・嚥下といったところまで食に関わる支援のニーズが移り変わっていく。
木を見て森を見ない対応ではいけない。しかもその森は季節が移り変わっている・・。

ついで東京ふれあい医療生協 梶原診療所の平原佐斗司先生。在宅医療のエキスパートだ。

「食べられないときにどうするか。」食べられない原因の見極めが必要。
肺炎などの合併症によるもの、認知症の中核症状の進行によるもの、それとも回復できない嚥下障害によるものか・・。

合併症による食思不振は肺炎や尿路感染、心不全の悪化などの場合もあるし、便秘や口腔内のトラブルによるものも、薬の副作用によるものも多く、これらにに対応することで食べられるようになることもある。

認知症の中核症状によるものは、注意障害や食べ物の認知の問題、失行や味覚の低下、口腔顔面失行、嚥下反射など・・病期によって様々な原因がある。視覚などに依存せず、より原始的な感覚をつかうなどの工夫が必要である。

回復できない嚥下障害は頸部聴診法や簡易嚥下誘発試験、場合によっては嚥下造影や嚥下内視鏡で総合的に判断する。
認知症の予後については様々な研究があるが、悪性疾患に匹敵する予後の悪さである。肺炎や発熱、摂食障害がみられたら半数近くは半年後に他界するというデーターもある。
そのように判断した時に意思決定の支援が必要である。
認知症の終末期で胃ろうを作っての延命効果に明確なエビデンスがない。他の要因による個人差が大きく命の長さはわからない。
(1年生存率10%~90%と様々)

認知症の終末期においては認知的感覚は失われるが直感的感覚は保たれる。
認知症にも緩和ケアという考え方が必要である。
認知症の人は表現できないものの痛みや息苦しさなどは感じている。BPSDが身体的苦痛を表していることもある。

終末期の意思決定の支援として、意思決定に参加する人を決定する。その際、直接介護に関わっていない遠方の息子なども含めなるべく全員に参加してもらうことが大切である。(カルフォルニアドーター現象を避けるため)
医師からの病期の自然経過や患者さんの経過など十分な情報提供のもと、複数の選択肢の中から患者のQOLと尊厳について代弁してみんなが考えることが必要。医師からは苦痛を感じていらっしゃるということや、未来のために長くいきたいという感覚は患者さんの中にはないこと、命が長いかとうかはこの段階では問題ではないことなどを伝えるそうだ。
その際、患者さんのアドバンスドディレクティブがなされていれば参考になる。

最期に北海道医療大学の山田律子先生の映像たっぷりのレクチャー。

高齢者の楽しみの第1位は食べること。
しかし認知症が進行していくと食べることにも支障をきたすようになる。
ただし「食べない」イコール「食べたくない」、「終末期」ではない。
認知症の方は自分で環境をととのえていくのが難しい。
そこに支援が必要で、何故食べないのか真意を探求することが必要。
支援者も環境の一部である。早期から多職種によるチームアプローチが重要である。

たくさんありすぎて集中できない、熱い、まずい、失禁している、失行や失認がある、白内障で見えない、器の色とのコントラストがなく飯がなくなったことに気づかない・・・。
器の色を変える、食器を変える、フランス料理のように一品ずつだすなどの工夫が有効なことも。
徹底した取り組みで亡くなるギリギリまで食べさせる支援をつづけたグループホームのデーターから嚥下反射が消失するまでは食べ続けることのできる可能性を示した。

認知症の方に関して食支援は大きな課題である。
精神科で認知症の方と関わっていて、BPSDの大変な次期を家族とともに乗り切ってきたが、肺炎などを繰り返すようになって他科で見られるようになりいつの間にか胃ろうをつくって施設へということもあった。
主治医のバトンを渡しそこねたケースだ。しかし最近は訪問診療もすすめられるようになり在宅で看取りまでかかわれるようなケースもでてきた。食支援に関して多職種でかかわる仕組みを作っていきたい。

臨床研修指導医講習会

2012年11月17日 | Weblog
知り合いの先生から声がかかり、長野県病院協会と医師会の共催する臨床研修指導医講習会のワークショップのファシリテーターとして参加することになった。
どっちかというとパシリテーターですが・・。

