JR東日本が、岩手県の宮古市、岩泉町の了承を得て、岩泉線(茂市ー岩泉:38.4km)の廃止届けを11月8日に出しました。
2010年7月末の土砂崩れから復旧すること無く、3年あまりのバス代行輸送を経て、ついに廃止が決まりました。
http://www.jreast.co.jp/railway/pdf/iwaizumi_20131107top.pdf
現存する全旅客鉄道路線を乗車した私ですが、岩泉線を訪れたのは1度しかありません。今から11年ほど前の2002年7月28日です。
1日に3便しか終点の岩泉まで行くことが出来ない、岩泉線。
当時JR全線乗車の目標もほど遠く、まずは東日本で安いきっぷ(当時の3連休パス)があるから、乗っていない場所へ行こうって感覚でした。
当時の写真を掲載しましょう。
茂市駅にて出発を待つキハ52形
キハ52形の車内
岩泉駅に到着したキハ52形
岩泉駅
岩泉駅の駅名標
終端の駅ではあるが、その先もけっこう線路は続いている。元々は、三陸鉄道北リアス線の小本まで伸びる予定だったらしい
当時の岩泉駅時刻表。1日わずか3往復のみ
発車を待つキハ52形
キハ52形のサボ
キハ52形だった車両はやがてキハ100形に変わりましたが、この時代には乗ることができず、土砂崩れの影響で、そのまま廃止の時を迎えてしまいました。
震災前に代行バスを撮った写真がありましたので、それも掲載しておきましょう。
2011年1月31日に撮影した岩泉線代行バス
秘境駅などでも知られていた岩泉線。乗った時は、地元の利用客より、乗車目的の観光客の方がずっと多かったことを覚えています。
自然災害などではありませんが、これから廃止になる路線だと江差線の木古内ー江差も同様に、地元利用者より乗車目的の観光客の方が多いですね。私一人しか乗っていなかったこともありましたし。
キハ100形時代にも1度行きたかったなと言っても後の祭り。やはり、行きたい場所には、行けるうちに行っておけということですね。
信楽高原鉄道も廃止になりそうだし、あれも7年以上前だけど、行っておいてよかったな。
2010年7月末の土砂崩れから復旧すること無く、3年あまりのバス代行輸送を経て、ついに廃止が決まりました。
http://www.jreast.co.jp/railway/pdf/iwaizumi_20131107top.pdf
現存する全旅客鉄道路線を乗車した私ですが、岩泉線を訪れたのは1度しかありません。今から11年ほど前の2002年7月28日です。
1日に3便しか終点の岩泉まで行くことが出来ない、岩泉線。
当時JR全線乗車の目標もほど遠く、まずは東日本で安いきっぷ(当時の3連休パス)があるから、乗っていない場所へ行こうって感覚でした。
当時の写真を掲載しましょう。
茂市駅にて出発を待つキハ52形
キハ52形の車内
岩泉駅に到着したキハ52形
岩泉駅
岩泉駅の駅名標
終端の駅ではあるが、その先もけっこう線路は続いている。元々は、三陸鉄道北リアス線の小本まで伸びる予定だったらしい
当時の岩泉駅時刻表。1日わずか3往復のみ
発車を待つキハ52形
キハ52形のサボ
キハ52形だった車両はやがてキハ100形に変わりましたが、この時代には乗ることができず、土砂崩れの影響で、そのまま廃止の時を迎えてしまいました。
震災前に代行バスを撮った写真がありましたので、それも掲載しておきましょう。
2011年1月31日に撮影した岩泉線代行バス
秘境駅などでも知られていた岩泉線。乗った時は、地元の利用客より、乗車目的の観光客の方がずっと多かったことを覚えています。
自然災害などではありませんが、これから廃止になる路線だと江差線の木古内ー江差も同様に、地元利用者より乗車目的の観光客の方が多いですね。私一人しか乗っていなかったこともありましたし。
キハ100形時代にも1度行きたかったなと言っても後の祭り。やはり、行きたい場所には、行けるうちに行っておけということですね。
信楽高原鉄道も廃止になりそうだし、あれも7年以上前だけど、行っておいてよかったな。
次に江差線の木古内ー江差も控えていますけど。大糸線の南小谷ー糸魚川も廃止の噂が絶えないしなあ。
名松線も末端区間は人が乗っていないところですけど、本数はもう少し多いですね。
復旧することになったことは知っていますが、廃止しなかったのは少々意外でした。東海交通事業に押しつけないのも不思議なんですけどね。昔々、そうなりそうだった路線もあるので。
1日3便とは、スゴイですね。車社会、過疎化…、など利用者を減少に歯止めがかからず残念です!
鉄道に関しては、お詳しいみやした様ですからご存知かと思いますが、JR東海の線区では、名松線の存続が決まり復旧工事が始まっています。
鉄道好きの一人として、私は車と交通機関の使い分けをしてます。