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塩哲の色即是空

私の日常の活動状況を飾り気なく、素のままで表現する。

石神井川の橋巡り 源流から下流を眺める

2007-08-03 06:54:25 | 
「源流から下流」
 「公園北橋」から下流を眺めた。
この橋から上流は暗渠となっており、川面が眺められるのは
ここまで。
(花小金井南町2丁目9番地辺り)

「暗渠」
 この公園北橋より上流は、暗渠となっている。
とりあえず、暗渠を遡上してみるが、その先は
小金井カントリー倶楽部の敷地内に入っていた。
その北側は、大嘉悦大学だ。また、ゴルフ場の中に、
以前流れていた石神井川の名残が在るそうだ。
 また、ずーっと昔は、ここからさらに上流があり、
鈴木小学校近辺(小平市花小金井鈴木1丁目450番地辺り)
が源流だといわれている。

「鈴木小学校」
 ならば、鈴木小学校も訪れたい。ゴルフ場を大きく迂回して、
やっとの思いで到着したものの、門は閉ざされ、校長の許可なく
無断立ち入りが禁じられていた。
 またの機会に再訪し、源流跡を確かめよう。

「鈴木遺跡」
 鈴木小学校の周辺を廻ってみると、小金井街道沿いに
「鈴木遺跡」の跡が学校内にあった。それがフェンス越しに見える。
 ここは、旧石器時代の遺跡で、1974年6月、小学校の建設中に
江戸時代の水路跡、旧石器時代の石器が出土した。その後、
正式な発掘調査が行われた。
 約3万年から1万年前の長期に渡り、ホモ・サピエンスが
残した生活の痕跡が重なり、石神井川源流域の狩猟の場として、
狩猟集団がベースキャンプとしたと考えられている。

写真は、左上から「源流より下流」、右上が「暗渠」、
左下が「鈴木小学校の入り口」、右下が「鈴木遺跡跡」

 よって、石神井川の源流は、先ほどの「公園北橋」としておこう。
7月1日の日曜日、どんよりした空模様の中、石神井川の最河口から
朝の6時にスタートして、午後1時過ぎに源流に到着した。
途中、水分補給の休憩は取ったものの、ほんの数分程度。
 この日は疲労困憊の橋巡りとなってしまった。石神井川の橋は
177橋を数えた。走破時間7時間、全長25.2kmの石神井川は、
長かった。この日初めて使用した万歩計は、28,587歩を
カウントしていた。お疲れさま。

石神井川の橋巡り 民家に架かる橋から4橋

2007-08-03 06:44:57 | 
「名無し橋3」
 同じく民家に架かる橋。
高欄にブルーのシートがかけてある。
(芝久保町1丁目13番地辺り)

「ともえ橋」
 次の橋が「ともえ橋」。
(芝久保町1丁目12番地辺り)

「鈴木街道に架かる橋」
 鈴木街道に架かる橋が見えてきた。橋の名前がない。
(小平市花小金井南町3丁目10番地辺り)

「公園北橋」
 鈴木街道の橋を過ぎれば、石神井川は小金井公園の北の境界を
進み、「公園北橋」(こうえんきたばし)にたどり着いた。
2004年12月完成のこの橋は、見た目は木製のようだが、
さわるとコンクリートだった。小金井公園通りに架かる橋だ。
(花小金井南町2丁目9番地辺り)

写真は、左上から「名無し橋3」、右上が「ともえ橋」、
左下が「鈴木街道に架かる橋」、右下が「公園北橋」

石神井川の橋巡り 庚申橋より4橋

2007-08-02 06:50:20 | 
「庚申橋」
 本日2つ目の同名橋「庚申橋」(ごうじんはし)。
1977年3月完成。
(南町6丁目7番地辺り)

「名無し橋」
 次は民家に架かる名前のない橋。
(芝久保町13番地辺り)

「幼稚園に架かる橋」
 続いて田無向ヶ丘幼稚園に架かる橋が登場。
この辺りでスタートしてから7時間が経つ。
体力の限界が近づいてきたようだ。
(芝久保町1丁目13番地辺り)

「名無し橋」
 民家に架かるフェンスの高欄の名無し橋。
(芝久保町1丁目13番地辺り)

写真は、左上から「庚申橋」、右上が「名無し橋1」
左下が「田無向ヶ丘幼稚園橋」、右下が「名無し橋2」

石神井川の橋巡り けやき橋から4橋

2007-08-02 06:46:55 | 
「けやき橋」
1974年3月31日完成の「けやき橋」。
(南町5丁目12番地辺り)

「撫橋」
 続く橋が「撫橋」(ぶなはし)。
(南町5丁目13番地辺り)

「さつき橋」
 さつき色のガードレールが高欄の「さつき橋」
(南町5丁目14番地辺り)

「くぬぎ橋」
 川沿いに道がないと、これほど苦労するとは・・・。
迂回、迂回で次の橋までたどり着くものの、疲労困憊。
体力の限界が近づいているようだ。次が「くぬぎ橋」。
(南町5丁目15番地辺り)

写真は、左上が「けやき橋」、右上が「撫橋」、
左下が「さつき橋」、右下が「くぬぎ橋」

石神井川の橋巡り 名無し橋から4橋

2007-08-01 06:48:40 | 
「名無し橋」
 続く橋も名前がない橋。
(南町4丁目7番地辺り)

