塩哲の色即是空

私の日常の活動状況を飾り気なく、素のままで表現する。

Weekendの麺処巡り 覆麺でタンスープ

2009-02-28 14:50:55 | 拉麺_09
 本日の仕事は午前中で終了し、麺処を目指す。
 牛タンなら仙台に行った時によく頂いたことがある。ところが豚
のタンは食べたことがない。さて、どんな味がするのだろう。そん
な思いを込めて神田神保町にやって来た。
 「覆麺」で豚の舌を使用したスープの拉麺1,000円が本日、提供
されるという。毎月第4土曜日の覆麺恒例のデスマッチである。
 TVで紹介されることが多いようで、午後1時に店頭に到着するも
のの、10名程の並びがあった。私が列に加わると一気に10数名が
並ばれた。恐るべし、ふくめん。
 入店すると席は寸胴の前。すると、ブラックマスクさんが柄杓で
よそったスープを見せてくれた。茶色に輝いた濁りのない良いスー
プだ。
 早速、注目の一杯だ登場。本日の付け合わせはレタス。レタスを
入れる拉麺店は何軒かあるが、これがラーメンに良く合っている。
食感も変化が楽しめるので大好きである。
 豚のタンのスープを含んでみる。スルメや帆立の風味がほんのり
と立ち上がり、豚のタンいや動物系の風味は感じられない繊細な旨
味が潤してくれる。ストレートにくる味ではなく、やんわりと伝わ
ってくる感じが特徴かな。うん、旨い一杯だった。


築地市場で喰い道楽 やじ満で牡蛎拉麺

2009-02-28 06:57:07 | 築地市場で喰い道楽
 本日は午前中、会社で打ち合わせ。出社前に築地市場を訪問。如
月も今日で終わり、明日からは弥生。築地場内に並ぶ魚介類も冬か
ら春の装いに変わっていく。
 さて、築地場内、魚がし横丁は大行列の通りと並びが全くない通
りがある。さあ、「やじ満」で牡蛎拉麺950円を頂くこととする。
 暖簾をくぐりカウンターに着き注文。最近は“スリーアミーゴズ”
の親爺達を見なくなった。
 さて、牡蛎拉麺の登場。ソテーされた牡蛎の身がデーンと横たわ
っている。ひとつ箸でつまみ口に含むと、独特の牡蛎の鉱物質のミ
ネラル分が豊潤と溢れ出て、苦みと滋味がほのかに立ち上がる。
 配膳担当のスタッフから「牡蛎が変わったの判りました?」の問
いがあり、なるほど、少し小ぶりになったものの弾力感が増したよ
うだ。今までは広島産で、これからはこの兵庫県産の牡蛎を使用し
ていくとのこと。本日のスープは、いくぶん塩分控えめだった。
 朝から美味しい一杯を頂いた。ごちそうさま。さあ、仕事。

街を巡る 名古屋・熱田界隈 頼朝出生地

2009-02-28 03:35:58 | 街巡り_09
 熱田神宮にお参りし、なんだか心が洗われたようでシャキッと
なった。そして、この街巡り最後の場所へ向かった。そこは神宮
の西の大通り・伏見通りに面したところにある「源頼朝出生地」
を確認するためである。
 この地は、平安時代末期、熱田大宮司である藤原氏の別邸があ
ったところで、藤原季範の娘・由良御前が源義朝の正室となり、
ここで頼朝を生んだ(1147年)といわれている。
 それから時が経ち、この別邸跡に善光上人により、享禄2年
(1529)誓願寺が創建された。妙光山と号した西山浄土宗の
寺で、本尊は木造・阿弥陀如来坐像。
 誓願寺の山門の扉には葵の御門が配されており、当時、徳川家
の庇護を受けたことが伺える。山門の左右から境内に入ることが
出来、細長いアプローチ道があった。
(名古屋市熱田区白鳥2-10-12)
誓願時札所石標

