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玉川上水みどりといきもの会議

玉川上水の自然を生物多様性の観点でとらえ、そのよりよいあり方を模索し、発信します

東京都北多摩北部建設事務所 訪問記録メモ 水口和恵

2023-09-04 21:11:53 | 活動記録
東京都北多摩北部建設事務所 訪問記録メモ(水口)
 日時:2023年7月14日
 参加者:小口、加藤、高槻、松山、リー、水口、竹井都議
 対応:中田和範(工事第一課長)、柘植憲彦(同課長補佐)、吉山順一(同工務担当)、中川恵一(用地第一課長)、池田昌弘(同専門課長)

(1)小平328号線計画の進捗状況について
・用地取得状況は7割とのことだが、今後の見通し
 現在、土地の買収は7割程度になっている。事業に反対している人や移転先が見つからない人など、難しい案件が残っているので、今後、買収のスピードは停滞する可能性がある。

・今年度に設計を行う予定か
 今年度に予備設計を行いたいと考えている(予備設計の次は、詳細設計)。設計者は、一般競争入札で決める。今年度に予算は確保している。
・玉川上水緑道部での地質調査の結果は
 玉川上水に橋をかけるにあたって、構造上問題はないか、設計するために地盤の固さなどを調べた。史跡の調査も兼ねている。地下15mまで、直径10㎝の穴を開けて、土の状況をみた。15mまで地下水にはあたらなかった。結果は今年度中にまとめ、開示請求されれば開示する。
 
(2)小平328号線計画の今後の予定
・地質調査の結果が出たら、史跡への影響を審査する委員会を立ち上げる予定か。
 委員会立ち上げは考えている。国分寺328号線のときの例を参考にする。委員会の会合は、半年から1年間くらいかけて、2.3回行う。非公開。委員は、学識経験者、本庁の担当者、市の文化財担当者など、10名前後になる。
質問:非公開の理由は? 
回答:これまでも公開していないため。


・国分寺328号線と同様に、小平328号線計画沿道30m内の住民が参加する話し合いの場は設定されるのか。
 国分寺328号線のときを参考に、検討している。両側10mずつの環境施設帯をどのようにするかについて話し合う。まだ決まっていない。
・今後、市民が意見を言える場はあるか
 問い合わせいただけば、北北建で対応する。

(3)国分寺328号線の状況について
・用地取得ができていない部分が数か所残っていると聞いていたが、その現状は。
 3か所が残っている。そのうち2か所は、北北建が対応し、1か所は道路整備保全公社の管轄になる。現在、交渉中である。
・2027年度に完成予定か。
 工事がまだ残っており、未定。全部が開通するまで2~3年はかかる。
・2017年4月に開通した部分の事後アセス(交通量調査)の実施状況
 開通直後以外、交通量調査はしていない。東京都環境局が、騒音、振動、大気汚染などについて、アセスを行い、基準オーバーがあれば、改善措置を行う。

質問:建設局がつくった道路が、たとえば環境影響評価で基準値を超えるなど問題が生じた場合はどうなるか。
回答:環境局が是正措置を求める。)

質問:温度は評価しないのか。 
回答:温度は、アセスの項目になっていない。

(4)小平328号線に係る予算・決算の状況(添付ファイル参照)
・令和2年度以降の決算額と、令和3年度以降の予算額
 本庁の所管課に請求してほしい。

(5)交通センサスの実施状況
・平成27年度以降の実施状況と、府中街道の交通量
 平成27年度秋と、令和3年度に実施しており、府中街道津田塾大学前の1日往復交通量は、平成27年度が19,824台で、令和3年度が19,313台で、あまり変わっていない。

(6)小平328号線を地下あるいは高架にする場合の課題
・用地取得への影響等
 地下にする場合、地下に入る部分は、現在の36m幅よりも両側5mずつくらい広げる必要がある。都が土地を購入した後、予定地の外側に自宅を再建した人もおり、そこを再度広げるとなれば、説明が必要で、合意を得るのは難しい。

質問:地下あるいは高架に変えた例はないのか。 
回答:用地買収に入っている段階で変えた例はない。)

質問:玉川上水で自然観察会をしているが、変形菌が20種以上いる。そのように多くの種類がいるのは珍しく、玉川上水の生物の多様性が豊かであることがわかる。残すべきではないか。 
回答:ここに橋をつくってほしくない、という意見もあるが、早くつくってほしいという意見もある。)

東京都建設局北多摩北部建設事務所での話し合 高槻

2023-09-04 21:09:32 | 活動記録
東京都建設局北多摩北部建設事務所での話し合いのメモ(高槻)


