「ちびさん」のご主人

ねこ好きなお父さんの気ままな日記です。
最近は、お城の他に甲冑と火縄銃に嵌まっております

白虎隊出陣・新撰組進駐の地

2011-08-27 18:45:08 | 写真


国・指定重要文化財、文部省指定史跡 「滝沢本陣」

ここは会津藩のご本陣で、建築は文禄四年(1596)。茅葺書院造の建物です。

参観料300円でこれだけの物が見られるのは大変ありがたいです。

中には行ってみると





当時のままに保存されています。

ここは、会津戊辰戦争の際には大本営となり、会津城下に攻め入る西軍を戸の口原で食い止めるために、慶応四年8月22日に悲壮な決意で藩主 松平容保公が白虎隊に出陣を命じた所です。

本陣の冠門の前の細い路地は、飯盛山に続いています。

また、御座の間、御次の間には、当時の砲弾の跡が残っておりました。



何とも悲惨な歴史の出来事です。

戦の大義名分って何なのでしょうか?


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今日は何の日

2011-08-23 23:30:45 | 写真
車には、カーナビが搭載されていますが、毎朝エンジンスタートと共に

「今日は〇月〇日です。×××の日です」

と音声が入ります。

結構突込みどころのある音声なのですが。

今日23日

いつものごとくエンジンスタート

「今日は8月23日 白虎隊記念日です。」

「なんでや?」と思いつつ仕事に。

帰ってから、先日の会津旅行の写真を見てみると、滝沢本陣の“刀傷”や“弾痕”のところに、“慶応四年 八月二十三日 戊辰戦争弾痕”というのを発見し納得。

1868(明治元)年のこの日、戊辰戦争で会津藩の白虎隊が城下の飯盛山で自刃した。

会津藩では軍を年齢により白虎・朱雀・青龍・玄武の4つの班に分けており、最年少の白虎隊は16歳から17歳までの少年で編成されていた。会津藩等の奥羽越列藩同盟が官軍と戦闘状態に入ると白虎隊も実戦に参加し、越後戦争や会津戦争で死闘を繰り広げていた。

この日、飯盛山にいた白虎隊の士中二番隊員が、城下の町に火の手が上がったのを会津落が落城したものと思い自刃した。

その飯盛山から見た“鶴ケ城”



分かりますか?
まんなかのNTT(?)の鉄塔に遮らてていますが。

はっきりと見て取れます。

ちなみに、8月23日は旧暦の為、今年は9月20日です。

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なぜ、こんな形?~さざえ堂~

2011-08-22 00:12:57 | 写真
会津若松、飯盛山にはこんな建物があります。

“さざえ堂”





何やら不思議な形です。

中には行ってみると、階段ではなくらせん状のスロープになっています。



ここはちょうどてっ辺。ここからまた下りです。





調べてみると

旧正宗寺三匝堂(会津さざえ堂)

二重らせん構造の斜路をもつ特異な建物として知られる。福島県会津若松市の白虎隊の墓所のある飯盛山の中腹に建つ。通称は「会津さざえ堂」もしくは単に「さざえ堂」で、仏教の礼法である右繞三匝(うにょうさんぞう)に基づいて、右回りに三回匝る(めぐる)ことで参拝できるようになっていることから「円通三匝堂」(えんつうさんそうどう)という。

平面六角形の特異な建物である。概ね三層構造といえるが、内部には二重らせん構造の斜路が続き、右回りに上る斜路と左回りに下りる斜路が別々に存在する。入口から斜路を最上階まで上り、他者とすれ違うことなく、別の斜路を降りて出口から出ることができる。

かつてこの地にあった正宗寺の仏堂として、江戸時代後期の寛政8年(1796年)に当時の住職であった郁堂(いくどう)が建立したものである。当時は阿弥陀如来を本尊とし、斜路には三十三観音像が安置されていたという。神仏混交の信仰形態をもっていた正宗寺は、明治初期の廃仏毀釈で廃寺となり、以後、栄螺堂は個人の所有となっている。また、堂内にあった三十三観音像は他所へ移され、代わりに「皇朝二十四孝」の額が取りつけられている。

同名の堂は他所にもあるが、旧正宗寺三匝堂のような特異な内部構造をもった堂は他に知られず、稀有な例として1995年6月27日付けで国の重要文化財に指定されたそうです。

国内にはまだ見た事のない不思議な建造物が存在しているのだと、改めて感じさせられました。

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若冲

2011-08-21 23:18:31 | 写真
今朝は激しい雨の音で目が覚めました。

午前中は一旦小降りにはなりましたが、昼過ぎからは雨が強くなりました。
何日ぶりでしょうか?

