昨日の「覆麺」デスマッチは仕事で伺えなかったが、本日の「が
んこ池袋」のSPには並ぶことが出来た。がんこ常連さんの事前予
告情報では“干し貝、干し海老、干し浅利”と乾きものを食材にし
てとったスープの塩味拉麺1,000円が振る舞われるとのこと。
この食材の名を聞くだけで味が思い浮かび、ゲンコツが出る前か
ら落ち着かない。乾き物スペシャルということで、店に着く前にス
コッチをストレートで数杯あおって来た。既に心も体もハイ状態。
するとメガネさんとFujiiさん、BUSHさん、ビッグスクーターさん、
がんこと覆麺のSPディには必ず拝見する方等々、本日も並びは多い。
スープはいつもの黄金色よりも濃いめに出来上がり、沖縄のもず
くがトッピング。乾物類の苦味が凝縮したようでとてもしょっぱい、
色は薄いが味は悪魔だ。チャーシューの甘さが際立っていた。
がんこ池袋の年末最終営業は12月27日(日)で、当日のスペ
シャルは上海蟹を使用したスープの塩拉麺とのこと。こちらも注目。
本日の告知
んこ池袋」のSPには並ぶことが出来た。がんこ常連さんの事前予
告情報では“干し貝、干し海老、干し浅利”と乾きものを食材にし
てとったスープの塩味拉麺1,000円が振る舞われるとのこと。
この食材の名を聞くだけで味が思い浮かび、ゲンコツが出る前か
ら落ち着かない。乾き物スペシャルということで、店に着く前にス
コッチをストレートで数杯あおって来た。既に心も体もハイ状態。
するとメガネさんとFujiiさん、BUSHさん、ビッグスクーターさん、
がんこと覆麺のSPディには必ず拝見する方等々、本日も並びは多い。
スープはいつもの黄金色よりも濃いめに出来上がり、沖縄のもず
くがトッピング。乾物類の苦味が凝縮したようでとてもしょっぱい、
色は薄いが味は悪魔だ。チャーシューの甘さが際立っていた。
がんこ池袋の年末最終営業は12月27日(日)で、当日のスペ
シャルは上海蟹を使用したスープの塩拉麺とのこと。こちらも注目。
本日の告知
11月も残りわずか、この時季気になるのが「神宮外苑の銀杏並
木」の紅葉具合。少し早起きをして神宮外苑へ向かうところ、途
中下車して高田馬場の麺処「末廣ラーメン本舗・高田馬場店」へ。
店頭に到着すると、店は閉められており24時間営業ではなくなっ
ていた。
では、東京メトロ副都心線で新宿へ。「どうとんぼり神座」こ
こなら24時間営業で無休。途中、呼び込み屋に声をかけられるが、
こちらも“ごくろうさま”と返しておいた。
神座の新宿店はグランドオープン時に伺ったきりだから再訪問。
美味しいラーメン700円は当時は衝撃的な味だったが、今回はす
き焼き風の香りがきつく少しガックリ。
さて、夜が明けた6時30分過ぎに神宮外苑に到着、すでに数多
くの紅葉ファンがあちこちに。雨でも降れば人も少なく、思い通
りのカットが撮れるのだが、ここは我慢。
来週末、再度伺おう。
美味しいラーメン 銀杏の落ち葉
木」の紅葉具合。少し早起きをして神宮外苑へ向かうところ、途
中下車して高田馬場の麺処「末廣ラーメン本舗・高田馬場店」へ。
店頭に到着すると、店は閉められており24時間営業ではなくなっ
ていた。
では、東京メトロ副都心線で新宿へ。「どうとんぼり神座」こ
こなら24時間営業で無休。途中、呼び込み屋に声をかけられるが、
こちらも“ごくろうさま”と返しておいた。
神座の新宿店はグランドオープン時に伺ったきりだから再訪問。
美味しいラーメン700円は当時は衝撃的な味だったが、今回はす
き焼き風の香りがきつく少しガックリ。