 2023年7月14日、水口さんのご尽力により東京都建設局北多摩北部建設事務所工事第一課を訪問し、話し合いをしました。多くは水口さんが事前に準備した質問に答える形でした。これについては水口さんからの報告をご覧ください。
 私としては「建設局の予測が基準値を超えたら、環境局が是正を求めるという形がとられる」ということが聞けたのが最大の成果でした。私は次のように質問をしました。
「東京都が道路工事の計画を立てます。そのことについて東京都が予測し、開通後に測定するのですね?」
「はい」
その時第1課の側から
「東京都と言われますが、実際には工事をするのは建設局、評価をするのは環境局と別の局なのです」
 私は心の中で「しめた」と思いました。評価書を読む限り、全くの「お手盛り」で、工事をすると決めたら調査をして、どんな結果が出ても「問題ないと予測される」と書いてあったので、これでは無意味だと感じていたのに、そうではないと言ったからです。
 例えば排気ガスが環境基準を上回ったら、環境局が是正を求めることもあるというのです。これは、きわめて健全な姿勢です。
そこで、例を考えてみます。お地蔵様などが拡幅工事によって移動を余儀なくされ、「重要な物なので壊すことは良くないから移動した」をこれまで「仕方ない」としてきました。しかしよく考えたら、歩道の脇にあって人が自然に頭を下げたお地蔵様を交通量の多い道路の脇に移動したのは、ほとんど破壊に近いと見ることもできます。このことを、「高度成長期には、お地蔵様を移動することは問題視されなかったが、現在の基準からすれば大きな問題があった」と反省することはごく自然なことです。
 もし「工事によって過度の問題が生じれば戻さなければならない」ということが本当なら、「工事によって自然が破壊されたら、永遠に失われて取り返しがつかない」ことが立証できれば、工事の強い抑止力になるはずです。生物現象は人の浅知恵で予測できないことが多いことは、多くの保全生態学の成果が示しています。その評価が高度成長期と今では違うことを論理と生態学の成果で説明することは十分可能です。そのような考えに立曲して、私は次のような主張をすべきだと考えます。
 「高度成長期に立てられ、認可された道路工事は、当時の社会の価値観から自然に対する配慮が欠けていた。その後社会は生物多様性の重要性を認識し、保全生態学において長足の進展があった。そしてSDGsつまり「持続的発展のゴール」は現代社会の重大な課題とされるに至った。これは人類が地球資源を利用する上では、破壊的ではなく、持続可能な形で利用しなければ人類の未来はないという考え方であり、20世紀の開発優先の考え方を根本的に改めなければならないというものである。この視点からすれば、高度成長期に立てられた計画のうち、自然に対する配慮の部分の問題点を見直すことは、現代社会にとっての必要不可欠な重要な課題である。」

坂上多津夫氏(元津田塾大学職員)に話を聞く会

2023-09-04 21:07:19 | 活動記録
坂上多津夫氏(元津田塾大学職員)に話を聞く会のメモ
(文責、高槻成紀)

2023年7月10日、上水本町地域センター
参加者:大槻史彦、加藤嘉六、黒木由里子、坂上多津夫、高槻成紀、平林俊夫、松山 景二、水口和恵、リー智子

+++ 武蔵野線 +++
<坂上>
私は昭和22(1947)年生まれで、父が津田塾大学の職員であり、当時は職員も教員も学内の宿舎に住んでいたので、津田塾大で育った。コジュケイがいた。長じて自分も昭和50(1975)年から25年ほど津田塾大で勤務した。大雨の時や入試の時の降雪時は排水溝を掃除したり、通学路の雪かきをするのが大変だった。
 武蔵野線開通前後の話は父から聞いた。武蔵野線は1964年に全体構想ができ、当初は貨物専用路線だった。1973年に府中本町まで開通し、下河原線(東芝の御用路線)は廃止された。
 津田塾大学は1960年代末の買収交渉では教育環境の悪化を理由に買収に応じなかった。東側には日立が住宅を作った。南側の旭ケ丘住宅は菜園付き住宅のふれ込みで都内からインテリ層が引っ越してきた。また当時の経団連会長の石坂泰三氏をはじめ財界の有力者が理事であったことによる影響もあったのか地下化となった*。
 ただし、当時は線路が短かったため、電車のゴトゴト音が大きく、視聴覚教室棟の建設に際しては騒音防止対策に苦慮した。
 津田塾大は新府中街道には反対しなかった。

*地下化された範囲は新秋津の手前から国分寺の恋ヶ窪のあたりまでであり、地下化の要望は他にもあった可能性がある(リー、水口)。

<高槻>
高度成長期には新しい鉄道路線がつくことは歓迎された訳で、その中で地下化にできたのは特別なことだと思う。それに津田塾大学の要求が反映されて地下化が実現したことを知るのは重要なことだ。
<黒木>
新宿御苑に分断道路の計画があったとき、新宿高校の同窓会にやはり実力者がいて阻止した例もある。
<坂上>
正論を言うだけでは動かないから、現実的方法論として働きかければ動くことはある。状況によっては、トップの裁量で方針転換することもある。まずは水口さんが卒業生の市議として学長と面会することから始めたら良い。

