江戸後期、歌舞伎の狂言作者である「四世鶴屋南北」(1755~
1829)のお墓を訪れた。春慶寺の墓所にあると思っていたら、浅
草通り沿いの寺門(といってもお寺はビル)横にあった。こちら
の墓石は常に人目にさらされており、ご本人はひっそりとした墓所
に移してほしいのではないかな。後で調べてみたら、墓所内に墓石
があるとのこと。
南北は5代目まで継承されたが、初代から3代目までは役者で
4~5代目が作者。南北といえばこの4代目をいい、通称“大南
北“という。「東海道四谷怪談」(1827)はあまりにも有名。
(墨田区業平2-14-9)
長養山春慶寺_扁額
1829)のお墓を訪れた。春慶寺の墓所にあると思っていたら、浅
草通り沿いの寺門(といってもお寺はビル)横にあった。こちら
の墓石は常に人目にさらされており、ご本人はひっそりとした墓所
に移してほしいのではないかな。後で調べてみたら、墓所内に墓石
があるとのこと。
南北は5代目まで継承されたが、初代から3代目までは役者で
4~5代目が作者。南北といえばこの4代目をいい、通称“大南
北“という。「東海道四谷怪談」(1827)はあまりにも有名。
(墨田区業平2-14-9)
長養山春慶寺_扁額