エマ・バーン/黒木章人訳『悪態の科学 あなたはなぜ口にしてしまうのか』から一部抜粋。
P.64
悪態・罵倒語は右脳と左脳にある高い機能を持つ部位が主役となって生み出されますが、太古の昔から存在する、最も原始的な部位も力を貸しています。そのことは、実際にはどのような意味があるのでしょうか? 悪態・罵倒語が単純で本能に近いものだとしたら、比較的新しい時期に発達した、高度な機能をつかさどる脳領域がそんなに関わっているとは思えません。その一方で、悪態・罵倒語が感情とそれほど強く結びついていないものだとしたら、古い部位の扁桃核が重要な役割を果たしているとは思えません。それに、自分以外の人間の感情を想像する力を失ってしまったら悪態・罵倒語も失われてしまうという事実を見るかぎり、高度な社会性を持ち合わせていなければ汚い言葉を吐くことはできないと思われます。
つまり悪態・罵倒語は原始的で高度なものなのです。とんちんかんなことを言うんじゃないと叱られるかもしれません。しかしのちのち語っていきますが、人間の脳の進化という視点から見れば、とんちんかんどころか合点のいくことなのです。わたしたちは、ほかの人たちとうまくやっていくために言語を発達させていきました。たとえば、木の上からトラを見つけたときに群れの全体にそのことを伝えることができるサルは、それができないサルよりも種として存続する可能性が高いのです。さらにわたしたち人間は“もう怒ったぞ、失せやがれ!”とか“さっさと寄こせよ、イライラする!”とか、複雑な感情を伝える術を習得しました。悪態・罵倒語は複雑な内容を強烈に訴えかけることができる、感情がぎっしりと詰まった言葉です。ざっくり言うと、感情を手っ取り早く伝える高性能の道具なのです。恐怖とか敵意をシンプルに伝えていたものが、わたしたちが社会的にも脳的にも進化していく過程で洗練され複雑になっていったのです。だとしたら、悪態・罵倒語は脳内の高度な共同作業で生み出されているといってもおかしくないでしょう。
ウ~ン、「原始的で高度な」って言語矛盾ではないのだな…。