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山も海もマラソンも日常も。。。

2015,05,02 東日本大震災 5年目の春 じぇじぇ 今回は『久慈』へ

2015年05月16日 | 震災・復興

2015年5月、今年の東北の被災地の訪問は今まで訪問したことがなかった宮古以北、

特にNHKドラマ『あまちゃん』のロケ地である岩手県久慈市と小袖海岸を中心に訪問してきました。

今回は被災地巡りというよりは観光色が強くなってしまいました。

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八戸のホテルの朝食バイキングです。

朝からミニホタテいくら丼、サーモンかに丼、せんべい汁、刺身(ブリ、イカ、ホタテ、タコ、サーモン)などかなり豪華な朝食です。

朝から美味しく頂きました。

久慈駅に到着、駐車場のむこうにはTVで見た電車が。。。

リアスの三鉄です。

たくさんの人たちが電車の到着を待っています。

三鉄久慈駅です。隣にはJR久慈駅があります。

駅舎は結構狭く、もちろん、ここでロケも行われていました。

改札のフロアはテレビとちょっと違いますね。

入場無料なのでホームまで降りました。

今は二両編成で運行している様です。

駅の近くの『あまちゃんハウス』です。

あまり広くはないですが、あまちゃんに関するものが展示されてまいす。

まちなか水族館です。

もともと『もぐらんぴあ』という地下水族館でしたが、東日本大震災で全壊しましたが今は駅の近くに引越しして再開しています。

ギョッ、さかなクンから送られた魚もいますよ。

震災を生き抜いた『カメ吉』が見たかったのですが、別のところにいるようです。

くさガメの『カメ太郎』はいました

下の写真はさかなクンの様なハリセンボンです。

久慈の駅から路線バスに乗り、小袖海岸へ向かいます。

交通規制が行われているのでわざわざ1時間かけてバスで現地に向かいましたが、交通規制は週末だけとのこと。みんな車で来てました。

ただ、久慈と小袖を結ぶ道路は細くて対向車とすれ違えないので、途中どちらかが止って待たないと通れないところが多いです。

山の中の細い林道といっしょですね。

『あまちゃん』の主題歌が流れるとにアキちゃんが駆けていた堤防です。

小袖の漁港です。海女センターです。

最近、3階立てのビルが出来た様で、お土産やウニ丼、まめぶが食べられるようになってます。

防潮堤の門をくぐり少し進むと、ドラマに出て来た監視小屋が見えて来ました。本当にあったのですね。

漁協、袖ヶ浜の集落です。海女クラブの皆が詰所としていた漁協(海女カフェ)への坂道があります。この坂道もドラマでもちょくちょく出てきた光景です。

この坂を海女クラブのメンバーとアキちゃんが、橋幸夫の「いつでも夢を」歌いながら降りてくるシーンがありました。

左の急坂を登っていくと監視小屋があります。かなりの急登なので暑い!!!

アキちゃんたちがウニを採るために潜っていた漁場です。

海女センターの展望台からの小袖漁港です。

写真奥には嵩を増した工事中の高い防潮堤があります。

津波はアキちゃんが駆けていた防波堤を越えてこの漁港や集落に押し寄せ大きな被害を受けました。

崖の上に監視小屋がありました。

監視小屋からの景色です。

今日は晴れて良かった。天気予報では本当は雨のはずでした。

海女センター前で名物のウニを賞味します。

まめぶです。

まめぶは練った小麦粉の中に黒糖で味付けされたクルミが入ってます。

アキちゃんが駆けて飛び込んだ防波堤に行って見ました。

結構な高さがあります。よく飛び込みましたね。

海女センターには大漁旗が五月の風に乗って靡いてました。

 


