チェーホフ著、松下裕訳『六号室』より引用。
「どうしてだと」と、イワン・ドミートリチは医師につめよると、せかせかと病人服をかきあわせながら叫んだ。「どうしてだと。盗っ人め!」と彼は憎々しげに言いはなつと、唾をひっかけようとする口つきをした。「いかさま師め!首切り役人め!」
「まあ落ちついてください」とアンドレイ・エフィームイチはすまなそうにほほえみながら言った。「誓ってもいいが、わたしは一度だって盗みをしたこともないし、ほかのことでも、なんだかあなたはえらく大げさに言っておられるようですな。どうもあなたは、わたしのことを怒っておいでのようだ。どうか、できることならね、まあ落ちついて、そして冷静におっしゃってください、どうしてわたしのことを怒っておられるのか」
「じゃアなぜあなたは僕をここへ閉じこめておくんだ」
「それはあなたが病気だからですよ」
「たしかに、病気だ。だが何十人何百人という気違いが娑婆にはうろついてるじゃないですか、あなたがたが無学で、病人と健康な人間との区別がつかないばっかりに。いったいどうして僕や、ほらこの不幸な連中が、みんなのかわりに贖罪の山羊のようにここに坐ってなきゃならんのです。あなたや准医師や事務長や、病院じゅうのごろつきどもは、道徳の点じゃわれわれの誰よりもはるかに下等なんだ、それがいったいどうしてわれわれはぶちこまれて、あなたがたはそうされないんだ。どこにそんな理屈があるんです」
「道徳や理屈はこのばあい関係ありませんよ。すべては偶然なんですよ。入れられたものはここにいる、入れられなかったものはうろついている、それだけのことですよ。わたしが医者で、あなたがたが精神病患者だということには、道徳も理屈もない、ただたんなる偶然にしかすぎませんよ」
ああ、僕はイワン・ドミートリチの気持ちが分かるな。
「人間の証明」を迫られない人たちはもっと自分の境遇に感謝すべきだと思うな。
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