「ちびさん」のご主人

ねこ好きなお父さんの気ままな日記です。
最近は、お城の他に甲冑と火縄銃に嵌まっております

やっちまったぜz~

2010-09-27 20:17:53 | Weblog
9月、犬山~岐阜旅行から帰って5日目の土曜日。

ちょっとヤバいかな?と思っていたのですが、

やってしまいました。






ぎっくり腰?



ソファーに座ってテレビを....。
そして立ち上がったその瞬間でした。





順調に犬山~岐阜旅行のブログをUPしていたのですが...。


しばらくお待ちください。







それでは.....いてててッ。




美濃金山城 その2

2010-09-25 20:04:54 | 写真
天守台の石垣を裏に回ってみると、搦手門の礎石がありました。
ここは、屋敷跡などの礎石が結構残っていて、礎石を結んで有ったであろう屋敷の大きさをみる事が出来ました。

「左近屋敷」なる表示を見つけ、少し下ってみました。


下っても下ってもそれらしきものは見えず、山麓の学校?からの部活動の声らしきものが近づいて....。

全く駐車場とは反対側に下りて仕舞いそうな為に途中で引き返しました。
「さてさて、左近屋敷とは何だったのでしょうか」

無事、天守台石垣まで戻り、堀切を見に行く事にしました。



大堀切と呼ばれる場所ですが、先日の雨で一部が崩れたそうです。

こちらが大堀切の斜面


下の方が崩れてます。

この山自体がかなり大きな岩で形成されているようです。

ここの反対山の上には“信長の休み石”なるものがあるようなのですが、
こちらもかなり足場が悪く、樹木は倒れているは岩がごろごろで先に進めませんでした。

連休最終日の為、本日中には帰岡せねばならず、この後“岐阜城”にも行く予定の為今回はここで下山しました。

にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へにほんブログ村



美濃金山城

2010-09-24 22:18:51 | 写真
今回の旅行、2か所目の城はここ「美濃金山城」です。

この城は元々天文六年に斉藤道三の命を受け、その猶子斉藤大納言正義によって、築城され、鳥ヶ峰城として金山村を治めた。
その後、永禄八年に、織田信長は東濃経略の拠点として森可成を封じ金山城主七万五千石としたそうです。


見事な大手枡形が残っています。



天守台の野面積み

この時代の“城跡”を巡ると、どうしても急な山道が多くなります。
本当に体力勝負!
昔の武将は、本当に体育会系です。

この後、もうしばらくこのあたりを散策します。

にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村

犬山城、最上階で....

2010-09-23 23:18:11 | 写真
犬山城の最上階です。
眼下には「後堅固」の木曽川です。

足元の瓦屋根の綺麗な事。
ちょっと、恐ろしいですが....。


吸い込まれそうです。

そして、目の前には...


この眺め、遠くの山々まで湖だとすれば....

ちょっと想像してみてください。

安土城からの琵琶湖の眺めを想像してしまいました。


国宝犬山城で、安土城最上階からの眺めを疑似体験してしまいました。


それにしてもいい眺めです。

今夜から、犬山城近くの宿で2泊の予定です。

部屋から、犬山城が一望できます。

「なんてラッキーな!」


部屋の窓越しに1枚

夕食後は、木曽川の土手を散歩してみる事にしました。

にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へにほんブログ村


突き上げてない!犬山城

2010-09-22 22:42:00 | 写真
この間の3連休、前回にブログにも書きましたが“犬山市”まで行ってきました。

今回は岡山から自家用車での旅行です。
事前に調べた行程では、約4時間のドライブです。

出発の前日が若干仕事が遅かったため、ゆっくり目の出発になりました。

朝8時に自宅を出発!
予定通りいけば昼ごろには、小牧ICを降りる予定。
山陽自動車道~中国吹田まではほぼ予定通り、しかしその先が30キロの渋滞...。
やむなく近畿道に進路をとり、門真JCTから第二京阪~京滋バイパスで瀬田東というコースに。

しかしこちらも宇治東あたりからノロノロ運転に。
結局20キロの渋滞に巻き込まれました。

到着は、予定よりかなり遅い14時半になりました。
6時間コースですね。

小牧ICから約30分で“犬山城“に到着。
城下には、古い町並みが残っています。
雰囲気的には、昨年行った“伏見城下”のような感じです。



この城は、本丸の背後に木曽川があり、「後堅固」の構えになっています。

天守としてはそれほど大きくはありませんが、現存する天守では最も古い国宝の城です。

この城、外観は3層ですが、内部4階、地下2階です。
2階の窓に注目すると...

