何時もの通り眼が覚めた。外から聴こえる音はいつもより静かさを感じた。
時計の針は午前6時半を指していた。 今日は平成30年1月1日即ち元日である。 しかも、戌年である。 と言うのは、私の7回目の干支の年を迎えたのである。 目出度くもあり目出度くもなし。 雨戸を開けると冬の弱い日射しが目一杯に差し込んできた。
元日を意識し記憶に留めたことはない。 だが、84歳を迎える年の元日を追想するのも、またとないことと悟った。 前日の大晦日も知りたくなった。 そこで、時計の針を1日前に戻して見ることにした。 例年だと、大晦日の夜は少しばかりお洒落をして、やや高級感ある雰囲気のある店でふたりだけで食事をした。 そして、家に戻り紅白を観て、「ゆく年くる年」で除夜の鐘の音を聴きながら新しい年を迎えていた。そうだったな~。
今年の戌年を迎える大晦日は一年歳を取ったのか、静かに家にこもりたくなり、買い物にだけにふたりで出掛けた。夕食をすませ自室にこもり年賀はがきの宛名書きとひと言を書き加えた。 文面には「今後は年賀のご挨拶を失礼する」旨を付け加えた。 テレビのリモコンを見ないで触れた。どう間違えたのか古い邦画「君の名は」が流れてきたのには驚いた。 暫し、懐かしく筆を止め、駅舎など古い昭和に郷愁を覚えた。チャンネルを戻しNHK「ゆく年くる年」の除夜の音を聴いて戌年を迎えた。
弱い日射しの朝の元日、妻とお雑煮を食味し終え、自室で年賀はがきの続きを書き始めた。日記風の賀状も今年で最後かと思うと寂しいものがある。その賀状を近くのポストに杖を突いて出かけた。 後ろから抜き駆けるようにポストに走ったのはふたりしかいなく、元日の住宅街はやはり静かだった。歩きながら4月には自動車運転免許証も自主返納する。サンフランシスコに住む娘から息子が免許をやっと取得出来たとの連絡があった。孫に直接「おめでとう」のメールを送信したのを思いだした。
その時、玄関先で郵便物の落ちる音を感じた。 時計を視た。 時間的にはそろそろかな・・・。やはり、年賀はがきは来ていた。来年はなくなるだろうと思うと一抹の寂しさを感じながら賀状の束をを取りだした。 妻の分を仕訳をして妻に渡した。
穏やかな時間が過ぎ午後3時頃、何気なく覗いたポストにカードが入っているのに気がついた。 写真7枚組を素敵にレイアウトされ更にクリスマス祝いのお礼を日本語で添えた娘の日本語専攻の大学1年の息子とバスケ好きの高校2年の娘の兄妹ふたりからのカードだった。米国から帰国する時にも必ずと言って良いほど貰っていた。
春には日本語の通訳研修に孫娘が来日すると言う。そこに、チャットで割り込んできたのが、孫息子だ。「夏には日本に行くよ」 腰が痛いとか、筋肉が張るとか、疲れるとかは言っている暇はなさそうな戌年になりそうだ。
他愛もない老夫婦の元日の一日でも、眼を見張れば、いろいろと動きがあるものなのですね。
こうして、戌年の元日が過ぎ、始まった。
終わり
オリンピックに一日一日近づきます
お子様お孫さん達の活躍にまだまだ
その羅針盤役のtiburontaさまの役割が
沢山ありそうですね。それが元気の
源、今年も更なるご健勝と御多幸を
祈っております。
ことしもよろしくお願いいたします。
ごあいさつが遅れました。
7度目の戌年をおめでとうございます。
「笑撃 犬 」をお持ちしました。
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