震災、そしてこの原発の状況からは何か書こうという気になかなかなれませんが、
(東電叩きはしたくありませんが、対応を見ているといかにも第三者的というふうにしか見えないのですが、
事実だけを若干書かせて頂ければ、東電は、38mの津波があったとされる1896年の明治三陸地震http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E4%B8%89%E9%99%B8%E5%9C%B0%E9%9C%87
や、チリ側では18mもの津波があったとされる1960年のチリ地震に関して既に2006年××党吉井英勝衆議院議員が質問しましたが、そういった質問にも対応をとろうとしなかった中、”想定外”と言うような回答をしていますが、そういう意味ではやはり、人災ではないかと思え、当然その第一義的責任は東電にあるとしか言いようが有りませんが)
私たちにとってどれだけのエネルギーが必要なのかと考えた場合、
報道によれば世界の人々が全部日本人と同じ生活をすると地球が2.3個必要だそうです。
http://www.wwf.or.jp/activities/2010/08/884825.html
そういった中、この夏の節電の事で種々議論がされていますが、それらを読むと如何にも我々が何気なく電気を使っているのが解ります。
又投稿者の体験では先般、自分のパソコンが不調であったので修理を聞いてみたのですが、そのパソコンが2004年製ということで”6年経過しているので部品がありません”と言われてしまったのです。一般的に耐久消費財と思えるものなら、10年は使おうと言うのが一般的感覚ではないでしょうか。
そのことは要は次から次へ新製品を作り、旧型を捨てさせる つまりは当然、多くの原材料エネルギー、労働等を消費し単純に利益が出れば何をしてもいいという所に繋がるのではないでしょうか?この事が”いらない発電所”を作ったり危険な行為に生活を追い立てていると思うのですが・・但し上記電力会社の責任は当然別ですが。
経済学的に見るなら、”単純再生産”さえ維持できれば、生活には困らないはずであり、余計な労働をする分、労働時間も短く出来るとも思えるのですが。
歴史的には過去を調べると現代が必ずしも労働時間の短い社会とは言えない事のようです。