高梁市津川町今津に鎮座される「木野山(きのやま)神社」。御祭神は『大山祇命・豐玉彦命・大己貴命』。奥宮御祭神『高寵神(たかおかみ)闇寵神(くらおかみ)』。
由緒「天暦9年(955)創建の古社。木野山山頂の奥宮・山麓の里宮とともに、「木野山さん」と親しまれる。文久2年(1862)、備中松山藩主:板倉侯により、軍馬飼育守護神として特に崇敬され、元治元年(1864)の長州征伐に際し武運長久祈願のため社参された。古くから流行病、精神病の霊験は殊にあらたかで明治9年から中国地方に猛威をふるったコレラの業病を免れようとする人々が昼夜の別なく参拝し、ご分霊の請待も相次いだ。」岡山神社庁HPより抜粋
参道途中より神域を守護されるのは、昭和10年(1935)3月5日建立の構え狛犬さん一対。端正な顔立ちと、背中に乗せられた豊かな美しい尾が特徴的です。
参道途中、随身門の前に建つ二の鳥居
鳥居額の上にのせられた丸い大きな石は何か意味があるものなのか? 単に乗せているだけだとしたら、落下する危険もあるし、おそらく何らかの方法で固定されていると思うのですが・・・
石段途中の随身門
随身門のうちより神域を守護されるのは、木製の狼(大神)さん一対。奥宮に祀られる二神は、その神姿が狼とされる事から「狼の木野山さま」として畏敬されています。故にこちらでの随身様もこのような大神の姿で現わされています。
黒漆の体に血の色を思わせる赤く塗られた口中、鋭い牙・・なのに見開かれた目は驚くほどきれいで優しく、じっと見ていると不思議な迫力を持って迫ってきます。
「明治にはいって最初のコレラが発生したのは明治10年9月。清国(中国)のアモイに流行していたコレラが、米艦によって運ばれたものである。この年の流行で患者1万4千、死者8千人を出した。コレラの流行はそれからも絶えず繰り返され、明治時代のコレラによる死者の総数は37万人となった。」日本コレラ史より
瀬戸内市の神社参拝の際、ほとんどの神社の境内に木野山神社から勧請された祠や社が祀られていました。死者を見送る儀式さえ許されないコレラという死病に対して・・神頼みは唯一の手段であったのかもしれません。
祈願絵馬は、「丸に剣木」の御神紋を間に向かい合う阿吽の狼神
境内末社。社名・御祭神共に不明
参拝日:2010年8月11日
記事を書きながら思ったのは、2020年、中国武漢を発祥として世界中を襲った「コロナ」の事。2022年1月17日時点での感染者は3億4千万人強 !死者: 5,585,224人。私たちは正しく恐れ、この脅威をやり過ごすしかない・・