突き上げていません!


窓の戸が、これより上の階は突き上げ戸になっているのですが、2階部分のみ開きになっています。
今まで見たところで、混在してた“城”有ったかな~。

それと、地下から入るのですがいきなり“石垣”が見えています。
そしていきなりの急こう配の階段。
これでは、敵に責められても一気に城内には入れませんね。

この後は最上階からの眺望について書いていきます。

にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へにほんブログ村

安土城をつくってます~84号、終了~

2010-09-15 23:17:54 | 模型・安土城をつくる
ここ数日、急に秋めいてきました。
特に朝晩は、大変過ごしやすくなています。

“築城”作業の方は、84号の途中で止まっておりましたが、本日終了いたしました。



最終的にはそれほど目立たないこの階の“白壁”が一番白色な気がします。

2枚あるうちの壁⑮、写真手前側ですが床のほぞ穴に差し込むとどうしても斜めになってしまいます。
仕方なく、壁の下部分(ほぞ穴に入る部分)をカットしました。

柱の②、溝が内側になるように付けたのですが....。

それと、四階南側との接する、壁⑪ですが、若干削った方がよさそうです。
少し床からはみ出してます。
このあたりは明日以降の作事に。

とりあえず、今日までの合体写真



この上に五階がくるという事は、かなり“首長”?

にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村

安土城をつくってます~どうやらマスキングミス!~

2010-09-11 15:44:13 | 模型・安土城をつくる
先週に引き続いて今週もなんとか土曜日が休みになりました。

柱の塗装後、中断しておりました83号の残り作事に入ります。
といっても、残すは“紅い“柱のみ。


説明書通りに作業していくと....。









何かが違う?



外側に向く柱の色が...。紅くない

もう一度パーツリストを見直すと

「柱④と⑤は溝の付き方が違います」「わかっとります」

「⑤には突起に溝があるので区別してくださ....

「間違えた?ひょっとして?マスキング個所を」

どうやら、④と⑤のマスキング個所が逆になってました。
塗装職人としては重大な、ミスです。

「殿に見つからないうちに、修正....修正」

「長秀殿、この事はご内密に」

で、こちらが修正後



83号の完成です



84号ではここに壁がはいるようです。

にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村




安土城をつくってます~紅い柱~

2010-09-07 23:53:16 | 模型・安土城をつくる
本日は、非常に地味な作業です。

83号、ジャングルジムのような“梁“の組み立ては終わりました。



残りは、“柱”それも“紅く”塗装する柱のマスキングと塗装作業です。

今回も筆塗りで行いました。


パーツの焦げ色の部分がちょっと目立ち過ぎ。
今回プライマーなしでの塗装をしましたが、やはりプライマーが必要だったかも...

明日もう一度この上から筆塗りをしてみるつもりですが、どうでしょう?
上手く隠れてくれるといいな~。

“紅い柱”が出てくると、かなりゴールが近づいてきた実感があります。

最近ふと思うのは、屋根の作事はいつ?
そして、上手く乗るのか?

あ~心配だ~。

にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村

安土城をつくってます~やっと82号完成~

2010-09-05 19:12:39 | 模型・安土城をつくる
毎日暑い日が続いていますが、“築城中”の皆さまいかがお過ごしですか?

9月というのに、何でも岐阜では39℃もあったとか...。
岡山もまだまだ暑い日が続くようです。

“築城”も、やっと82号が終わりました。
81号の“垂木”のあたりから、ちょっとペースダウンしておりましたが、何とか本日無事に82号をクリアしました。


“垂木”を切りだしていく作業、今回は“桁”③に溝があるため比較的接着しやすかったです。

ようやく手がつけれた“4階北側”


ちょっともたついている間に、83.84号と到着。
83号では、主な柱が入るようです。

ちょっと小耳にはさんだ情報ですが、デアゴ次なる戦国物は「甲冑をつくる」だそうです。
今回も、新潟での先行販売らしいです。

とりあえずは、しばらく様子見で...。

にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村