「ちびさん」のご主人

ねこ好きなお父さんの気ままな日記です。
最近は、お城の他に甲冑と火縄銃に嵌まっております

安土城をつくってます~33号・34号~

2009-09-30 23:42:53 | 模型・安土城をつくる
ここのところ、連休中の京都・滋賀旅行記になっていましたが、
“安土城”もしっかりと作事いたしておりました。

とりあえず、連休前に33号・34号が立て続けにやって来ましたので、
一気に2号分を片付けました。

これ、外壁作事。


まだ、突上戸は付いていません。
っていうか、南側の突上戸の時に工作しようとしていた、突き出し棒もまだです。

写真で言うとこの部分。


突上戸が黒だと、突出し棒も黒のようです。

突上戸は後ほど、34号は残りの“垂木”と“桁”をすべて組み上げました。
今回の号に入っていた“桁”6本のうち5本使用しました。
1本は、今後の為に置いておきます。



            

現在接着中です。

後は、”突上戸”のみです。

さて、そうしていると35号も届きました。
ここからは2階部分に移ります。
ところでこの2階部分予定では24週分あるようで、半年先の完成のようです。

1階の北側用に埃よけ、および乱波(猫3匹)よけをせねばなりませんな~又右衛門殿

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彦根城~京都・滋賀旅行 5~

2009-09-29 23:15:52 | 写真
続きをすぐにUPするつもりでいたのですが、しばらく遅い日が続きました。

さて、彦根城、本当にここは重要文化財の多く残る城です。
“天秤櫓”を抜けると次に見えてくるのが“太鼓門櫓”です。
本丸にそびえる天守に向かう最後の門がこの“太鼓門櫓”です。

この櫓も、築城時にほかの場所から移築された建物です。
元はどこあったのかは不明だそうです。



こちらから見るとどこの城にも見られる櫓門です。

がしかし、門をくぐると....。


建物の背面が開放されていて、高欄まである作りなのです。
こんな、櫓門は初めて見ます。
これは、登城合図用の太鼓の音を響かせるために作られたのでは?という話ですが...。これもはっきりしていないそうです。

そしていよいよ、天守です。



さすがに連休中ということで、天守へ入るのに60分待ち!
今回は断念しました。

この天守は京極高次が築いた、大津城から移築されたといわれ、慶長12年(1607)頃に完成。
姫路・松本・犬山城とともに国宝四城の一つだそうです。

彦根に行きながら”あれ”見てません。

そう、これですね....。


“ひこにゃん”

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安土~彦根城 ~京都・滋賀旅行 4~

2009-09-26 00:30:22 | 写真
4日目は、昨日夕方訪れた“安土城考古博物館”で開催中の平成21年度秋季特別展「戦国の城-安土城への道」からスタートしました。

宿泊先の大津からは車で約1時間程度だったと思います。

安土城の発掘調査は平成20年で、一応終了したようでまだまだ本当は発掘して欲しい気がするのですが...。

その後、百々橋口へ、昨年ここに来たときは鉄格子で完全に封鎖されていたのですが、それが撤去されてました。
   
この石段を登ると総見寺跡、山門にたどり着きます。
当時はここが通常の登城ルートだったようです。

今回は登城せず、安土山西側にある“七曲道“入口をさがして”うろうろ”しました。
地図を頼りに歩いてみると、それらしき石積み(穴太積み)を見つけました。

まだまだ、発掘調査していただきたいです...本当に...。

安土城周辺の散策に時間を取られて、当初行く予定だった長浜を断念。
急遽予定変更で、彦根城に直行しました。

安土からは車で約30分程度。地図で見るよりもかなり近いです。

彦根城駐車場に入るのに30分位かかり、結局登城は15時になりました。
早速、城内へ。

まずは重要文化財に指定されている“天秤櫓”

この櫓は、築城開始から数年後に築かれたもので、元は長浜城の大手門であると、「井伊年譜」には記載されているそうですが断定はされていないようです。

またこの櫓、左右の石垣の積み方が違うのです。
右手の高石垣は越前の石工が積んだ“牛蒡積み”


左手は幕末の嘉永年間に積み替えた切石の“落とし積み”になっています。


どうやらこの“天秤櫓”長い歳月の間に何度か修理を行っており、嘉永7年(1854)の修理では、石垣まで積み替えたようです。

最近石垣に興味がわいてきた”おとうさん”としては、実際に目にする事が出来て感激でした。

では、“天秤櫓“をくぐっていざ、登城!


