昨日は、朝から京都・伏見まで行ってまいりました。
前回も伏見へは行きましたが、事前の調べもせず、尚且つ雨にたたられた為に寺田屋近辺を少し歩いた程度でした。
今回は、伏見城の遺構巡りをしてきました。
まずは、栄春寺
ここは、永禄11年(1568)開創の曹洞宗寺院で、伏見城遺構の門があります。
伏見城総構え(土塁)が唯一現存するらしいのですが、近くに駐車場もなく、訪れた当日は境内にある剣道場で何やら試合が行われていたようで、路注。
残念ながら、総構えまで見ることはできませなんだ~。残念!
再度チャレンジか....。
次なる場所は、
御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)
日本第一安産守護之大神として広く崇められています。神功皇后を主祭神として仲哀天皇応神天皇他六柱の神を祭り、初めは、『御諸神社』と称したが、平安時代貞観四年(八六二)九月九日に、この境内から「香」の良い水が涌き出たので、清和天皇よりその奇端によって、『御香宮』の名を賜った。豊臣秀吉は天正十八年(一五九〇)、願文と太刀(重要文化財)を献じてその成功を祈り、やがて伏見築城に際して、城内に鬼門除けの神として勧請し社領三百石を献じた。
この写真の山門は伏見城の大手門の遺構だそうです。
中には、家康造営の本殿もあります。
そこから徒歩で10分程度いくと、
源空寺という、浄土宗の寺があります。 寺伝によれば、建久6年(1195)忍空(にんくう)上人によって、はじめ炭山(すみやま)(宇治市)の地に創建されたが、慶長年間(1596~1615)当地に移されました。
本堂には、円光大師座像を安置し、二層からなる山門の階下両脇には、石仏六体地蔵、愛染明王像及び朝日大黒天像を祀っている。
二階建てのちょっと変わった山門
この二階部分には、廻縁があったようにも見えるのですが。
そしてこれが、秀吉の持念仏“朝日大黒天”
もとは、伏見城の巽櫓にあったものだそうです。
こちらは、愛染明王
探せばまだまだ、ありそうな伏見城の遺構の数々です。
ここで、ランチタイム
源空寺そばの、手打ちそばのお店で天ざるそばをいただきました。
そば湯もついて、満足なランチでした。
では、後半戦に参りますか~
前回も伏見へは行きましたが、事前の調べもせず、尚且つ雨にたたられた為に寺田屋近辺を少し歩いた程度でした。
今回は、伏見城の遺構巡りをしてきました。
まずは、栄春寺
ここは、永禄11年(1568)開創の曹洞宗寺院で、伏見城遺構の門があります。
伏見城総構え(土塁)が唯一現存するらしいのですが、近くに駐車場もなく、訪れた当日は境内にある剣道場で何やら試合が行われていたようで、路注。
残念ながら、総構えまで見ることはできませなんだ~。残念!
再度チャレンジか....。
次なる場所は、
御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)
日本第一安産守護之大神として広く崇められています。神功皇后を主祭神として仲哀天皇応神天皇他六柱の神を祭り、初めは、『御諸神社』と称したが、平安時代貞観四年(八六二)九月九日に、この境内から「香」の良い水が涌き出たので、清和天皇よりその奇端によって、『御香宮』の名を賜った。豊臣秀吉は天正十八年(一五九〇)、願文と太刀(重要文化財)を献じてその成功を祈り、やがて伏見築城に際して、城内に鬼門除けの神として勧請し社領三百石を献じた。
この写真の山門は伏見城の大手門の遺構だそうです。
中には、家康造営の本殿もあります。
そこから徒歩で10分程度いくと、
源空寺という、浄土宗の寺があります。 寺伝によれば、建久6年(1195)忍空(にんくう)上人によって、はじめ炭山(すみやま)(宇治市)の地に創建されたが、慶長年間(1596~1615)当地に移されました。
本堂には、円光大師座像を安置し、二層からなる山門の階下両脇には、石仏六体地蔵、愛染明王像及び朝日大黒天像を祀っている。
二階建てのちょっと変わった山門
この二階部分には、廻縁があったようにも見えるのですが。
そしてこれが、秀吉の持念仏“朝日大黒天”
もとは、伏見城の巽櫓にあったものだそうです。
こちらは、愛染明王
探せばまだまだ、ありそうな伏見城の遺構の数々です。
ここで、ランチタイム
源空寺そばの、手打ちそばのお店で天ざるそばをいただきました。
そば湯もついて、満足なランチでした。
では、後半戦に参りますか~
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