気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

心の支えになった…忘れ得ぬ人

2016-07-10 00:10:38 | エッセイ

 きょうも雨が降った。

時折、昔を想起させるきっかけが、呼びもしない雨だ。 

現役を離れて16年にもなる。 現役時代には何かとしがらみに縛られ悩み苦しんだものだ。 そんな時に、心の支えになってくれた人がいたからこそ耐えられたのだ。 現役を去り、「現役」と言う鎧を脱いだ付き合いが,氷河の氷が解けるように心が和むものだ。 

「心の支えになってくれた人…忘れ得ぬ人」

この人たちはもういない。 「苦い想い出」は「耐え忍び成し遂げた想い出」に穏やかな境地に消し飛んだ。

 大先輩を中心に古き仲間との気兼ねいらない会を作った。 土浦の旧海軍航空隊の料亭「霞月桜」でたちあげた。 

 或る小さなホテルのロビーの片隅にオルガンがひっそりとあった。 「弾いてもいいだろうな~」と大先輩は言いながら鍵盤に指をおいた。 「弾けるんですか」訝る私。 「海軍主計学校出身者は、これ位は弾けるよ~」には驚いた。野口雨情作詞「船頭小唄」を弾きだした。♫「おれは河原の枯れすすき ~」が流れた。トツトツと鍵盤の音を響かせながら束縛されない自由な時間を享受した。

 遠慮がちで、よく後輩に「ありがとう」を言っていた。 「路を間違え、路地裏で旨い店に出会うドライブをしようよ~」と一度の出会いが余程嬉しかったのか、口にして誘いのドライブを待っていた。 女優の香川京子さんのフアンだった。 仙人の持つ長い杖をもち落合場所に歩いて・・。 この姿はもう見られない。 温かみと優しさを併せ持った、そこにいるだけで和む雰囲気・・大先輩だった。       もう、いない。 寂しい。

 もうひとりの先輩は朋友と言ってもよい程、兄弟喧嘩相手の兄貴分であった。  不思議でならないのは互いに職場が変わっても何時しか近くに寄り合うのだ。 公私共に離れられない悪友であった。 亡くなる10日前にも電話があった。 頼まれごとだったが断った。 何でも言い合えた先輩だった。 昭和30年代の終わり頃、業界紙記者を宿泊宴会に招待した折のこと、「何か歌を一曲・・・」と声がかかり、この場の雰囲気を壊さないために余り歌を知らない私は止む無く軍歌の「徐州」を唄って場を繕った。 やはり、幼きころの中国大陸と重なるものが・・。    それ以来、先輩の頭の中にインプットされてしまった。 どう言う訳か趣味趣向が同じだ。 でも、OldCarは飾って鑑賞するものと言う。 一方私は走らせてこそ車と言う。 もういない。 まだ、若い、喧嘩相手が欲しい。

ふたりの先輩は会社の上司でもある職場関係だった。

 こうして、静かに机の前に座り、過ぎし日を想い起こすと心が和む。        まだ筆を進めたいが眼のまえの時計の針が0時を回ったので筆をおく。      お休みなさい。

終わり 


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1 コメント

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先輩・・ (屋根裏人のワイコマです)
2016-07-10 09:04:43
両親や祖父母そして先輩に、惹き立て
られて、今日あることをよ~く悟られた
素晴らしいtiburontaさま・・目上の人に
可愛がられた人は、また後輩も同じように
なのでお子様もお孫さんも頼ってくれる
tiburontaさまが諸先輩をこのように・・
それ以上の大きな後輩達に囲まれ慕われる
人間像が想像で来ます・・・
幾つになっても祖父母や両親や恩ある
諸先輩方は・・心の中で永久に不滅ですね
素晴らしいブログに・・感激でした。
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