塩哲の色即是空

私の日常の活動状況を飾り気なく、素のままで表現する。

ミュージアム巡り 古文書 明状元図考 柯潜

2011-08-26 05:54:58 | ミュージアム巡り_2011
 続いての首席は、景泰2年(1451)にトップに立った柯潜。こ
こでも瑞兆が描かれていた。ちなみに、この年は未年。
 絵を見ると、彼は夢の中で豪華な料理を食べていた。そのメニ
ューは、羊の頭料理で、“羊の年”に“頭”(首席)となると韻が踏
まれている。
(千代田区北の丸公園3-2)


ミュージアム巡り 古文書 明状元図考 呉寛

2011-08-25 05:54:24 | ミュージアム巡り_2011
 中国の難関試験・科挙において首席で合格すると、その人物は
何らかの瑞兆が現れるといわれていた。
 成化8年(1472)に首席となった呉寛は、その瑞兆が龍に乗
って空を飛ぶ夢を見たという。絵図には、勉強中に居眠りをして
龍に乗る呉寛が描かれていた。
(千代田区北の丸公園3-2)


ミュージアム巡り 古文書 明状元図考 呉伯宗

2011-08-24 05:58:19 | ミュージアム巡り_2011
 続いて展示されていたのは中国の古文書。
 「明状元図考」は、明時代(1368~1661)に実施された科挙
(官吏登用試験)に首席(中国では状元という)で合格した人物
の逸話が絵入りで紹介された古文書だ。
 明の万暦35年(1607)に刊行されたもので、江戸幕府の蔵書
庫・紅葉山文庫に収蔵されていた全5巻。
 首席のトップを飾るのが「呉伯宗」。

 明の時代で初めて科挙が行われたのが、洪武4年(1371)に
実施された。この時に首席になったのが呉伯宗。彼は将来の立身
出世は約束されたもので、古文書の絵図には皇帝から拝領した上
着、シャク、冠を身にまとい得意満面の様子が描かれている。
(国立公文書館:千代田区北の丸公園3-2)


ミュージアム巡り 古文書_2 カラフト島図

2011-08-23 05:55:03 | ミュージアム巡り_2011
 長崎・オランダ商館の医師であり、長崎郊外の鳴滝に塾を開き西
洋医学を伝授したシーボルトの「カラフト島図」が展示されていた。
 この地図は、文政12年(1829)に研究資料として自国に持ち帰
ろうとしたところ、それがばれて国外追放となったシーボルト事件
の、まさにその地図。当時の幕府は海外持ち出しを禁止していた。
 事件発覚後、シーボルトの住まいから押収された地図で、大きさ
は左右57cm、天地1m31cmで、地図の中に“シーボルト所持品之内
より取上候“と記されている。
(国立公文書館:千代田区北の丸公園3-2)


ミュージアム巡り 古文書_2 北夷談

2011-08-22 05:58:34 | ミュージアム巡り_2011
 続いての展示資料は、幕臣・松田伝十郎がアイヌの熊祭やロシア
の艦長ゴローニンをロシア側に引き渡した模様が絵入りで記録され
ている「北夷談」。

 新潟で生まれた松田は、10代で江戸に出て幕臣・松田家の養子と
なり、その後、蝦夷地御用掛として蝦夷地に渡り勤務した。また、
間宮林蔵と共に文化5年(1808)カラフト探検を行い、カラフトが
島であることを確認している。
(千代田区北の丸公園3-2)


ミュージアム巡り 古文書_2 西洋紀聞

2011-08-21 06:03:56 | ミュージアム巡り_2011
 続いての「西洋紀聞」は、享保9年(1724)頃刊行されたもの
で、新井白石が屋久島で捕らえられたイタリア人・シドッチから得
た海外の情報が記されたもの。
 展示されていた資料は、白石自筆の清書本で、寛政5年(1793)
に白石の曾孫・成美から幕府に献上されたもの。
(千代田区北の丸公園3-2)

ミュージアム巡り 古文書_2 四書五経

2011-08-20 12:49:09 | ミュージアム巡り_2011
 古文書の中で、紅葉山文庫(江戸城内紅葉山の収蔵庫)に保存さ
れていた徳川将軍家の蔵書が数点展示されていた。
 まずは「四書五経」は、儒学の重要な経書の総称で、展示されて
いた資料は慶長の役(1597)で捕虜となった朝鮮の知識人で儒学
者のカンハンが、伏見の地で赤松広通の求めに応じて書写した四書
五経だ。
 この書は小さくて携帯に便利な小型本で、カンハン自筆のあとが
きが残っている。
(千代田区北の丸公園3-2)