週末の2日がまるまる潰れてへろへろでした。
しかし他の病院の先生方と知りあえたり懐かしい大学の同期やかつていた病院の先生ともあえたのは良かったです。



ワークショップ形式の講習会でアイスブレーキングから始まり、成人学習理論に基づくカリキュラムを作ったり、院内体制の立ち上げや、医療面接、告知のロールプレイをしたり、医療安全やメンタルヘルスなどの講義やグループワークがあったり盛りだくさん。

その内の1つとしてチーフタスクフォースから認知症のケアカンファレンスのロールプレイのシナリオを作れとの指令が・・。

よくわからなかったが、大学病院の先生なども参加するワークショップなので多職種協働とケア会議の重要性をを示せればということで現実のケースをいくつか組み合わせてつくってみたのが以下のシナリオ。ついでに認知症や在宅医療への理解が深まればということで・・・。

まず、山手線ゲーム的に医療に関わる多職種を一人一つずつ言ってもらいました。政治家とか、MRとか、行政の福祉課の職員などが出てくるのはさすが・・・。

ついで模擬カンファレンス。地域では多職種で実際のケースをもとにケア会議をする機会なんていっぱいありますが・・・。

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認知症をもつ方の在宅支援のためのケア・カンファレンス シナリオ

【患者背景】 82歳 女性。(春野ウメさん(仮名))
[本人の情報(入院前)] 要介護1 J2-ⅡA
<サービス利用状況> 訪問看護を週1回のみ利用
<既往歴> 特筆すべき既往はなし。糖尿病、高血圧が最近みつかった。
<経済状況>地方都の町の旧市街地の町中の古い小さな持ち家に年金での生活。
[家族の状況・居住状況・生活状況]
10年前に夫と死別、以後独居。畑にでかけたり、俳句などの集まりに出かけていた。年金は自分で管理し、買い物は近くの商店への自分で行っていたが最近は家にこもりがちであった。息子家族は車で15分くらいのところにおり、嫁も働いており週1度くらい訪問して世話をしている。娘は車で40分程度のとなり町に嫁に行ったが月に2度程度、買い物や温泉入浴施設などにつれていくなどの関わりをしていた。
【生活史】3人兄妹の2番目、次女として出生生育。兄妹はすでに他界。中学卒後、工場で働く。25歳で町役場の職員の夫と結婚。1男1女を育てた。10年前に夫が他界。以後は独居。
【現病歴】気ままな性格。医者嫌いでほとんど病院にかかったことはない。X-2年春頃より物忘れが増え、あまり外出しなくなった。身なりに構わなくなり嫁に対して家の物を持っていったなどの発言もあり、訪問販売でだまされかけたこともあった。またお菓子など甘いものを食べることが増えた。X年3月に元気がない様子があり娘がA病院になんとかつれていったところ糖尿病と側頭葉に小さな脳梗塞がみつかり精査と血糖コントロールのために入院となった。しかし混乱が激しく怒り入院継続できず結局数日で自宅に退院。通院も拒否するため訪問診療もしているクリニックより訪問でのフォローを開始した。当初は拒否的であったが慣れてくると「ありがたいね。」と喜んで迎えてくれるようになった。訪問看護も入り内服薬は服薬カレンダーで管理していたが、半分くらいしか服薬できていなかった。お風呂もあまり入なくなりご飯は自分で炊いていたが嫁がもってきたおかずを食べるなどして生活していたが冷蔵庫の中で腐らせたりした。しかしディサービスやホームヘルパーの利用は拒否的であり、嫁にたびたび電話して理由なく怒り「ダメな嫁だ。」と辛くあたった。X年8月に訪問看護師が訪問時、暑い部屋でぐったりしており発熱もあり訪問したクリニックの医師の判断でA病院に救急車で来院。著明な脱水と尿路感染症あり補液と抗生剤の点滴で治療をおこなった。徐々に食事も食べられるようになったがスタッフにも依存的で臥床がちでありリハセラピストの働きかけにも拒否的であった。HDS-R(長谷川式簡易知能スケール改訂版)は18/30で時間の見当識障害と短期記銘障害あり、頭部CTでは海馬と側頭葉の萎縮が目立ちアルツハイマー型認知症も併存していると診断された。血糖はエネルギーコントロール食と経口血糖降下薬のみでコントロールがつき、入院約1ヶ月で屋内歩行とベッド周囲での動作は自立し退院も考えられるようになったのでX年9月、ケア会議を開催することになった。今後1~2年間でさらに認知症の進行が予想され、このままでは自宅での生活継続が厳しくなる状況であることが予想される。