続きはまた明日にでも...。
書きたいことが多すぎる~

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坂本~安土へ  ~京都・滋賀旅行 3~

2009-09-25 22:49:17 | 写真
3日目、園城寺の障壁画を見た後、明智光秀の坂本城祉を訪れました。
ほとんど石垣も残っていません。
今は、明智光秀の像が残っているだけです。



その後、琵琶湖大橋を通り、近江八幡から安土へ向かいました。

ここでも、信長に関係のある“桑実寺”を訪れました。
場所は、安土城祉のそばの“観音寺城跡”のある山の中腹にある天台宗のお寺です。


 
罰ゲームのような、石段を登りきったところにそのお寺はあります。
境内はそれほど大きくもなく、ひっそりとした感じです。


これが本堂。重要文化財です。
この写真の右に写っている石段を延々登ると、“観音寺城跡”に辿り着くようです。
今回は、時間がかなり遅かったので登りませんでしたが、この“観音寺城跡”もかなり曲郭が残っているそうで、いつか登ってみたいです。

本堂前にこんなものが....

信楽のタヌキ

ほんの少し紅葉も観れました。


本日も大津に宿泊、明日の最終日は彦根まで足を延ばす予定です。

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永徳・友松・山楽 そして、光信~京都・滋賀旅行 2~

2009-09-24 23:33:00 | 写真
京都・滋賀の旅2日目は、前日に訪れた“寺町・阿弥陀寺”の信長本廟へ、お線香を持って再度訪れました。

その後、京都最古の禅寺“建仁寺”へ



こちらは臨済宗の総本山で、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」

海北友松の「雲龍図」


が、展示されています。
ただしどちらも複製ですが...。
”おとうさん”は幸いにも先月、岡山県立美術館にて本物を見ておりますが、
ガラスケース越しに見る、「雲龍図」はかなりの大きさに見えましたが、
実際の建物の中に襖として入ると、えらく小さく見えるものです。

その後、四条のあたりを散策し、本日の宿泊先大津に向かいました。

京都・大津の旅3日目は、天台宗門宗の総本山“園城寺”からスタートしました。
こちらでは、特別拝観をお願いし、“勧学院”“光浄院”を見せていただきました。

“光浄院客殿”こちらは慶長六年(1601)の建立で桃山時代の粋を集めた建造物だそうです。
こちらには、狩野山楽の障壁画があります。

頂いた絵はがきより

“勧学院客殿”こちらは先ほどの“光浄院客殿”と外見は同じなのですが、主に僧、貴族をもてなす場として使われたところだそうです。
こちらには狩野光信の襖絵が、ありえない近さでそれも自然光で鑑賞できました。


頂いた絵はがきより

襖絵の金箔が、自然光では見事に落ち着きを放って、この場から離れたくないそんな至福の時間を堪能しました。

拝観後は、国宝の金堂などを見学しました。




至る所に“穴太衆”の石垣が...。



このお寺も昔は“僧兵”たちがいたそうで、延暦寺とも対立があったとか。
予定では明日訪れる、“瀬田の唐橋”を警護していた寺院だそうです。

三日目の午前中は有意義な時間でした。

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信長様、静かに眠る ~京都・滋賀旅行 1~

2009-09-23 19:44:05 | 写真
先週の土曜日(19日)から京都・滋賀方面に旅行に行ってきました。

朝6時過ぎに岡山IC予想通り、吹田IC付近から渋滞、
それでも、予定よりも早く京都駅前に到着(所要時間3時間)

いつもなら京都は新幹線なのですが、渋滞覚悟で出かけました。
京都市内は、レンタサイクルがです。

まず最初に、新撰組屯所のある、壬生へ。

途中、西本願寺横を通るとふつうは中に入れてもらえないところにある“唐門”を発見。
もちろん外からですが、見事なものです。





これ、本当に偶然横を通り抜けたために見つけました。

何でも、拝観料を取らない為に一般には公開されていないそうです。
写真を撮っていると、年配の観光客の方が
「ここには入れないのでしょうか?」と聞いてこられました。

「入れるなら、入ってみたいです。」

そののち、八木邸などを見学ののち、”本能寺”へ...。


こちらは供養塔です。

本能寺も、当時とは違う場所に立っております。

その後、寺町・阿弥陀寺へ

こちらには、「信長 本廟」があります。


こちらは、”本能寺”にある供養塔とは違い、ひっそりと当時の家臣達に囲まれて立っております。
決して大きいとは言えない墓石に、驚きました。

お線香なども持たずに訪れたため、翌日もう一度訪れる事にしました。

そしてこの日のもう一つの目的の場所”相国寺”へこちらの法堂の天井には
狩野光信によって描かれた「蟠龍図」があります。


これは相国寺HPから拝借しました。

見事な画です。
法堂のどこにいても、この龍はこちらを向いています。”八方睨みの龍”です。
又ここの龍図は鳴き龍としても有名。

一度体験してみては....?