「すすき橋」
 車道と歩道が分かれた「すすき橋」。
橋に樹木があるのは珍しい。
(南町4丁目24番地辺り)

「柏橋」
 続いての橋が「柏橋」(かしわばし)。
(南町4丁目22番地辺り)

「向台橋」
 1981年3月完成の「向台橋」(むこうだいばし)。
歩道もついている。
(南町4丁目18番地辺り)

写真は、左上から「名無し橋」、右上が「すすき橋」、
左下が「柏橋」、右下が「向台橋」

石神井川の橋巡り 文化大橋から4橋

2007-08-01 06:46:19 | 
「文化大橋」
 文化橋の横には「文化大橋」(ぶんかおおはし)が架かる。
(南町3丁目3番地辺り)

「睦橋」
 1975年6月完成の「睦橋」(むつみはし)。
(南町3丁目4番地辺り)


「富士見橋」
続いての橋が「富士見橋」(ふじみばし)。
文化大橋を過ぎた辺りから、川沿いの道がなくなり
大きく迂回しながら川を遡ることとなった。
体力は消耗しきっている。
(南町3丁目25番地辺り)

「名無し橋」
 ブルーの錆びた高欄で、名前のない橋が登場。
(南町4丁目6番地辺り)

写真は、左上から「文化大橋」、右上が「睦橋」、
左下が「富士見橋」、右下が「名無し橋」

石神井川の橋巡り 南町調整池より3橋

2007-07-31 07:20:00 | 
「南町調整池」
 続いて、石神井川の洪水時、川の水を調整する池がある。
平時は児童公園になっている。
写真右が調整池の出口、左は石神井川
(南町1丁目3番地辺り)

「名無し橋」
 その調整池の前に架かる名前のない橋。
(南町1丁目3番地辺り)

「薫橋」
 次が「薫橋」(すみれはし)。
(南町1丁目15番地辺り)

「文化橋」
 名前がたいそうな橋「文化橋」(ぶんかばし)。
(南町1丁目1番地辺り)

写真は、左上が「南町調整池出口」、右上が「名無し橋」、
左下が「薫橋」、右下が「文化橋」

石神井川の橋巡り 上柳沢橋から4橋

2007-07-31 07:17:56 | 
「上柳沢橋」
 高欄がさびてわびしくなるような「上柳沢橋」
(かみやなぎさわばし)。
(柳沢5丁目1番地辺り)

「川桐橋」
 続く橋が「川桐橋」(かわぎりはし)。
この辺りで、橋巡りをスタートさせて6時間が経った。
まだ先は長い。
(柳沢2丁目19番地辺り)

「境橋」
 石神井川の川面を眺めると、ほとんど水は流れていない。
橋のたもとにお住まいの方に伺うと、夏の頃はほとんど水は
流れていないとおっしゃっていた。
(柳沢5丁目15番地辺り)

「蓮華橋」
先を急ぐ。「蓮華橋」(れんげばし)。
1979年3月完成。
(南町1丁目6番地辺り)

写真は、左上から「上柳沢橋」、右上が「川桐橋」、
左下が「境橋」、右下が「蓮華橋」

石神井川の橋巡り 名無し橋から4橋

2007-07-30 04:36:01 | 
「名無し橋」
 続いて、東伏見稲荷神社の近くに架かる橋で、
名前が付いていない。
(東伏見1丁目6番地辺り)

「坂下橋」
 次の橋は歩道橋もセットになった「坂下橋」(さかしたばし)。
1972年12月完成。
(東伏見1丁目6番地辺り)

「柳沢橋」
 続いて、橋の廻りの草が枯れて、なんとも風情のある橋、
「柳沢橋」(やまぎさわばし)。
(柳沢1丁目9番地辺り)

「青梅街道に架かる橋」
 続いて青梅街道に架かる橋が登場する。
廻りを散策するものの、橋の名前が見あたらなかった。
(柳沢1丁目9番地辺り)

写真は、左上から「名無し橋」、右上が「坂下橋」、
左下が「柳沢橋」、右下が「青梅街道に架かる橋」

石神井川の橋巡り よしきり橋より4橋

2007-07-30 04:31:26 | 
「よしきり橋」
 1979年11月完成の「よしきり橋」。
(武蔵関公園内)

「とちのき橋」
1983年3月完成の「とちのき橋」。
この橋で公園内を流れる石神井川の橋は終了。
公園を出る手前の池端で、長タマレンズ装着のアマチュア
カメラマン多数に遭遇。この池にカワセミが生息しており、
その撮影を試みられているようだ。しかし、あれだけわんさか
人がいれば、カワセミもやってこないように思うが・・・。
(武蔵関公園内)

「溜渕橋」
公園を後にして、すぐのところに橋がある。
「溜渕橋」(ためふちばし)。1980年12月完成。
この橋の北詰めに、早稲田大学の伏見グランドがあり、
あの斉藤佑樹投手もいるはずだが、この日は日米野球で
アメリカに行っている。
(関町北3丁目5番地辺り)

「下野谷橋」
 西東京市に入ってきた。続く橋は、1973年6月完成の
「下野谷橋」(したのやはし)。
(西東京市東伏見3丁目9番地辺り)

写真は、左上より「よしきり橋」、右下が「とちのき橋」
左下が「溜渕橋」、右下が「下野谷橋」