『3.11 東日本大震災』未だ復興途中 -2014年三回目の春-

2014年05月07日 | 震災・復興

2014年春。

東北は震災後、三回目の新緑の季節を迎えていてます。 

復興はというと季節のスピードよりも遅く、まだ春は訪れていない様です。 

今年考えさせられたのは震災遺構をどうするのかと言う問題でした。 

保存か解体か。。。 

いろいろな意見がありますが、いかに後世に伝えていくかを良く考えて欲しいと思います。

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女川では八重桜が見事に咲いていました。

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5月2日夕方出発、一路東北を目指します。

普段、通らないスカイツリーの脇を通過。こんなに大きくツリーを見たのは初めてでした。

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翌朝、石巻を経由、女川からスタートして昨年、時間切れとなってしまったあの大川小学校と雄勝へ向かう予定です。 

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女川町地域医療センター(旧女川町立病院)へ登る階段です。 

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昨年まであった女川サプリメントは姿を消しました。

残っている倒れた建物は江島共済会館と女川交番の二棟のみとなりました。

女川交番は震災遺構として保存が決まったと聞きました。 

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昨年、写真に納められなかった女川さいがいFMです。

女川町地域医療センターの敷地内で今も活躍中です。 

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入り口にももいろクローバーZが書いたコメントが貼られています。  

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うらに行くとケロロ軍曹、ももいろのサインもありました。

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女川に来るときはいつも天気がいいです。

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桜も見事です。 

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女川町地域医療センター裏の熊野神社では御輿の奉納が行われていて、多分、ちりぢりとなつた女川町民がこの熊野神社に久しぶりに集まった様です。 

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対岸からの遠望です。

こう見ると人間が作ったものはこんなにもちっぽけで自然に対しては何とも無力です。  

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今は静かな時が流れています。

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大川小学校。

校庭には慰霊碑・献花台が二つあり、GWだからなのか今年は以前と違い訪れる人もやはり多いです。

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大川小学校はカーブ、曲線を生かしたモダンな作りとなっています。

今は中は立ち入り禁止となっていてボランティアが中で作業をしています。 

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教室から続くプール!?の更衣室のアプローチです。 

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こちらの棟も教室だったのでしょう。

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丸い棟の教室です。4つ以上の教室があったようです。

まだ、黒板も残っていました。

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教室から続くプール!?の更衣室のアプローチです。

鉄筋コンクリート造りでかなり立派です。

二階からも渡れる設計の様ですね。 

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裏山と川側の境です。

山はご覧の様にかなり急斜面なので、川沿いの道路を使って裏への避難が必要です。

今回の震災では津波は川を逆流して海からではなく、川から溢れてやって来たと聞いてます。そうすると、逃げ場がない??

対岸からの様子です。

こう見ると確かに山が急過ぎて裏へ回り込まないといけません。 

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北上川を渡る鉄橋も修復工事跡があります。

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昨年、北上川の対岸を走った時は夜だった事もあり、まだまだ工事中だった記憶があります。

かなり整備された様に感じます。 

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ボランティアらしき人達が畑で作業中でした。

小石や細かい瓦礫などを取り除く作業をしていました。 

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被災したガソリンスタンドがまだそのまま残っていました。 

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気仙沼線です。寸断されたままとなっています。

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昨年、時間切れで夜になってしまって寄れなかった南三陸歌津の伊里前福幸商店街です。

名物限定ウニ丼を賞味しましたが、残念ながら写真を取り忘れました。

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気仙沼線、小金沢駅跡です。

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海からこれだけの高さがあるにもかかわらず、線路下の土は消失、ホームもえぐれています。 

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近くにあった民家はなくなり、前の旅館も被害を受けました。

 

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以前はこんなでした。*この写真は日々是電脳写真さんからお借りしました。

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被災直後の様子です。向こうにあった駅舎が反対側の手前に流されています。

