さらにもう一つの寺院を巡ってみた。「安養院」である。こちら
の境内に興味のある碑があるという。
早速、訪れると当院の西側には多摩川の土手が見える。境内には
銀杏の大木があり、その隣りに「銀杏折り取り禁制」碑なる石標が
あった。これは、光明皇后がこちらの薬師に銀杏の樹を奉納し祈願
したところ、乳の出が良くなったと伝わる。
そこで、銀杏の下垂の“乳部”を削り取る者が多くいた。その行
為を禁止するため元禄3年(1690)、当時の住職栄弁によって設
置されたという。その当時は二本の銀杏の大木があったと伝わって
いるが、現在の樹は当時の樹の実より育った何世代か後のものであ
る。
また、境内の隅に富士講を確認できる講紋を刻んだ記念碑があっ
た。富士山の信仰集団・百味講社が造立したもので、表面には112
の講紋、講名、講員名が刻まれており、これだけ数多く刻んだ例は
珍しいという。
(大田区西六郷2丁目33-10)
銀杏折り取り禁制碑 冨士講碑
の境内に興味のある碑があるという。
早速、訪れると当院の西側には多摩川の土手が見える。境内には
銀杏の大木があり、その隣りに「銀杏折り取り禁制」碑なる石標が
あった。これは、光明皇后がこちらの薬師に銀杏の樹を奉納し祈願
したところ、乳の出が良くなったと伝わる。
そこで、銀杏の下垂の“乳部”を削り取る者が多くいた。その行
為を禁止するため元禄3年(1690)、当時の住職栄弁によって設
置されたという。その当時は二本の銀杏の大木があったと伝わって
いるが、現在の樹は当時の樹の実より育った何世代か後のものであ
る。
また、境内の隅に富士講を確認できる講紋を刻んだ記念碑があっ
た。富士山の信仰集団・百味講社が造立したもので、表面には112
の講紋、講名、講員名が刻まれており、これだけ数多く刻んだ例は
珍しいという。
(大田区西六郷2丁目33-10)
銀杏折り取り禁制碑 冨士講碑