街を巡る 名古屋・熱田界隈 熱田神宮_3

2009-02-27 06:35:29 | 街巡り_09
 熱田神宮のいわれを紐解くと、社の創建は不明とされるものの、
日本武尊が尾張国造のおとよのみことの娘・みやすにめのみこと
と結ばれる。武尊が三重県亀山市・のぼので亡くなり(113年)、
みやすひめのみことがこの地に社を建て、草薙剣(くさなぎのつ
るぎ)を奉斉鎮守したといわれている。よって、神宮の神体は三
種の神器であるこの剣である。
 ところがこんな説もある。草薙剣は太平洋戦争末期、米軍が上
陸して宝物を持ち去るだろうと思われたため、この剣をイミテー
ションのものと交換し、本物は長野のとある場所に隠した。その
後、本物が戻されたのか・・・闇が闇を呼ぶ謎である。
 さて、それはおいとおくとして、伊勢神宮に次ぐ歴史ある神宮
なだけに、参拝も時間をかけて拝した。本宮の拝所から本殿を望
むと、外玉垣御門の前から四尋殿(よじんでん)を拝む。そこか
ら3つの垣があり、一番奥の社殿が本殿となり、こちらに熱田大
神である草薙剣が奉斉されている。また、大神は日本武尊とする
説もある。
(名古屋市熱田区神宮1-1-1)
熱田神宮神殿

Weekdayの麺処巡り 四季のラーメン 春

2009-02-26 18:51:11 | Weblog
 一風堂店主・河原成美氏の“四季のラーメン”、今年初となる
春の一杯は、「GENKAI TAICHA 2009」とタイトルが付けられ
た。どんな河原マジックが提供されるのか、興味を胸に抱いて
「銀座五行」へ伺った。ご一緒したのは、たけぞうさん。
 本日は、午後5時から限定200杯1,500円で“鯛茶漬け”を
イメージした拉麺とある。品書きやパンフ、日本手拭いを頂き開
店を待つ。そして入店。意外と早い順番で入れた。
 器の中は見た目も鮮やかな燻された鯛の身がのり、渋い茶色の
平打ち麺が清湯スープに沈んでいる。この麺は手揉みされた嬉野
茶葉で色づけされており、米粉と強力粉で打ってある。そして、
注目のスープは、鶏と豚骨に魚介系の出汁が加わり、とても上品
で静謐な味が伝わってくる。器の表面にはオイルが浮かぶが、サ
ラサラで旨味をバックアップしている。これは旨い、絶品だ。
 別皿には、甘味のある合わせ味噌がのせられた鯛の刺身と、そ
れぞれの付け合わせ、香の物、それにおむすびと追い出汁がつく。
この追い出汁は、清湯のスープに抹茶が合わされており、おにぎ
り茶漬けは香ばしいあられがワンポイント。
 中でも鯛の燻製とスープの組み合わせが、驚きの旨味を引き出
しており、思わず唸ってしまった。美味しかった。食べ方は千差
万別、いろんな頂き方でいろんな味が楽しめた遊び心一杯の拉麺
だ。これが河原マジックなんだろう。ごちそうさまでした。
特製麺と鯛の燻製  追い出汁とおにぎり茶漬け  たけぞうさん

街を巡る 名古屋・熱田界隈 熱田神宮_2

2009-02-26 07:15:08 | 街巡り_09
 熱田神宮の本殿に進むまでに見ておきたいところが2箇所あり、
参道から脇道にはいる。「信長塀」である。
 この塀は、織田信長が桶狭間の戦いに出陣する際、当神宮に願
文を泰したところ大勝したことにより、そのお礼として永禄3年
(1560)に奉納したものである。
 土と石灰や油で練り固められ、瓦を厚く積み重ねられており、
とても重圧感が迫ってくるような塀だ。
 信長塀は、三十三間堂の「太閤塀」、西宮神社の「大練塀」と
並び日本三大塀として数えられている。
 そしてもう一箇所が「西楽所」である。貞享3年(1686)に
徳川綱吉のが再建したとある。元は、この西楽所と相向かい合っ
て「東楽所」があったという。5月1日には舞楽神事として、こ
こで楽が奉納される。
(名古屋市熱田区神宮1-1-1)
西楽所

