塩哲の色即是空

私の日常の活動状況を飾り気なく、素のままで表現する。

「街を巡る」東上野~西浅草「鍋かぶり地蔵」

2008-04-30 06:41:15 | 街を巡る
 寿の街並みから浅草通り、国際通りを横断し西浅草1丁目に入
った。願竜寺に山田宗偏の墓があるので伺ったが、いくら探すも
見つからなかった。今回の著名な人物の墓巡りは半分方、墓が見
つけだされず失敗だった。
 山田宗偏は、江戸初期の茶人で、宗偏流の創始者である。境内
に碑があったので、そちらを撮影。(西浅草1-2-16)
 続いて、宗恩寺へ向かう。こちらには織田得能の墓が安置され
ているが、またしても墓はわからなかった。織田は明治期の真宗
大谷派の僧侶で、我が国初の仏教辞典「仏教大辞典」を著した執
筆者。明治32年から取りかかり亡くなるまで、この寺の土蔵で
ただ一人で続けられ、生存中は刊行されなかった。
 大正6年、その原稿を元に、上田万年、芳賀矢一、南条文雄、
高槻順次郎によって刊行されている。
 門前を入った右側に織田の筆による「念仏成仏」の碑が設置さ
れていた。(西浅草1-6-7)
 さて、以前訪ねて安置場所がわからなかった「鍋かぶり地蔵」
に伺った。それは萬年山祝言寺の境内にひっそりとあった。お寺
の関係者が掃除をしておられたので聞いてみると、やはりこの地
蔵がお目当ての鍋かぶり地蔵だ。
 地蔵自体、姿形が判明しないものの、唯一、鍋を被っているの
で、それとわかる。なんでも、直参旗本・酒井家に祀られていた
地蔵で、眼病治癒に霊験があるそうだ。
(台東区松が谷1丁目6番地)
山田宗偏の碑 織田得能の碑

Holidayの麺処巡り むろやでオーション麺

2008-04-29 13:48:08 | 拉麺_08
 新宿御苑に来たなら寄りたい麺処がある。「ラーメンむろや」だ。
さて、祝日は営業しているだろうか、一抹の不安を胸に店頭に到着
するも、何故か暖簾がかかっている。腕時計を見ると11時ジャス
ト、店内を覗くと渕上店主が“どうぞー”のジェスチャーが帰って
きた。「早く準備が出来たから開けました」とのこと。正式には
11時15分開店である。
 チケットを購入しようとすると、「裏がありますよ」とのこと。
この裏メニューとはFILEさんのブログに載っていた「オーション
麺」のこと。早速塩つけ麺700円を購入して、待つことしばし。
すると、店頭に怪しい人影が、これは失礼、FILEさんだった。そ
うこうする内にKenちゃん。も登場。なんだか一時のがんこ総本
家並びの巻状態である。一ヶ月弱の出会いで四方山話で華が咲い
た。オーション麺は茹で時間がかかるため、四方山が五山にも六
山にもなってしまうほど情報の収集が出来た。
 さて、浅草開化楼のオーション麺のつけ麺が登場。麺だけを口
に運ぶ。極太の麺は噛みしめるほどに弾力があり、それが口の中
でホッピングを始めるではないか。噛みしたためるとは、まさに
このこと。これは面白いユニークな麺である。「ぽっぽっ屋さん
と同じ麺です」と渕上店主。
 そして、薄桃色の粉は、蟹パウダーでお好みでつけ汁に投入し
たり、麺の上に振りかけたりして楽しんでみた。今後、むろやさ
んで楽しめる機会が増えそうである。


FILEさん  Kenちゃん。

「街を巡る」番外編「ハンカチの木」

2008-04-29 13:39:16 | 街を巡る
 べんてんを後に、新宿御苑を目指した。本日は入園無料。早速、
新宿門から入園し、「ハンカチの木」(学名:ラクウショウ)がある
“母と子の森”と呼ばれるコーナーに向かう。
 おおー、見えてきた。遠くからでも白い花びらのような葉が風で
ハタハタとなびいているようで、たしかに純白の小さなハンカチが
木の枝に無造作に吊されているように見える。
 この感動は、なんだろうか。始めて見る光景、少しだけ心が洗わ
れたようである。ハンカチの木、ありがとう。

ハンカチノキ_2

Holidayの麺処巡り べんてんで塩

2008-04-29 13:35:33 | 拉麺_08
 本日は「昭和の日」、祝日である、ハタ日である。今年のGWは
祝日の並びが今イチ悪く、カレンダー通りの休みであるので少しば
かり損をしたような感じである。それでも、祝日は有効に使いたい。
 まずは、馬場のべんてんを目指す。
 祝日のべんてんは良いものだ。なんだかのんびりとして、店内も
笑いが絶えない。田中マスターの人徳なんだろう。この雰囲気が好
きだな~。
 さて、塩800円麺少なめの中身を伺うと、牡蠣が2個、それに雲
呑がのせられて登場。何とも色鮮やかで豪華な一杯である。スープ
は牡蠣のエキスのタレがフンワリと包み込み、味は言うに及ばず素
晴らしい出来映えで、最後まで至福の一時を堪能することが出来た。
たいへん旨い一杯であった。

