車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

年の初めの神楽三昧「塵輪(じんりん)退治」

2022年01月07日 10時00分00秒 | 日本の伝統・芸能・技の美

第14代『仲哀天皇(帯中津日子)』は、外国より日本に攻め来た数万騎の軍勢の中に「塵輪(じんりん)」という、身に翼があり、黒雲に乗って飛びまわり人々を害する大将軍に対し、官軍の誰一人として敵(かな)うものがないと聞き、自らこれを迎え撃つと決めました。ところで、どの舞台挨拶で聞いた話だったか失念しましたが、この「塵輪」は戦後の長い間、GHQによって上演が禁じられていたそうです。その理由が、異国から攻めて来る敵に天皇自ら立ち向かい、これを成敗したというストーリー。・・いろんな意味でアメリカ様的には許せない設定だったらしいです(笑)

2013年5月26日、「神楽門前湯治村:神楽ドーム」での「横田神楽団(安芸高田市)」による【塵輪(じんりん)】。

舞台に登場した二人は、『仲哀天皇』『高麻呂』。不思議な霊力のある「天の鹿児弓」と「天の羽々矢」を持ち、これより『塵輪』退治に向います。

衣装の重さを感じさせない華麗な舞を披露する二人。

舞台は変わって、花道より黒雲を巻き起こしながら『塵輪』登場。

巨大な鬼面をつけた鬼たちの所作は、とても30k前後の衣装を身につけているとは思えない身軽さ。片足立ちのまま、それを軸にしてジリジリと見得を切る姿に、客席からは大きな拍手が湧きおこります。

中腰のまま、あるいはしっかりと腰を落とし、指先をゆがめた片手を顔の横につけ、別の手にもった「鬼棒」を床につけるポーズは、鬼の所作の中で最も有名。神楽関連のお土産類、特に酒とかお菓子などのパッケージに頻繁に使われており、代表的な構図となっています。

そういう意味でも、神楽の主役は「鬼」である、その事に改めて納得してしまうのです(⌒∇⌒)

ここから暫くは鬼の舞。狭い舞台の上、視界を遮る鬼面に重い衣装を身にまとった4体の鬼によって、見事な舞が繰り広げられます。

何度か繰り返されるこの不安定な姿勢の決めポーズ。その間、鬼たちは微動だにせず、私の下手なデジカメでもブレの無い画像が撮れると言うのが、その事実を鮮明に物語っています。

客席から拍手喝さいを浴びた鬼たち、いよいよ、『仲哀天皇』主従との決戦です。

ここで一旦、ボス鬼は奥に退き、それぞれ一対一での戦い。鬼の舞衣はいつの間にか戦闘用の地味な重ね衣に代わっています。

ここからは臨場感重視の画像(^^;) 戦いのさ中、重ね衣の糸が外され、登場人物全員が華麗な舞衣に変化し、舞台は一段と華やかに。

次々と手下を打ち取った二人、残るは最後の「塵輪」。互いに口上を述べ合った後は「いざ!!勝負~!勝負~!」

戦いのさ中に次々と変化する「鬼:塵輪」の姿。決めボーズの瞬間を逃さなければ、こんなに鮮明な画像がGETできます。

激しい死闘の末、見事「塵輪」を倒す事が出来た『仲哀天皇』『高麻呂』。こうして日本の平和は守られたのです。

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2013年12月7日、「神楽門前湯治・本郷太刀納め神楽」での「塩瀬子供神楽団(安芸高田市)」による【塵輪】。
可愛いといったら叱られそうですが、『仲哀天皇』『高丸』の登場。足首まで届きそうな三段鎧姿が本当に可愛い(⌒∇⌒)

「天の鹿児弓」と「天の羽々矢」を手に、塵輪征伐に向かう二人。

正義のヒーローが退場した後は、大悪鬼『塵輪』の登場ですが、むろん子供神楽なので、鬼も当然のお子様サイズ。

決めポーズの手と、鬼面の対比が無ければ、中の人が子供だなんて信じられません。

決めポーズを挟みつつの鬼の舞。客席からは大きな拍手と声援がひっきりなし。

さぁ、いよいよ戦いの場へ、ここでは蜘蛛の糸が効果的に使われており、場を一段と盛り上げています。

側近の鬼を倒し、最後はラスボスとの闘い。

「天の羽々矢」に射抜かれて壮絶な最期を遂げる「塵輪」の演技に、会場からはまたしても大きな拍手。面は一つなのに、ここでは本当に断末魔の声が聞こえてくるような表情に見えるのですから、やはり凄いです。

全ての演技が終わった後は、全員そろって素顔での舞台挨拶。この子供たちが次の時代の神楽の担い手に成るのだと思うと、もうそれだけで、すっかり涙もろくなった私たちは、こみ上げて来るものを抑えられません。

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2015年4月18日、「因原交流神楽大会」での「大都神楽団(江津市)」による【塵輪】。座った場所の加減で、画像はごくわずかです。

いきなり火を吹きながら、『仲哀天皇』たちの前に登場した塵輪。舞台は薄灰色の煙幕に包まれ、硫黄のにおいが客席にも流れてきます。

煙幕の中で対決する『仲哀天皇』と「塵輪」。

「天の羽々矢」をつがえて『塵輪』を追い詰めていく場面、この時、後から見る鬼の衣装に不思議なものを発見。衣装を締める帯に光物が付いており、それがまるでベルトのようで・・神楽の衣装は一点一点手作りで、同じものは存在しないそうですが、それとは別に、神楽団によって衣装の扱い方や着用にも独自性があるようです。

ともあれ、「天の羽々矢」は見事『塵輪』の体を貫き、壮絶な戦いは終わりました。

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最後は2019年4月21日、「因原神楽交流大会」での「梶矢神楽団(安芸高田市)による【塵輪】。

舞台に登場した『仲哀天皇』『高麻呂』。今更ながらに気が付いたのですが、塵輪に登場する二人はいずれも素顔で登場します。(子供神楽を除く)

ひとしきり舞を披露した後は「悪鬼:塵輪」の登場。いやいや今回も派手にスモークの中から登場。会場は文字通り煙に巻かれて(^^;)

少しずつ薄れてゆくスモーク、中央の黄色い鬼棒を持っった白髪の鬼が、ラスボスの塵輪。

神楽の見せ所、鬼の舞をしっかりと披露した後は・・

恒例の臨場感重視の戦いの場面、ここでも見事塵輪を退治し、めでたし。めでたし(⌒∇⌒)

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第14代仲哀天皇(在位はわずか八年)。『日本書紀』での名は『足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)』。日本武尊の第二王子で、神功皇后の夫とされています。下関市長府宮の内町に鎮座する長門国二之宮「忌宮(いみのみや)神社」は、『仲哀天皇』が興した「豊浦宮」の跡と伝えられています。社伝によれば、『仲哀天皇』は豊浦宮に攻め寄せた『塵輪』を苦戦の後に撃退、その首は、二度とこの国に祟らぬようにと地中深く埋められました。社殿前にある「鬼石」は、『塵輪』の首を埋めた上に置かれたと伝えられています。

 正月十五日までは松の内 一月七日

 

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