役はくじでランダムに決定。①~⑥の人のみに設定を配布。

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ケアカンファレンス1回目のロールプレイの設定

①【指導医】
患者さんは退院可能であるとだけ伝え、基本的に研修医にケア会議を任せる。「あとはケースワーカーとケアマネさんにまかせて。」といい退院後の生活にあまり関心がない。「うちは急性期病院だから。」と長期入院になるのを嫌がる。
②【研修医】
入院中、担当医として指導医とともに治療にあたった。指導医から多職種のカンファレンスを開催するように言われた。本人の状況とお嫁さんと話から自宅での生活は不可能であると考え、病状説明の後、家族の意向を聞き施設入所の方向で話を進める。
③【ケースワーカー】
家族の意向を聞き特別養護老人ホームは待機者が多くすぐには入れないので、老人保健施設を経由して民間のグループホームを申し込んではどうかと提案する。
(老人保健施設:リハビリ機能と多少の程度の医療機能を備えた中間施設、在宅準備のための入所とショートスティとディケアの機能がある。本来、在宅生活の支援施設だが、特養(入所施設)への中間施設となっていることもある。)

家族
④【嫁】
頻繁に絡んできて妄想もある義母の介護につかれ施設への入所を強く希望している。できれば、それまで病院に入院させて欲しいと訴える。「もう家では絶対に無理です」と何度もいう。
⑤【息子】
自分としては自分の家での同居をすすめたい気持ちもあるが、本人は拒否しており、嫁も同居を快くおもわず、自分は仕事であまり関われていないこともあり、施設入所もしかたがないと考えている。

⑥【ケアマネージャー】
カンファレンスの流れで、施設へ退院方向となり複数の施設を申し込む段取りを家族とおこなうことになる。

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全体ディスカッション。わりと活発に意見が出た。
役割を増やして再ロールプレイ。

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ケアカンファレンス2回目のロールプレイの設定

⑦【ケースワーカー】ケア会議を企画し司会を行う。ひと通り自己紹介してから、研修医へふる。今後、介護サービスをより利用するために介護保険の区分変更の必要性を指摘する。話の流れが止まればまだ話していない人に話をふる。
⑧【研修医】指導医の見守りのもと、ケア会議へ参加する。病状と予後を説明する。患者との信頼関係はそれなりにできており、患者から「先生、うちに来とくれや」と言われている。
⑨【指導医】主介護者の嫁をねぎらう。研修医や家族、どの職種からも情報や意見を引き出してまとめる。
⑩【病棟看護師】
病棟ではトイレで迷うようなこともあったが、食事はエネルギーコントロール食をホールでとれていて夜は安眠できていること。薬は1日1回にして毎回手渡しをしているが拒否なく飲んでいること、血糖値は100台で安定していることを伝える。
⑪【リハビリのスタッフ(今回は代表して理学療法士)】
歩行は自立しているがまだ耐久性が低くふらつきがあり、転倒の危険性があることを伝え、家屋訪問した結果、住宅を一部改修し、ベッドをレンタルで入れて夜間はポータブルトイレを使うほうがよいと考えている。時にリハビリをしたことを忘れたりしていることがあると伝える。
【家族】
(本人)家での生活を続けたいが、心細く、息子夫婦が今の家にきて同居して欲しいと思っている。(嫁のせいで息子が同居してくれないと思っている?)カンファ直前で出席拒否。
⑫(嫁)可能な限り世話をしているが、姑に頻繁に絡まれ妄想の対象にもなり疲れ気味。義母の介護につかれ施設への入所を強く希望している。できれば、それまで病院に入院させて欲しいと訴える。「絶対に無理です」と何度もいう。
(息子)自分の家に同居をすすめたい気持ちもあるが、本人も拒否しており、嫁も快く思わず、自分はあまり関われていないこともあり施設入所もしかたがないと考えている。仕事のため今回は参加できず。
⑬(娘)家族が協力し支援を増やすことで、家での生活が続けられないかと願っている。
⑭【ケアマネージャー】
将来的には同居やグループホームなどの利用の可能性も考えつつも、治療食の配食サービスや、新たに町内にできた小規模多機能事業所(訪問介護、通所介護、宿泊をすべて行う。定員25人で要介護度ごとの定額制)を使えば自宅での暮らしを継続できるかしれないという腹案もある。
⑮【訪問看護師】
本人が普段から寂しい思いをしているのを知っており、なじみの人が上手に誘えばディサービスなども利用できるのではないかと思っている。本人へ支援がはいることで家族の負荷が減れば、逆に家族も余裕がでてかかわれるようになるのではないかと考えている。
⑯【訪問診療をおこなっているクリニック医師】
多職種と連携して定期的な訪問診療と緊急往診、24時間の対応をおこなっている。時々、研修医も受け入れている。研修医に訪問の同行見学をすすめる。

