朝日新聞の書評に遠藤比呂道という著者の『人権という幻 対話と尊厳の憲法学』という本が紹介されていたので、インターネットで注文し、この前読み終わった。<o:p></o:p>
なぜ読みたくなったかというと、「幻なき民は滅ぶ、という聖書の言葉があります。人権という幻は決して虚妄ではなく、共同体が共有すべきvision(先見)なのです」という一文が僕の目に留まったからだ。<o:p></o:p>
僕は長年「幻聴」という統合失調症の症状に苦しめられたせいか、「幻」という言葉にアレルギーがあるのだが、ここでは肯定的に語られていて、何故だろう、興味深いなと思ったのだ。<o:p></o:p>
本を読んで分かったのはこれが『旧約聖書 箴言29・18』の言葉で「幻なき民は滅ぶ。律法を守るものはさいわいである」と続くということだ。<o:p></o:p>
著者はこの言葉をドロテー・ゼレというドイツ人女性から教えられたと書いている。<o:p></o:p>
彼女によれば「幻」は古代ユダヤ教において「トーラー」と対をなす概念だそうだ。<o:p></o:p>
「トーラー」は「律法」と訳されることが多いけど、客観的法律、制度にとどまらず、人間の幸福を願う「教師」としての神の教えを意味しているそうだ。<o:p></o:p>
そしてその教えは真の命にかんする「幻」のなかで、つねに新しく、人びとの心に刻み込まれなければならないというのが古代ユダヤの伝統だそうだ。<o:p></o:p>
そこでは「幻」は実践と結びついていて、人びとを行為へと向かわせるという特徴を持つから根を下ろすこと、逃げ出すことはできないこと、その場にとどまることが必要だということが含まれているそうだ。<o:p></o:p>
著者は「原風景」=記憶を心に刻みつける者のみが、それを乗り越える、共同体としての国家の「幻」を持つことができると書くが、僕も本当にそう思う。<o:p></o:p>
ではまた!