さて、夜が明けた6時30分過ぎに神宮外苑に到着、すでに数多
くの紅葉ファンがあちこちに。雨でも降れば人も少なく、思い通
りのカットが撮れるのだが、ここは我慢。
来週末、再度伺おう。
美味しいラーメン 銀杏の落ち葉
旧東海道を西に進んでいると、赤い鳥居が整然と並ぶ光景が目に
飛び込んできた。ここが「道念稲荷社」。昔、道念和尚が旅の途中
で立ち寄った際に建てられたという社だ。
幾重にもつづら折れて重なる赤い鳥居、その参道入り口は、なぜ
か閉ざされており脇から眺めるだけ。一番手前の大きな鳥居の頂点
横木だけが黒く塗られているのは、何かの呪いであろうか。
こちらの大祭は、毎年6月の第1日曜日に開催される「蛇も蚊も」
だ。今から300年ほど前の江戸時代、この辺りで流行った疫病に多
くの人が苦しめられた。そこで、村人は氏神であるスサノウノミコ
トにちなんで大蛇によって疫病を退散させようと考えた。当時の祭
は5月5日の端午の節句に行われていた。
生麦あたりの河港には萱が生い茂り、その萱で長さ8間、胴回り
2尺の大蛇が作られ「蛇も蚊もでたけい、でたけい、でたけい、日
より雨けい、雨けい、雨けい」と囃し立てながら村中を練り歩いた
という。そして最後は、悪病を封じ込めた大蛇を海に流すと、その
疫病が治まったと伝承されている奇祭である。
(横浜市鶴見区生麦4-27)
石標 蛇も蚊も発祥地しるべ
飛び込んできた。ここが「道念稲荷社」。昔、道念和尚が旅の途中
で立ち寄った際に建てられたという社だ。
幾重にもつづら折れて重なる赤い鳥居、その参道入り口は、なぜ
か閉ざされており脇から眺めるだけ。一番手前の大きな鳥居の頂点
横木だけが黒く塗られているのは、何かの呪いであろうか。
こちらの大祭は、毎年6月の第1日曜日に開催される「蛇も蚊も」
だ。今から300年ほど前の江戸時代、この辺りで流行った疫病に多
くの人が苦しめられた。そこで、村人は氏神であるスサノウノミコ
トにちなんで大蛇によって疫病を退散させようと考えた。当時の祭
は5月5日の端午の節句に行われていた。
生麦あたりの河港には萱が生い茂り、その萱で長さ8間、胴回り
2尺の大蛇が作られ「蛇も蚊もでたけい、でたけい、でたけい、日
より雨けい、雨けい、雨けい」と囃し立てながら村中を練り歩いた
という。そして最後は、悪病を封じ込めた大蛇を海に流すと、その
疫病が治まったと伝承されている奇祭である。
(横浜市鶴見区生麦4-27)
石標 蛇も蚊も発祥地しるべ
生麦魚河岸とくれば漁師、その氏神さんが路地奥にあった。
「生麦水神宮」は、以前は正泉寺の境内にあったそうで、1927年
に現在の地に移転。正月2日には豊漁と安全を祈願して船を出す
“乗り初め”神事が行われていたが、それも昔の話。調べてみると、
その神事は一時中断していたが、1981年に復活し1994年まで続
いていたという。
こちらの社の境内左奥に、富士講とわかる富士浅間神社が祀って
あった。
(横浜市鶴見区生麦4-31)
水神宮_狛犬
「生麦水神宮」は、以前は正泉寺の境内にあったそうで、1927年
に現在の地に移転。正月2日には豊漁と安全を祈願して船を出す
“乗り初め”神事が行われていたが、それも昔の話。調べてみると、
その神事は一時中断していたが、1981年に復活し1994年まで続
いていたという。
こちらの社の境内左奥に、富士講とわかる富士浅間神社が祀って
あった。
(横浜市鶴見区生麦4-31)
水神宮_狛犬
本日は仕事で岐阜県瑞浪市に来ている。宿に旅荷を置くなり市内