その雨の中、岡山県立美術館に「琳派・若冲と雅の世界」を観に行ってきました。



本日最終日でした。

本当ならばも一緒のはずでしたが、時間が取れず一人での鑑賞になりました。

この雨のも関わらず、大勢の人で溢れ返っておりました。

今回の「琳派・若冲.....」は京都・細見美術館のコレクションで構成されていました。

若冲の作品は6点ほどで、後は、俵屋宗達、鈴木其一、酒井抱一などの作品でした。



鶏図押絵張屏風 (一部)

これがやはり今回のメインでしょう。

この横に、若演の鶏図押絵張屏風もありましたが、若冲の方がリズミカルな印象を受けたのは私だけでしょうか?



これも若冲。かなり初期の作品だそうです。

その他には国宝「風俗図」(彦根屏風)の影響を受けたのでは...といわれている
「男女遊楽図屏風」などもありました。



こちらは、岡山県立美術館特別出品だそうです。

確かの彦根屏風を思い起こさせる屏風です。

今回はしっかりと図録を購入することができ、帰宅後も眺めている次第です。

来年の1月には“長谷川等伯と雪舟”春には上杉本“洛中洛外図屏風”が岡山で観れる予定です。
今から楽しみです。次回はと2人で。


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ウルトラマンが居ったで~

2011-08-20 21:09:38 | 写真
今回の会津若松旅行、往復には大阪伊丹から福島空港までANAのコードシェア便で、
空港からは、レンタカーでの移動となりました。

その福島空港。

到着時には全く気が付いていなかったのですが、
「空港のロビーにウルトラマンが居ったで~」とのこと。

それもレンタカーで空港を出た後に...。

「うそ~、なんでもっと早く言ってくれなんだの~」

「帰りには絶対見よ。写真撮ろ」

で、最終日空港で待ったいたのは。

ウルトラマンコスモスでした。



「ウルトラマンや~」と大の大人が喜んでしまいました。

2階にはウルトラマンが居りました。



で、なんで空港にウルトラマン?

調べてみると、故円谷英二さんの故郷が福島県だそうで、その関係で円谷プロの好意で
常設展示となったようです。

ちなみに明日、福島空港は「ウルトラ夏祭り」が朝から行われるようです。

ウルトラマンコスモスのクイズ大会やら、ウルトラマンダイナの空港パトロールがあるようです。
近かったら絶対に行きそう。いや、行くでしょう。

詳しくは、福島空港のHPを見てください。

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日新館へ入学す

2011-08-17 23:10:25 | 写真
会津2日目は会津藩校“日新館”へ



会津五代藩主松平容頌(かたのぶ)の時代に、家老田中玄宰(はるなか)の「教育は百年の計にして会津藩の興隆は人材の育成に有り」と進言、そして5年の歳月をかけて享和三年(1803年)に鶴ケ城の西側に完成。

残念ながら、戊辰戦争で焼失したものを昭和62年に完全復元されました。



「有朋自遠方来 不亦楽 」

(朋あり遠方より来る、また楽しからずや)