Weekdayの麺処巡り 六花で塩

2009-02-25 20:25:21 | 拉麺_09
 本日から新宿高島屋で北海道展の催事が始まり、拉麺店も出店が
あった。今回は函館の「らーめん 六花」(りか)である。
 早速、仕事を終えて夜のデパ催事場へ。北海道展はどこのデパー
トへ行っても人気があり、夜の時間帯も大盛況だ。イートインも行
列が出来ている。
 高島屋は、料金後払い、席についてオーダーする。限定50食、
ズワイガニと帆立がトッピングされた「至福の塩」1,260円を伺う
と、既に売り切れ。「函館の塩」693円を注文。
 見たところとてもシンプルな一杯で、鶏と生姜の風味が器から香
り立ち、なかなか旨いスープ。玉子麺もこのスープに合っている。
しかし、何かが足りないなあ。
至福の塩のメニュー写真

街を巡る 名古屋・熱田界隈 熱田神宮_1

2009-02-25 04:41:11 | 街巡り_09
 七里の渡しを後に、「熱田神宮」へ向かう。国道1号線に架か
る歩道橋から蔵福寺を確認して、伏見通りに面した西門から神宮
に参拝した。
 参道途中に今まで見てきた巨木の中でも最大である「大楠」に
お目にかかった。幹廻り870cm、樹高33m、樹齢は1,000年
以上という(数字はどれも推定)。この楠は弘法大師お手植えと
説明書きにあった。
 また、境内には楠が数多くあり、その中でも特に巨木の楠を
“七本楠”と名付けて呼ばれている。
 この大楠の植わる前の参道に、本殿の「勝男木」(かつおぎ)
が展示されていた。神宮の本殿は1955年に伊勢神宮の内宮旧正
殿(1929年造営)の譲渡を受け造営されたもので、屋根の上に
棟に直角になるよう数本を平行して並べられた部材の木である。
 鰹木とも呼ばれ、その姿が鰹節に似ているところから命名され
ている。
(名古屋市熱田区神宮1-1-1)
勝男木

街を巡る 名古屋・熱田界隈 時の鐘

2009-02-24 06:34:38 | 街巡り_09
 七里の渡し跡で一番目立っていたのは、やはり「時の鐘」の塔
である。そばまで来ると見上げなければならないほどである塔は、
1983年に公園設置にあわせて復元されたもので、8時、正午、
夕方の6時に時を知らせている。また、江戸時代の当時のものは、
神宮南門近くにある蔵福寺に設置されている。
 江戸の頃の宮の宿は、神宮の門前町として栄えると同時に、こ
の渡しから海上七里(28里)を乗り越えて桑名へ渡る港である。
そして、越前路、美濃路、佐尾路(海上の迂回路)との分岐点と
なるところで、お伊勢参りや大名の参勤交代で往来も多く、街道
最大の宿場であった。本陣が二つ、脇本陣を含めて250軒もの旅
宿があったという。
 宮の渡し公園の向かいに江戸の頃の風格ある建物がある。これは
丹羽家の脇本陣格の旅籠である。屋号を「伊勢久」と称し、屋敷内
に西国大名の各藩名入りの提灯箱があるという。
 建物正面の破風付き玄関は、かつての風格と格式を残している。
戦前には屋根に立派な卯建(うだつ)があったそうで、現在は袖卯
建のみ。
(名古屋市熱田区神戸町辺り)
丹羽家旅籠屋  宮の渡し公園

街を巡る 名古屋・熱田界隈 七里の渡し

2009-02-23 06:42:43 | 街巡り_09
 江戸時代の熱田(当時は宮と呼ばれていた)界隈は、伊勢湾の浜
辺がすぐそばまで来ており、この地から桑名まで船で廻航する海路
がとられていた。そんな当時の光景を思い浮かべながら「七里の渡
し」跡へ赴いた。
 宮の渡し公園内に入ると、伊勢湾台風の説明板と海水が2m以上
も押し寄せたことを示す指示柱があった。その場所からひときわ大
きな「時の鐘」の塔が見え、その先にこぢんまりした「常夜灯」が
あった。近づいてみると、この常夜灯はそこそこ高さもあり、しっ
かりした石造りで驚いた。
 寛永2年(1625)に設置された常夜灯は、現在は復元されて当
時の面影を醸し出している。また、廻りの景色から川岸にボートが
係留されていることを見れば、新堀川を下って伊勢湾まで出られる
ことが伺える。遊覧船の船着き場もあるので、ここから観光に出ら
れるようだ。
(名古屋市熱田区・宮の渡し公園内)
常夜燈