*この写真は日本鉄道旅行地図帳東日本大震災の記録さんからお借りしました。

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杉ノ下漁港のあった宮城県気仙沼市の杉ノ下地区です。

ここも何もありません。

住民312人のうち93人が犠牲になりました。 

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陸前高田に到着。 

しかし、一年前には無かった見慣れないものが。。。

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これが一年前の様子です。まだ、堆く瓦礫の壁がありました。

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道路自体は昨年と変わっていないのですが、 

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道路を走っていると左右にベルトコンベアらしき巨大で長い建物が建てられています。

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スターウォーズに出てきそうなロボットの様にも見えます。

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このコンベアの吊り橋は希望のかけ橋です。

一般公募で名前を募集して決まったそうです。 

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高台に重機が見えています。

高台移転の為の整地の際に出る残土をコンベアでかさ上げ用の残土として運搬しようという計画です。

トラックなら10年かかるところコンベアで2年で完成させる込みです。

今日見たテレビでちょうどその様に言っていました。 

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その中に奇跡の一本松は立っています。

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コンベア敷設の為か見学ルートも昨年と比べて変わっています。

昨年は橋の途中まででしたが、今年は橋を越えた間近で見学出来る様になりました。

被災した建物そのまま近くで見れます。

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この辺りは古株の跡があります。昔は白砂青松が広がっていたのでしょうか。

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被災していた建物ですが、修復されて綺麗に甦っています。

そばにあったもう一棟も修復が完了していました。

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以前の様子です。写真でも二棟立っているのが分かりますが、二棟共に被災していて使える状態ではありませんでした。

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陸前高田の5kmに及ぶ広大な土地です。復興にはまだまだ膨大な時間がかかるでしょう。

まだ、復興途中、スタート地点には立っていません。

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この写真は震災直後の4月末に見た塩竃近くの七ヶ浜近くで人目を気にしながら撮影した写真です。

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これは昨年の写真です。

瓦礫はなくなり整地は終わりました。

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これは今年の写真です。

まだ、作付けは出来ない様です。

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被災地にいる人、行った事がある人なら分ると思いますが、

被災地に行くと浸水区間の標識が立てられています。

ここからです。

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ここまでです。 

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津波浸水区間

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仙台近くの三陸自動車道から見た海岸沿いの風景です。 

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震災直後の三陸自動車道から見た海岸側の様子です。ヘドロ、瓦礫でとても臭ってました。 

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三陸自動車道を使って南相馬から飯舘村を経由して帰路につきます。

これから飯舘村に入ります。

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昨年と同様、荒れ果てた広大な水田が広がっています。

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ビニールハウスも荒れています。 

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コンビニ跡。

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ホームセンターも三年前のまま残されています。

閉鎖されたマクドナルドは見つける事が出来ませんでした。

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未だ至るところで除染活動をしています。道路沿いにはボランティアの活動拠点もありました。

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昨年、初めて来た時は住宅には皆カーテンが掛かっていて人気もなく、まさに廃墟と言う状態で怖ささえ感じました。

今年は朽ち始めている住宅もありましたが、少しずつ人が戻ってきていている様でした。

これからももっと復興の様子を伝えるために来年もまた来ます。 

 


『3.11 東日本大震災』未だ復興途中

2013年05月03日 | 震災・復興

二年前の2011年4月末、東日本大震災から二ヶ月も経っていない東北の姿をこの目に焼き付けておこうと宮城県の仙台へ行きました。

あれからちょうど二年後の今年2013年4月末、東北の被災地の復興状況を見ておこうと東北の福島、宮城、岩手を回って来ました。

しかし、二年後の東北の被災地はまだまだ被災地のままでした。

今回、GWの二泊三日という限られた時間の中で駆け足で回ってきました。

その為、写真足りなかったり、言葉が適切でなかったり、回れなかったり、思うように伝え切れない部分もあるかも知れません。

今後も継続して東北を回り、東日本大震災の復興状況を報告していきたいと思います。

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GWの4月26日夜に出発し、福島西ICから飯舘村、南相馬、仙台の塩竃へ北上、