まずは、素読所にて勉強を始めます。

これ、高校の漢文の時間に習ったよな~


机をならべて勉強しているのは、あの白虎隊の少年たちです。


<八則>

一曰、言行を慎まずして、父母を危くし、事へて順ならず、喪に居て哀戚の容なく、懶   惰(らんだ)【怠けおこたる事】の行いある者。
二曰、薄情にして、家内親戚和せざる者。
三曰、兄弟に友ならず、師に循はず、長を侮り、幼を愛せざる者。
四曰、言行に信ならず、面従後言し、或は男女穢褻(あいせつ)の行ありて、近隣朋友   に疎まるる者。
五曰、怠惰残忍にして、親戚朋友等の艱難痛苦を救恤(きゅうじゅつ)【困っている人   を救い恵む事】せざる者。
六曰、漫りに浮言を造りて衆を惑わし、又非理【道理の合わぬ事】なることを強弁し、   道理に従はず、其の行悖りて粉飾する者。
七曰、聖人の道を信ぜず、党を結び、猥りに法度及び他人を誹譏し、世俗の浮説を信じ   て、私智に衿り、弁舌を以って事を壊ぶる者。
八曰、文武は相資し、偏廃す可からざることを知らず、己が学ぶ所に執滞し、能を妬    み、技を謗り、猥りに偏執の心を懐く者。

此の八過のうち、一もその身にあれば、假令才智芸能ありとも、其の尤め逃るべからず。常に心に存し慎むべし。

読んでいくと、どれか一つは当てはまるような...。

什の掟(じゅうのおきて)

1.年長者の言うことに背いてはなりませぬ
2.年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
3.虚言を言うことはなりませぬ
4.卑怯な振舞をしてはなりませぬ
5.弱い者をいぢめてはなりませぬ
6.戸外で物を食べてはなりませぬ
7.戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ

   ならぬことはならぬものです。

これが会津武士道の祖なのでしょう。

身の引き締まる思いでここを後にしました。


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鶴ケ城へ登城す

2011-08-16 16:32:25 | 城、城跡、歴史
会津初日は、“史跡会津若松城”です。

平成27年には再建50周年を迎える鶴ケ城天守閣。
今年、幕末期の姿に近づけるために「赤瓦」に。

現存する赤瓦の天守閣は唯一の建物だそうです。



南走長屋から見た天守閣

登城間際には、雷鳴が聞こえておりましたが、雨も降らず青空になってきました。

この会津若松の原型となる都市づくりを進めた人物が、蒲生氏郷。
若かりし頃に、織田信長に非凡さを認められて将来は信長の後継者とさえ目されていた名将で、信長の三女冬姫を妻にした人物です。

彼は、町割りのほか産業振興にも力を入れ、酒や漆器の基礎をつくり、生涯影響を受けたとされる、信長の「楽市楽座」をさらに発展させて、「十市」を城下に敷いたそうです。

今回、“レオ氏郷南蛮館”が震災の為に閉館していたのが残念でした。

現在の“鶴ケ城”は5層、白亜の城ですが。
氏郷の築いた城は、7層、下見張の黒の城。丁度安土城のような城だったのではないでしょうか。



鉄門から見た天守閣



最上階からの眺め。

確かに瓦が“赤”いです。
茶褐色の釉薬を施してあるそうです。

築城中の“安土城”の最上階の瓦もこんな色にしようかな?

それとこの城の石垣の見事さには、
「これは簡単には、攻略できないは...」と思わせるほど、垂直に築かれています。



これは城内の“武者走り”

とにかく急です。



ほぼ垂直!

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会津2日目のお昼は

2011-08-15 23:18:43 | 写真
会津2日目のお昼は、こちらも名物の“味噌田楽”を頂きました。

東山温泉の入り口にほど近い、秀の屋。

こちらは、店主が自ら炭火で田楽を焼いておりました。



店内には、冷房らしきものはなく。
“田楽”を焼く店主のそばに扇風機1台のみ。

このあたりは夏、冷房らしきものは使わなくても結構過ごせる地方なのかも知れません。

確かに、座っているとどこからともなく風が通ります。

待つこと、1時間弱。



田楽セット1人前
 ・ 厚揚げ2本
 ・ 餅 2本
 ・ こんにゃく1本
 ・ 鰊 1本

どれも甘い味噌で美味しいのです。
1時間弱、待っても満足の一品です。

2日続けて食べ物ばかりのブログですが、しっかりと見て周りましたよ。
そのあたりは後ほど。

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