へ飛び出すものの、目当ての麺処がないので、以前舌鼓を打った店
の暖簾をくぐった。
こちらは「鵜舟」(うぶね)といって和食のお店。夕方だという
のに多くのお客さんで賑わっている。早速、石焼きひつまぶしを注
文。ひつまぶしだけならよく頂いているが、石焼きである。箸が進
むうちにお焦げも出来上がるという石焼きだ。
タレを少し掛けて、まず音を楽しむ。熱々のご飯に旨い鰻が香り
を立ち上げて、みるみる間に器の中が減っていく。最後は旨味の出
汁をかけた鰻ご飯のお茶漬けを楽しんだ。旨かった。
鵜舟
岐阜県瑞浪市寺河戸町1101-6
TEL.0572-67-1501 月曜定休日
へ飛び出すものの、目当ての麺処がないので、以前舌鼓を打った店
の暖簾をくぐった。
こちらは「鵜舟」(うぶね)といって和食のお店。夕方だという
のに多くのお客さんで賑わっている。早速、石焼きひつまぶしを注
文。ひつまぶしだけならよく頂いているが、石焼きである。箸が進
むうちにお焦げも出来上がるという石焼きだ。
タレを少し掛けて、まず音を楽しむ。熱々のご飯に旨い鰻が香り
を立ち上げて、みるみる間に器の中が減っていく。最後は旨味の出
汁をかけた鰻ご飯のお茶漬けを楽しんだ。旨かった。
鵜舟
岐阜県瑞浪市寺河戸町1101-6
TEL.0572-67-1501 月曜定休日
魚河岸通りを西に進むと左側に南海山 瑠璃光院「正泉寺」(しょ
うせんじ)がある。寛永元年(1624)開創、ご本尊は海中より出
現した薬師如来坐像。
この寺の短い参道に鶴見区で一番古いと言われる「地蔵尊」があ
った。南西向きに安置されている地蔵は、慶安5年(1652)に供
養造立したとある。門主に伺うと、この地蔵は違うお寺に祀られる
ため運ばれている途中、こちらの参道で休息のため一時置かれたが、
再び動かそうとしたところ、持ち上げることが出来なかったと言う
伝承が残されているという。
山門をくぐり本殿前に来ると小さな舎の中に「亀供養墓」があっ
た。これは、この地で地引き網を行っていた時、網の中に大きなウ
ミガメが一匹架かっていて、漁師たちが竜宮の使いとして酒を飲ま
せた。その後、1912年に亀の死を哀れんで供養墓が建てられたと
いう。
(横浜市鶴見区生麦4-31-4)
亀供養塔 正泉寺
うせんじ)がある。寛永元年(1624)開創、ご本尊は海中より出
現した薬師如来坐像。
この寺の短い参道に鶴見区で一番古いと言われる「地蔵尊」があ
った。南西向きに安置されている地蔵は、慶安5年(1652)に供
養造立したとある。門主に伺うと、この地蔵は違うお寺に祀られる
ため運ばれている途中、こちらの参道で休息のため一時置かれたが、
再び動かそうとしたところ、持ち上げることが出来なかったと言う
伝承が残されているという。
山門をくぐり本殿前に来ると小さな舎の中に「亀供養墓」があっ
た。これは、この地で地引き網を行っていた時、網の中に大きなウ
ミガメが一匹架かっていて、漁師たちが竜宮の使いとして酒を飲ま
せた。その後、1912年に亀の死を哀れんで供養墓が建てられたと
いう。
(横浜市鶴見区生麦4-31-4)
亀供養塔 正泉寺
国道駅のガード下から生麦魚河岸通りに出る。この通りは江戸の
頃から続く旧東海道にあたり、街道に沿い400mほどに約80軒の
店が並び、寿司屋もネタを買いにくるプロ御用達の魚河岸で、一般
の小売りもしてくれる。
少し歩いたところで、まずいことに気がつく。歩いた時間が朝早
すぎたし、日曜日だった。この時間、この曜日は通りの左右のお店