この“相国寺”はまだまだ写真があります、おいおい紹介していくこととします。

さて、明日は俵屋宗達の「風神雷神図屏風」や海北友松「龍図」などのある、
“建仁寺”そして、大津へ移動します。

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雨が降るまで待て...でした。~33号到着~

2009-09-15 23:31:51 | 模型・安土城をつくる
今朝は朝から











「大雨が降るまで待て、お主の夢にオラも賭けてみる」







そして、やっと来ました33号


33号と32号で未完成だった“窓”5個

“窓”はこれで残すところ33号の2個で終了です。

いや~今回は本当に心配しました。
もう少しで、打ち首獄門でした。(丹波長秀 談)


「長秀、長秀はおらぬか」

「....。」(ドキドキ)


どうやら、次の34号は連休に入るためなのか、金曜日(18日発売)のようです。
だからこんなに遅れたのか?
とりあえず、届いて良かったです。

「又右衛門、早速作事にかからんか~」


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安土城....今回は遅配のようです

2009-09-13 23:07:42 | 模型・安土城をつくる
普段は日曜日には届くはずの“安土城”
届きませんでした。

そういえば以前にも、月曜配達だったことありました。
まあ、火曜日発売なので、月曜日でも遅いわけではないのですが...。

なぜこんなに、配達日がまちまちなのでしょうか?

そのあたり、家臣の方に(名前決めてません)殿にご説明をしていただきました。





「木曾から檜が...じゃなくて....配達が。」

「なに?何様のつもりじゃ~」(どこかで聞いたようなセリフ)

「お怒りはごもっとも、今しばらくお待ちくださいませ~」
「明日には、届くものと...」


本当、明日には届いてほしいですなあ~。

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「火天の城」観てきました

2009-09-12 23:46:31 | 映画、演劇
今日、昼から「火天の城」観てきました。


滅多に映画初日などには出掛けないのですが、今回は珍しく行ってきました。

さすがに、戦国ブーム?か、客席はほぼ満席でした。
ただ、岡山は結構年配のご夫婦が多かったように思います。

この映画ご承知のとおり、安土城築城をメインにした映画です。

原作「火天の城」とは、少しキャスティングが違っておりましたが、まずまずではなかったでしょうか。
“おとうさん”としては又右衛門には、息子がいて欲しかったのですが。
この親子の駆け引き、葛藤が原作では面白く描かれていたので...。

パンフに書かれていましたが、原作者山本兼一氏も、このシナリオには決して満足ではないような一文も見受けられましたが。

それと、原作にあった本能寺の変~安土城炎上が全く触れられていないことも少しがっかりしました。
2時間の制約の中ではどうしようもないことなのかもしれませんが、安土城内の装飾(狩野永徳の襖絵)なども少しは見せて欲しかった...。

それでも、大きなスクリーンで見る価値はあったのではと思っています。
願わくば、原作に忠実に制作されたものも観てみたい気がします。

これからご覧になる方、ごめんなさい、ちょっとネタばれしたかも。

ところで、また遅配してます“安土城”....。
明日は来てね....“安土城”

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安土城をつくってます~ちょっと手を加えて~

2009-09-09 23:51:35 | 模型・安土城をつくる
今日は久しぶりに早く仕事が切り上げられましたので、塗装後手を着けていなかった「安土城をつくる」32号を作事しました。

今回もほとんどが“垂木”です。
今回でほぼ“垂木”は終了?でもまだ細かい部分の“垂木”現物合わせの部分が残されています。

でとりあえず、ここまで。


結構複雑な構造です。

仕上げの塗装は、のちほど。

それと、南側の天井の安定が、2点で支えるのではかなり不安定。
説明書では、接着することになっているからなのか....。?

でも接着してしまうと、部屋がよく見えなくなるため前回までの端材で支えを追加しました。



左側はもともとの支え。



今回追加した部分のアップ

これで天井の安定もよくなりました。
まだあと5部屋ほどに“天井”が入るような感じです。
ここもそのつど、支えを追加していく予定です。

また今回も、“窓”の作事を残してしまいました。
今日は、お見えになりませんでした....“殿”は...。

一階部分の作事も残すところあと2号のようです。
35号では、どうやら2階部分の床が出てくるようです。

先ほど何気にテレビをつけると、歴史ヒストリーなる番組をやっておりました。
内容は“姫路城”だったようで、ちょっと気がつくのが遅かったです。
あ~録画しそこねた~。

“姫路城”好きなお城なんですよね~。

映画「火天の城」の影響なのか、やたらとこの系統の番組を目にします。
映画の公開まであと3日です。待ち遠しい~。

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