二日目は仙台市内から松島、石巻、女川へ行き盛岡へ、

三日目は盛岡から釜石から大船渡、陸前高田、気仙沼へと南下して南三陸へ

到着した頃には既に真っ暗となり帰路へ着きました。

結局、雄勝へ訪問する事は出来ませんでした。

-  飯舘村  -

飯舘村の荒れ果てた農地と人気の全くない街並み。

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- 南相馬 -

南相馬、津波に呑まれた車。

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東北電力・原町火力発電所脇の海岸、若者達がサーフィンに興じています。

火力発電所も被災してまだ稼働出来ていません。

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比較的農地が多い場所ですが、

点在している家屋はほとんど一階部分がやられています。

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除染の廃棄物らしきものが行く宛もなく、たくさん並んでます。

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護岸の為のテトラポットがあっちこっちで作られていてたくさん並べられています。

まだまだ全然足りてないですね。

最近、大林組が海砂でそのまま作れるテトラポットの技術を完成させたとか。。。

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この辺りは住宅が集中していた様ですが、一軒もありません。

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この先行き止まりの標識が。。。まだ、道がありません。

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お墓があったらしく墓石が山積みされてます。

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- 仙台・塩竃 -

二年前に初めて見た仮設住宅です。その時はまだ建設途中でした。

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二年前、塩竃近くの七ヶ浜の海岸近くで人目を気にしながら撮影した写真です。

テレビであれほど見てきたつもりでしたが、

形あるもの全てを破壊し尽くす津波の圧倒的なパワーを実際に目にすると絶句し、

これ以上見て回る事が出来ませんでした。

全部で数枚の画像をカメラに納めましたがその内の一枚でした。

この時はさすがにこれ以上シャッターを切れませんでした。

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二年後の今年の状況はというと、ようやく更地に戻って来たという状況です。

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ツアーのボランティアらしき人達が瓦礫片を丁寧に拾っていました。

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- 二日目、仙台 -

仙台の市内は普通の生活でした。

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- 松島 -

ここは点在している島々のおかげか比較的被害が少ないと聞いてます。

観光客もたくさん訪れていて賑わっています。

ちょっと立ち寄りました。

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航空自衛隊、松島基地、ブルーインパルスの格納庫です。

テレビの報道で見た場所です。

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落ちた橋の横に橋が架けられています。

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- 石巻 -

築後間もない、住宅地が被害を受けています。

全ての住宅の一階部分は被害を受けていて誰も住んでいません。

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ホット横丁の屋台村がありました。

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石ノ森章太郎萬画館、復活!

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被災後の様子1       *この写真はお借りしたものです。

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被災後の様子2  仮面ライダー1号役の藤岡弘さんのサイン *この写真はお借りしたものです。

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被災後の様子3   *この写真はお借りしたものです。

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ロボコンがいました。今日は満点!

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-  女川  -

小さな女川漁港の壊滅的な被災跡と津波で倒れたままのビル。

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裏の神社が避難場所となった女川町地域医療センター(旧女川町立病院)です。

ここのビルの一階まで津波が押し寄せました。

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女川の港に西側から入って来ると最初に見えてくるのがこの江島共済会館です。

女川の場合、この会館、交番、店舗の3つの建物をそのまま残している様です。

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西側から近づいて来ると最初はビルの屋上側が見えてくるのですが、

倒れているのがわかりませんでした。

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女川の小さな街は跡形も無く消え去りました。

この辺りは地盤沈下で満潮時には数十センチ浸水していると書かれています。

平成24年12月10日には災害危険区域が指定されています。

その為、住宅が建てられない等の土地利用に制限が設けられ、

復興計画では高台移転が計画されています。

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医療センターの駐車場にある『希望の丘』です。

この隣にNHKドラマ『ラジオ』の舞台となった女川災害FMがありました。

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サンドウィッチマン (お笑いコンビ)の津波のポスターです。