はほとんどシャッターが降ろされ、味も素っ気もないただの通りに
すぎない。それでも、店先に掲げられた看板で鮮魚類を扱う魚屋で
あることが判る。次に伺う時は商売が始まる時間(ピークは7時か
ら9時)としよう。
(横浜市鶴見区生麦5丁目辺り)
頃から続く旧東海道にあたり、街道に沿い400mほどに約80軒の
店が並び、寿司屋もネタを買いにくるプロ御用達の魚河岸で、一般
の小売りもしてくれる。
少し歩いたところで、まずいことに気がつく。歩いた時間が朝早
すぎたし、日曜日だった。この時間、この曜日は通りの左右のお店
はほとんどシャッターが降ろされ、味も素っ気もないただの通りに
すぎない。それでも、店先に掲げられた看板で鮮魚類を扱う魚屋で
あることが判る。次に伺う時は商売が始まる時間(ピークは7時か
ら9時)としよう。
(横浜市鶴見区生麦5丁目辺り)
川崎を後に、浜川崎駅からJR鶴見線に乗り国道駅で下車。
第一京浜国道と鶴見川に挟まれたこの駅は、高架駅でホームから
階段を伝って下りていくと、ガード下通りのその光景が、まるで時
間を巻き戻したように昭和初期の面影を残している。しいて現在を
挙げるなら、改札口に設置された無人用簡易Suica改札機だろう、
がこれが真新しくて、このシーンには似合わない。
1930年(昭和5年)開業とあり、レトロな駅の雰囲気はこれま
でに映画やTVドラマのロケで使用されてきている。しかし、このヒ
ンヤリとした空気、日中はいいが、夜一人で歩くにはいささか勇気
がいるだろう。
(横浜市鶴見区生麦5-12-14)
JR国道駅_2 国道駅_3
第一京浜国道と鶴見川に挟まれたこの駅は、高架駅でホームから
階段を伝って下りていくと、ガード下通りのその光景が、まるで時
間を巻き戻したように昭和初期の面影を残している。しいて現在を
挙げるなら、改札口に設置された無人用簡易Suica改札機だろう、
がこれが真新しくて、このシーンには似合わない。
1930年(昭和5年)開業とあり、レトロな駅の雰囲気はこれま
でに映画やTVドラマのロケで使用されてきている。しかし、このヒ
ンヤリとした空気、日中はいいが、夜一人で歩くにはいささか勇気
がいるだろう。
(横浜市鶴見区生麦5-12-14)
JR国道駅_2 国道駅_3
今度は大島3丁目に進んでみて、ある建物を確認したかった。そ
れは、「大島劇場」。この劇場は、浅草の木馬館大衆劇場、十条の
篠原演芸場、立川の立川大衆劇場と東京大衆演劇劇場協会に所属す
る4館のうちの一つ。開館は1950年、かつては川崎市内に18軒も
の演劇場があったといわれる。
大衆演劇の良さは、観客席が舞台に立つ役者との距離感が限りな
くゼロに近く、その演劇中の一体感が魅力の一つでもある。この劇
場は、かつては下町の玉三郎こと梅沢富美雄も公演したところ。
大島劇場11月の1ヵ月公演は、「風美涼太郎劇団」が旗揚げをし
ていた。
(川崎市川崎区大島2-16-1)
11月公演
れは、「大島劇場」。この劇場は、浅草の木馬館大衆劇場、十条の
篠原演芸場、立川の立川大衆劇場と東京大衆演劇劇場協会に所属す
る4館のうちの一つ。開館は1950年、かつては川崎市内に18軒も
の演劇場があったといわれる。
大衆演劇の良さは、観客席が舞台に立つ役者との距離感が限りな
くゼロに近く、その演劇中の一体感が魅力の一つでもある。この劇
場は、かつては下町の玉三郎こと梅沢富美雄も公演したところ。
大島劇場11月の1ヵ月公演は、「風美涼太郎劇団」が旗揚げをし
ていた。
(川崎市川崎区大島2-16-1)
11月公演