書棚を、いつもの通り整理をしていた。
昨晩、ふと、本の間に一枚の写真に気がついた。 見ると、それは東京オリンピックの聖火を運ぶのに採用された器具で、新聞紙面に紹介された折の写真だった。 古過ぎる話ですね。 また、よくも残っていたものだ。
第18回東京オリンピック大会は昭和39年(西暦1964)に開催されてから、半世紀が過ぎている。
ギリシャを発った聖火は空路で日本の北と南の地北海道と九州の南端に運ばれた。
この聖火はそれぞれ北端と南端から本土と九州地を4コースに分かれ開催地東京までを聖火ランナーの手で運んだ。 沿道を埋め尽くした人波と旗の波のなかを走る聖火ランナーの後ろには時速20km足らずの低速度で随行車は追走した。 聖火は厳粛なもので、万が一消えてもマッチなので点火してはならなものだ。
そこで、聖火がなんらかのショックでも消えないように採用されたのが、蕎麦屋の出前機であった。 それは自転車の荷台にゆらゆらと揺れ、スプリングでショックアブソーバを果たしていた点がヒントに聖火用に考案されたものであった。
随行車は低速度に耐える点検整備怠りなく、当然に予備車もタイヤも・・・大名行列のお出まし様だった。 (車旗)
聖火は大会開催の前日、旧東京都庁に到着した。 集められた聖火は、ギリシャの巫女により集火式が厳かに挙行された。 夕闇迫る皇居前広場では一本の大きな炎になった聖火と儀式を執り行う巫女の白い衣装とが重なり厳粛な印象が残った記憶がある。
因みに、軽井沢、戸田漕艇、江の島、駒沢オリンピック公園などは空路ヘリコプターで聖火は運ばれた。当時の大会本部は「赤坂迎賓館」だった。もう、二度と観れない。
終わり