「ちびさん」のご主人

ねこ好きなお父さんの気ままな日記です。
最近は、お城の他に甲冑と火縄銃に嵌まっております

秋のイベント目白押し  ~備州岡山城鉄砲隊~

2012-08-26 21:20:32 | 甲冑、火縄銃、岡山城鉄砲隊
本日、長船刀剣博物館での2回目の“甲冑着付け体験”が終了しました。

体験いただけた皆様いかがでしたでしょうか?

185名のご参加をいただいたようで、ありがとうございました。

さてここからは、秋に向けイベントが目白押しです。

まずは、10月7日

宇喜多秀家☆フェスが。

詳しくはこちら

今年は、火縄銃演武の他に、武者行列も表町商店街他で行われれます。

ぜひお越しください。

その他、鳥取三十二万石まつり等々盛りだくさんな“秋の陣”です。


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伏見ぶらぶら ~んっ?!~

2012-08-22 23:19:46 | 城、城跡、歴史
伏見の街を走っていると、山の上に...天守閣?

ちょっと寄り道。

山の中を走りぬけると御手門が



そしてその横にはこんな石碑が



「伏見桃山城!?」

そんな城あったっけ?

大手門をくぐりに抜けると、立派な大天守と小天守が



ここは、平成16年まであった、伏見キャッスルランドの跡地だそうで、現在は運動公園になっております。
また、実際に秀吉が築いたとされる、“伏見城”はすぐそばにあったそうで、現在は明治天皇陵になっているそうです。







それにしてもよく出来ています。

家にいたに写真付きでメールしたところ、速攻で電話がかかってきました。

「これ、本当に建ってるの?」

この模擬天守、結構映画でつかわれることが多いようで、少し前には豊臣大阪城に塗り替えられていたとか?

残念ながら、耐震設計上現在は中には入れないそうですが、それにしても鉄筋でもよく出来てますな~。

今回の旅では、天守閣を見るような予定ではなかったので、思わずうれしくなりかなりの枚数を撮ってきました。
開園当時は中も見れたそうで、どのようになっていたのでしょうか?

当時を知る方どなたかいらっしゃいませんか?

その後、京都市内まで出ていつものように“阿弥陀寺”へ

信長様、森三兄弟のお墓に御線香をあげに。
前回お邪魔した時は、工事中でしたがきれいにされておりました。

思わず線香をあげながら

「綺麗にしてもらってよかったな~」と独り言を。
そして、近況報告などなど...。

近くにいたお墓参りのご家族の方、決して変な“おやじ”ではありませんから~

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伏見ぶらぶら  ~淀城跡、淀古城跡~

2012-08-21 20:50:21 | 城、城跡、歴史
昼食後、後半戦スタート!

目指すは、淀。



この淀城跡は、二代将軍の秀忠の時代に松平定綱によって築かれた城です。
今では分かりませんが、築城当時は桂川と宇治川、そして木津川に挟まれて水運の要衝として栄えたところです。




奥の石垣は、天守台の石垣です。


今も堀の一角には水を湛えています。


残念ながら、天守台の中には入れません


天守台の対角線上にも櫓があったのでしょうか

現在本丸跡は、淀城跡公園になっています。


豊臣時代の淀古城は宇治川の対岸にあったようで、現在は妙教寺の境内になっていました。




淀古城のあったことを示す石碑があるだけです。

そんな石碑のそばに、“戊辰の役東軍戦死者の碑”が立っておりました。
東軍とは幕府軍のことです。



この石碑、後ろ見回ってみると


子爵 榎本武楊 書とありました。



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伏見ぶらぶら  伏見城の遺構めぐり

2012-08-20 23:04:27 | 城、城跡、歴史
昨日は、朝から京都・伏見まで行ってまいりました。

前回も伏見へは行きましたが、事前の調べもせず、尚且つ雨にたたられた為に寺田屋近辺を少し歩いた程度でした。

今回は、伏見城の遺構巡りをしてきました。

まずは、栄春寺



ここは、永禄11年(1568)開創の曹洞宗寺院で、伏見城遺構の門があります。
伏見城総構え(土塁)が唯一現存するらしいのですが、近くに駐車場もなく、訪れた当日は境内にある剣道場で何やら試合が行われていたようで、路注。
残念ながら、総構えまで見ることはできませなんだ~。残念!