+++ 小平と玉川上水 +++
 小平の歴史と文化は玉川上水によって涵養されたと言ってよい。玉川上水は17世紀に標高差92mの平坦地に作った奇跡的な工事。<松山:小平の分水は総延長53kmある。>大学が7つ(津田塾大学、一橋大学、武蔵野美術大学、朝鮮大学校、白梅短大、嘉悦大学他)もあるのは極めて特異。
玉川上水は津田塾大学にとっても重要。礼拝で話した時に、聖書の詩篇にある「流れの脇に植えられた木は強い」*という言葉を紹介した。

*詩篇1篇3節「その人は流れのほとりに植えられた木。時が巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。」新共同訳、
「かかる人は水流のほとりにうゑし樹の期にいたりて實をむすび、葉もまた凋まざるごとく」旧約、
「And he shall be like a tree planted by the rivers of water, that bringeth forth his fruit in his season; his leaf also shall not wither; and whatsoever he doeth shall prosper. Psalm 1:3 (King James Version)」

+++ 津田塾大学 +++
<坂上>
津田塾大学は小平キャンパスのためにアメリカからも含め10万ドル(<高槻>ウィキペディアによれば50万ドル)を集めた。新校舎はセントラルヒーティング、水洗トイレで、文部省から贅沢すぎると言われたほどだった。津田塾大には在野精神とキリスト教精神があった。戦争中も奉安殿を作ることを拒絶したし、陸軍が女子英語塾の看板の上に部隊の看板をかけたことに対して、学生がそれを剥がして玉川上水に投げ捨てた。大学の部品工場(体育館)で兵器の部品作りをしていた時、ラインが止まって部品が届くのを待つ間、将校が学生に「気をつけ」で待つことを強要した時、藤田タキ(第三代学長、元衆議院議員)が「いいから座って休みなさい」と言った。津田梅子は鹿鳴館で会った伊藤博文の人品について批判する日記を書いている。

<高槻>
女子英学塾(津田塾大の前身)は1931年に小平に移ったが、英学塾の歴史を書いた本に空中写真があり、周囲には1軒の家もなかった。秩父おろしで砂嵐になるため、シラカシなどを植林したという記述があった。
<坂上>
シラカシ、スギ、ケヤキなどを明治神宮と同じように100年後、200年後の変化を考えた計画で植林した。
<高槻>
そうであれば、東大林学教授の本多静六であり、大隈重信と対峙した強者だった。

<高槻>
津田塾大にとって玉川上水が重要とのことだが、具体的には学生の通学の問題があると思う。あそこに大道路がつけば問題であろう。
<リー、水口>
 反対していると聞いたのですが・・・。
<坂上>
その通りだが、大学は明確な意思表示をしていない*。
<高槻>
 学生がどの程度意識しているか不明だが、玉川上水を歩いて通学することが心に与える影響はあるのではないか。
<坂上>
今の玉川上水緑道を通って通うことは大変贅沢なことだと思う。

*<水口>東京都が小平328号線の環境影響評価をしたのは2010年-2012年。私は、当時津田塾大の職員であった利根川氏から、「環境影響評価書案」に対する意見として、津田塾大学が地下化の提案をしたと聞いた。

+++ 地下化 +++
<平林>
328号線計画に反対するとなると小池知事まで届くことになる。そのことを熟慮する必要がある。
<高槻>
シンポジウムでかなりの人が計画自体に反対だとした。しかし我々はそのような理想主義的な主張をして敗北するよりも、現実路線としての地下化を見直すよう説得したい。
<平林>
地下化の場合、住民の土地問題、工事による地下水の動きなど難問もある。
<高槻>
現状で我々は知らないことが多く、これから専門的立場に学びたい。ただはっきりしているのは100年後に「あの時になぜ阻止しなかったのだ」と言われたくないということで、それを思えば課題は多いものの、平面道路に見直しを迫るしかない。
<平林>
地下道の深さは玉川上水の底から5mであり、斜面勾配は5%だから玉川上水から地下道の入り口・出口は水平距離は500m前後になるはず。
<坂上>
 50年前に武蔵野線が地下化して現在まで問題が起きていない。しかもその後の土木工学技術の進展は目覚ましい。買収もほぼ済んでいる。地下化した後の土地は緑地公園にすればよい。何も問題はない。

+++ 玉川上水の自然を守ること +++
<坂上>
 子供の頃、津田構内の住宅に住んでいたが、夜になると蛍が飛んできたものだ。その光景を思い出すと涙が出そうになる。玉川上水の自然を守り、100年後に良い選択をしたと言われるよう努めるべきだ。

<高槻>
 これまで328号線の話し合いをすると、困難であることが認識されて暗い気持ちになることが多かったが、今日は明るい希望が感じられるお話を聞けて大変ありがたかった。