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ディスカッション後、ミニレクチャー。
半数弱の参加者は多職種カンファレンスを普段から経験、半数はほぼ初体験のようでした。
数年前は「ケアマネ何それ?」という指導医もいたようですが、介護保険制度も成熟してきたためか、田舎の病院の医師が多かったせいかわりと慣れた感じでした。

まぁまぁ初期の目的は達成できたかな~。

ケア会議の技術
野中 猛,上原 久,高室 成幸
中央法規出版

安曇総合病院の行方は?

2012年11月16日 | Weblog
安曇総合病院の再構築の動向についてはあちこちから注目されているらしくいろいろ聞かれる。

すったもんだの末、安曇総合病院は地域医療再生基金でリニアックの導入は目指さないことになったところまでは周知の事実であろう。

中川院長は「リニアックを入れて看板を掲げ急性期病院を目指さなければ安曇病院は先がないんです!」と主張していたが、あの手この手をつかっても院内の意見はまとまらず、コッソリやるのも限界で勇気ある撤退をすることを決意した。
だいたい「◯◯をしなければおしまいだ」というような物言いで脅しをかけ議論をすっとばし性急な決断を求めるときには何か裏があるのだ。
これに対し、がん征圧をライフワークとし、中川院長とともにこの計画を推進してきた宮澤敏文県議が「准がん拠点病院は大町病院にするぞ!」とおどしてきているような話も聞く。
「どうぞ。」と言いたい。
肺がんはともかく、産婦人科や泌尿器科、消化器外科などがんに関わる科は大町病院の方が充実している。
大町は松本や安曇野市からも遠い大北の中心であるし公立病院の方が補助金などの支援も得やすいだろう。

安曇総合病院では中川院長が撤退するという話や後任の人事などについて噂はいろいろ聞こえてはいたものの情報統制で確たることはわからずオープンにも出来ない状態だった。
それが本日、職員全員参加の参加を要請された職員全体集会がありはじめてこれまでの動きの一部が公表された。
(ってわが国の国会の有様みたいだな・・。)

まずは中川院長から収支の報告。
これって普通、事務長がやることだと思うだけど・・・。
グラフや数字をスライドで示し、今年前半は赤字になった。外来収入は伸びているが入院での収入が減っている。一方で人件費が伸びている。

人件費を抑えて患者を確保しろとのこと。
あいかわらず確保って・・(~_~;) 犯罪者か~。

そんな中川院長は6月に長野厚生連の理事長から、「病院再構築における管理者の中での対立(リニアック問題)に関して、病院運営における安曇病院の危機を感じる。」とのことで名誉ある撤退(?)をすすめられ、派遣元の医局の大学教授からも「安曇病院に残っているのは難しいのではないか?」と言われ来年3月での選択定年(予定より1年早い)での退職を決意したことを発表した。