再度チャレンジか....。

次なる場所は、

御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)

日本第一安産守護之大神として広く崇められています。神功皇后を主祭神として仲哀天皇応神天皇他六柱の神を祭り、初めは、『御諸神社』と称したが、平安時代貞観四年(八六二)九月九日に、この境内から「香」の良い水が涌き出たので、清和天皇よりその奇端によって、『御香宮』の名を賜った。豊臣秀吉は天正十八年(一五九〇)、願文と太刀(重要文化財)を献じてその成功を祈り、やがて伏見築城に際して、城内に鬼門除けの神として勧請し社領三百石を献じた。

この写真の山門は伏見城の大手門の遺構だそうです。





中には、家康造営の本殿もあります。

そこから徒歩で10分程度いくと、

源空寺という、浄土宗の寺があります。 寺伝によれば、建久6年(1195)忍空(にんくう)上人によって、はじめ炭山(すみやま)(宇治市)の地に創建されたが、慶長年間(1596~1615)当地に移されました。
 本堂には、円光大師座像を安置し、二層からなる山門の階下両脇には、石仏六体地蔵、愛染明王像及び朝日大黒天像を祀っている。


二階建てのちょっと変わった山門
この二階部分には、廻縁があったようにも見えるのですが。

そしてこれが、秀吉の持念仏“朝日大黒天”


もとは、伏見城の巽櫓にあったものだそうです。

こちらは、愛染明王



探せばまだまだ、ありそうな伏見城の遺構の数々です。

ここで、ランチタイム

源空寺そばの、手打ちそばのお店で天ざるそばをいただきました。

そば湯もついて、満足なランチでした。

では、後半戦に参りますか~

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大洲城 三の丸南隅櫓

2012-08-15 17:31:31 | 城、城跡、歴史
大洲城天守から南に下った先に、三の丸南隅櫓があります。


この櫓は明和3年(1766)に建てられた櫓で、大洲城に現存する最古の櫓だそうです。

この中は自由に見学できました。



奥の壁の板張り部分は、石落としになっています。

2階に上がると何やら壁に丸い突起が...。


これ、隠し挟間


火縄銃を打つための挟間です。
説明の通り、通常外は壁土で覆われていますが、いざというときはそれを突き破って攻撃を仕掛けたようです。

こちらの挟間も同様に




こちらも形状からして、鉄砲挟間のようです。

確かに外からは全く分かりません。



築城当時はこの櫓の下は外堀になっており、そばを流れる肱川からの水を湛えていたのでしょう。
現在は学校のグラウンドになっておりますが。

ちなみにこの櫓も国指定の重要文化財です。

川を背にした縄張り、犬山城に少し似ておりますな~。


気がつけば、あっという間のお盆休みでございました...。
また明日から通常業務に復帰します。

あ~あんまり考えたくない~


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大洲城天守 ~匠の技~

2012-08-14 21:48:28 | 城、城跡、歴史
さて、大洲城天守に。

この天守、4層4階のつくりになっています。
この4という数字は、天守ではあまり見られない数字です。
それは4(死)と読むことで縁起の宜しくない数だからなのですが...。


天守と台所櫓

この城、規模の割に千鳥破風、唐破風の数が多いのも特徴です。

中に入ってみると一番に目につくのが1階、2階の吹き抜けです。






結構面白い構造です。
この木組みを見ていると、何かワクワクしてしまいます。


2階部分の武者走り。写真右に3階への階段(これがまた急なのですが)

この階段を登る途中で見た、匠の技。


竿車知継ぎ(?)


台持ち継ぎ(?)