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共済会館を地域医療センターの高台から見た写真です。

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大きな仮設住宅です。

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- 三日目、盛岡 -

桜の季節を迎えていました。向こうに岩手山が薄ら見えています。

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大きな仮設住宅です。

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-  陸前高田 -

雇用促進住宅 陸前高田第二宿舎の建物です。

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四階部分まで浸かったのが良くわかります。

以前は裏手にもう一棟残っていた様です。

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陸前高田の5kmに渡る広大な津波の被災跡。

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長く続く丘の様な瓦礫の山脈。

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まさに壁となっています。

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道の駅『高田松原』、今は道の駅も松原もありません。

道の駅の前に慰霊用の建物が立てられています。

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広大の平地の全てが流されました 。

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被災した建物の隣の駐車場に車を止めて行ってみるとなんと『奇跡の一本松』です。

最初は全く気が付きませんでした。

駐車場には警備員までいました。

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傍らには被災した建物がいまだ残っています。

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これ以上は近づけませんでした。

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震災前の風景と一つ変ってしまっています。

松原がなくなってしまいました。

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気仙中学校です。

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前に松原があった場所です。ほとんどの松は根元から折れている様です。

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今、大きな町、小さな町にかかわらず被災した地ではどこも

プレハブの商店で頑張っています。

大きな街では複数の商店街があります。

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-  大船渡  -

大船渡の打ち上げられた大型漁船。

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第十八共徳丸です

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やりますよ。

プレハブのコンビニ

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-  南三陸  -

歌津、国道45号線歌津バイパスの橋梁。

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誰かが避難したであろう神社の鳥居と階段。

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歌津のプレハブの仮店舗、大漁旗が並ぶ伊里前幸福商店街。

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ここにもプレハブのコンビニがありました。

頑張ってます!

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ゼロからのスタートという言葉があります。

被災地だった場所は未だにスタート地点に立っていません。

未だ復興途中。。。

一度、本当の姿を見て下さい。

*今回撮った写真は全て個人のブログ掲載が目的であり、被災後の写真を一部お借りしています。

 


3.11 東日本大震災 『 宮城県の光景 』

2011年04月30日 | 震災・復興
今回の東日本大震災を目に焼き付けておこうと宮城県の仙台に行ってきました。決して軽い気持ちで行った訳ではなく、色々考えた末、未曾有の災害をこの目で見ておく事が大切と思い、5月の連休前に行く事にしました。土曜日の深夜に自宅を出発して仮眠を取りながら北上して行きました。
 
 
東北はちょうど桜が身頃で綺麗ですが、東北自動車道などの高速道路はかなり傷付いており、通行に支障があった箇所は既に何十箇所と補修されていましたが、支障のない段差、亀裂等はまだまだ残っておりました。塩釜迄は何とか高速道路を乗り継いで行く事が出来ました。
被災地支援の自衛隊の車両や災害派遣、災害支援の車両も行き交っておりました。
 
 
東北自動車道から塩釜、石巻、松島、仙台空港方面に高速道路に乗り換え徐々に海が近づいてくると目の前にテレビで見た光景が現れます。
 
 
塩釜港近くですが、流された車がごろごろしてます。奥まったところではまだ、自動車が重なり合っている光景も見えます。
 
 
市内ではようやく瓦礫の撤去も一息といったところです。
 
 
こんな仙台に近いところでもまだ道の上に船が放置されています。
 
 
塩釜港近くの海岸です。テレビで何度となく見てきた光景ですが、形あるもの全てを破壊し尽くす津波の圧倒的なパワーを実際に目にすると絶句します。これ以上見る事が出来ませんでした。
 
 
途中に通った高台ではプレハブの仮設住宅を建てている最中でした。町の体育館も避難所となっていました。
 
 
本当に必要なもの、大切なものが何なのか、
 
自分に何が出来るのか。。。。。