しかし後継人事に関して両副院長は院長になるのを辞退した。
(まるで副院長が追い出したように思われても困るからだろう。)

この重要な時期に院長不在の混乱を避けるため、かつて中川先生を安曇総合病院院長として紹介した長野厚生連中南信担当の理事である富士見高原医療福祉センター統括院長の井上憲昭先生を中心に後任人事が検討されたようだ。


突然現れて仕切りだした井上先生

その結果、本院、精神科、白馬診療所などをセンター化し独立運営とし、そこに新たに骨盤底治療センター(!?)を追加。
大学泌尿器科教授の西澤 理先生を統括院長として2013年秋以降に正式に迎え先生のライフワークである骨盤底治療センターを開設する方向性となった。
(またもや青天の霹靂!)
さらに本院の院長として2013年4月から整形、リハビリテーション部の畑幸彦先生を迎える方針だそうである。

それらの体制が整うまでの間、井上先生が院長代行として週1回来て診療をやりながら再構築の実務もやるということのようだ。
厚生連の病院同士や信州大学との関係を強化し、安曇病院は大北地区の基幹病院を果たすべく古い病棟の再構築は来年度中に着工し1年半くらいでおこなう方針で、来年2月までに計画をまとめ厚生連の理事会で承認を得る方向とのこと。
実質的に占領軍の統治下に入り、傀儡政権が樹立されるということだろう。


(・・;)??


ベテランの外来看護師さんが
「思いきって発言します。新しい院長には若い先生の声を聞いて欲しい。医局でまとまって欲しい。内科もバラバラではなく一つでまとまってやってほしい。地域の住民として安曇病院が潰れては困る。職員もそれぞれの人は良い人なのだが、まぁいいかとやる気を出さず、つめたくなってきているように感じる。」
と見事に安曇病院のかかえる課題を浮き彫りにする発言をしてくれた。

さまざまな疑問が浮かんでくる。

何故、院長が交代とならなければいけなかったのか?
院長、統括院長、院長代行と3人も院長的な人をつくってそれで組織がまとまるのか?
管理者の中での対立というが一体何があったのか?その総括はどうなのか?
そして何故、この地域で突然骨盤底センターなのか?
(それこそ産婦人科や泌尿器科が充実している市立大町総合病院の方がいいような気もするが)
一般内科医が足りないといっているのに泌尿器と整形外科の院長を二人も招聘するのか?
大町総合病院や安曇野赤十字病院との連携や役割分担はどうなのか。

やはり地域の状況、地域住民のニーズと現場から見て現実的に必要と思われる医療が先というよりも「信長の野望」みたいな旗立てた!のようなことや、大きいことはいいことだみたいな価値観が見え隠れする。

これじゃ、コソコソやってリニアック欲しいといっていたのと変わらんやんけ~(~_~;)。

とにかく、あまり大げさなことはせずにハードとしては在宅医療を推進する地域ケアセンター(病棟中心)だけはつくって、あとは普通にいろいろ使いまわせるシンプルで使い勝手のいい病棟を作り、ソフトとして高齢者を地域で支える仕組みを整備すればいいとおもうのだが・・・。

しかし現実的に政治屋などとうまくやり合い、地域や本所と渡り合い、病棟建て替えを強力に推進していける人材がいないのも確かで、富士見での実績のある井上先生をうまく利用してやっていくしかないのも現実か・・。

地域の医療の未来を真剣に考えてみませんか?

第7回障がい者雇用促進セミナーのご案内

2012年10月28日 | Weblog
第7回障がい者雇用促進セミナー

2012年11月2日 13:00~16:00



松本文化会館(キッセイ文化ホール)国際会議室

基調講演:診断と精神科医を使いこなす
~みんながハッピーになるための精神医療の使い方のヒント~
 安曇総合病院精神科 樋端 佑樹

シンポジウム
~ 合理的な配慮をそれぞれの立場から ~
雇ってハッピー♪働いてハッピー♪支援してハッピー♪