○○継ぎ(?)は乏しい知識の為間違っていたらごめんなさいです。

それでもこういった、伝統工法を間近でみられるのは、たのしいですな~

階段上の梁にはこんな注意書きが


“ちょんまげ”に注意しながら階段を下りました。
それにしても急な階段です。


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大洲城に登城す

2012-08-13 21:07:47 | 城、城跡、歴史
お盆休み3日目。
ちょっと遠出をして、愛媛県大洲市まで。

以前から行ってみたかった、大洲城を目指しました。
出発が11時と結構遅めに出ました...。岡山ICから大洲南ICまでの約220キロ
を約2時間半で走破。

途中もほとんど渋滞にもかからずに行けました。



この城の歴史は鎌倉時代末期、伊代国守護宇都宮豊房に築いた地蔵ヶ岳城に始まるそうです。
現在の大洲城はそれより後の近世初頭に大洲の地を治めた、小早川隆景、藤堂高虎、脇坂安治達の造営によるものだそうです。

残念ながら、明治21年に天守が取り壊されました。それを平成16年に木造による完全復元させたのが現在の大洲城です。


天守と高欄櫓


こちらは、現存する高欄櫓内部の石落とし

この櫓は、大洲城で唯一、2階に縁と高欄のある櫓です。


2階への階段、急です。


高欄櫓から、天守を望む

瓦の家紋は、蛇の目。
加藤氏の家紋が使われています。

元和3年(1617)米子より入城となった加藤貞泰。その後6万石の城主として明治維新まで加藤家が代々城主を務めてきました。

では、いよいよ天守へ

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姫路お城まつり ~サンTVにて放映~

2012-08-12 20:15:24 | 甲冑、火縄銃、岡山城鉄砲隊
先日行われた“第63回姫路お城まつり”の模様が、本日16時から、サンTVで放映されたおりました。



何故?岡山で?

実はONIビジョンでは何故かしら、サンTVが入るのです。

早速、録画しました。
リアル放映を観ましたが、オープニングに少し、中盤の市長のインタビューの後ろで演武前の舞台、後半40分過ぎからの“歴史パレード”に“備州岡山城鉄砲隊”が出ておりました。

とりあえず、2枚DVDを作成



関西地区の方でご覧になった方おられますか~?

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姫路お城まつり ~備州岡山城鉄砲隊演武~

2012-08-08 01:40:02 | 甲冑、火縄銃、岡山城鉄砲隊
今回の“姫路お城まつり”初出陣の為に写真を撮ることができませんでしたが、家族の者が代わりに収めてくれました。




初陣の為少し緊張気味?


いよいよ、演武です。


舞台に勢ぞろい
今回は、“隊旗”を持って参戦


順調に演武が進みます。

まずは、隊員の方の動きを勉強中

いつもは舞台の下から見ていた“演武”を同じ舞台上で...。
やはり迫力が違います。

あっという間の30分でした。

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姫路お城まつり ~夏の陣 初陣~

2012-08-05 10:45:46 | 甲冑、火縄銃、岡山城鉄砲隊
昨日行われました、“姫路お城まつり” に備州岡山城鉄砲隊のメンバーとして、
初陣を果たしてまいりました。

天候にも恵まれ、昼間の演武時にはかなりの暑さの中、“隊旗”を掲げて参戦。

初の甲冑デビューです。



甲冑をつけた印象としては、想像していたよりは風が通るように思いました。
それでも、夏の戦は大変だったでしょうな~。
大阪夏の陣なんて....。昔の人は体力あったし、みんな体育会系?

また、重さも私が実際に身につけたものは、隊長のご配慮もあってか、それほど重くは感じませんでした。(初甲冑の為、かなりの緊張もあって...)

不思議です。“甲冑”を着けて一歩外に出ると、本当に自分が、それこそタイムスリップし、戦国武将になったかのような気分になるのです。

アクション映画を観終わって、映画館を出た時自分がスタローンやシュワルツネッガーになった気分になる...。それとよく似ているかも。

この感覚は、癖になりそうな...。
いや、癖になりました。


しかし、背中は滝のような汗、汗、汗。

隊長曰く「この時期が一番の難行苦行ですよ」とのこと。

何とか無事に終了することができました。

いつもは、舞台下よりカメラのファインダー越しに見ていた画の中に自分がいること。
写真を撮る側から、撮られる側に...と、私自身貴重な体験をさせていただきました。

鉄砲隊の皆様、お疲れ様でした。
お世話になりました。



次回演武は、10月の岡山城になります。

その前に、今月26日(日)長船刀剣博物館にて2回目の“甲冑着付け体験”がありますので、ぜひ甲冑武者の気分を味わってみてはいかがでしょうか。

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