牡蠣と雲呑

「街を巡る」東上野~西浅草「宗吾殿」

2008-04-29 04:56:45 | 街を巡る
 今度は寿3丁目に廻ってみた。ここに江戸の義民、惣五郎(宗
吾)を供養する「宗吾殿」というお堂がある。惣五郎は下総国佐
倉公津村の農民(名主とする説もある)で、江戸の初期・承応年
間(1652~54)佐倉藩の重い租税に苦しむ農民のため、藩主の
堀田正信に直訴を図り、その罪(当時、直訴は御法度)により処
刑された。
 後年、歴代の藩主は惣五郎の霊を絶えず弔い、法要も営んでい
る。この辺りは正信の子、正休の家系である近江国宮川藩主・堀
田家の屋敷地で、宗吾殿は同家の敷地内にあった。享和5年
(1803)に150回忌の法要が営まれたその頃に建立されたよう
である。
 惣五郎はその後、芝居や講談の題材となり、明治に入ってから
当主・堀田正養により宗吾殿の一般参詣を許可し、それ以降、劇
場関係者や庶民から多くの信仰を集めている。現在のお堂は戦災
後、1953年に有志により再建されている。門の建物が太いパイ
プで補強されていたのが、なんとも痛々しい。
(台東区寿3丁目19番12号)

宗吾殿看板

「街を巡る」東上野~西浅草「荷田在満」の墓

2008-04-28 06:44:43 | 街を巡る
 続いて金龍寺へ向かった。こちらの墓地に「荷田在満」(かだ
のありまろ、1706~1751)の墓がある。江戸中期の国学者。生
まれは山城国伏見で、荷田春満(あずままろ)の弟・羽倉高惟の
長男で、後に春満の養子となる。
 在満は、享保13年(1728)に和学者として幕府に登用されるよ
うに江戸に下り、徳川吉宗の次男・田安宗武に仕え有職故実の研究
を行う。元文3年(1738)、桜町天皇の「大嘗会儀式具釈」9巻
を撰進した。翌年、在満は「大嘗会弁蒙」(だいじょうえべんもう)
2巻を無断刊行し、その内容が時の朝廷の秘儀を公開したという罪
で、100日間の閉門に処せられる。
 寛保2年(1742)に「国歌八論」が田安と意見対立し、田安家
を退隠する。その後、叔父の春満の有識故実の研究を継承発展させ、
近世歌論の発展に時期を画している。
 また、春満は、賀茂真淵、本尾宣長、平田篤胤とともに国学の四
大人と呼ばれたひとりでもある。
(台東区寿2丁目10番4号)

Weekdayの麺処巡り 二葉で塩

2008-04-27 14:36:26 | 拉麺_08
 若狭亭を後に荻窪まで歩き北口にある「二葉・上荻店」へ伺った。
 物価高騰の折、ここ二葉の価格改定が4月19日から行われていた。
私の購入した塩850円が上がっているのか据え置きなのか、久しぶ
りに伺ったのでわからない。そういえば、小林店主はダイエット中
なのか、かなり痩せておられる。ダイビングでシェイプアップされ
ているのであろうか。私もウォーキングで頑張ろう。
 さて、塩拉麺が登場。豚骨と煮干しのコラボスープが旨い。鯖節
もフンワリと漂い、二葉の塩拉麺は少しずつ進化を遂げているよう
だ。三河屋製麺の麺は変わらないな。本日は、柚胡椒がこの一杯に
は少し濃すぎたようである。

二葉 上荻店
杉並区上荻1-16-14 03-3392-3537
11:30~16:00、17:30~22:00 無休
HP http://ogikubo-futaba.com/

二葉・上荻店

Weekendの麺処巡り 若狭亭で塩

2008-04-27 14:28:10 | 拉麺_08
 福井県小浜市と東京都立川市にそれぞれ本社を構えるPFDという
会社がプロデュースした拉麺店で、4月8日にグランドオープン。
ついつい行きそびれて、本日の訪問となった。
 小浜市といえば、子供の頃は親に連れられて海水浴によく行った
ことがある。最近ではNHKの朝の連続ドラマ「ちりとてちん」で
ブレイクし、アメリカ大統領選のオバマ候補を応援するパフォーマ
ンスも話題になったところ。
 それに、若狭湾で水揚げされる魚介類も独特な種類があり、食通
の舌を唸らせている。若狭で好きな食材を上げるとなると、トップ
に“若狭カレイ”、“鯖のへしこ”、“小鯛のささ漬け”である。
 東京メトロ・丸の内線の南阿佐ヶ谷駅で下車、青梅街道を荻窪方
面に進むと「若狭ラーメン」の看板が目にはいる。早速、入店し、
塩ラーメン750円+味付け玉子半個50円を注文。
 PFDでは既に、レトルト食品で「小浜ラーメン」が販売されてい
るため、基本となるラインは出来上がっている。あえて店舗として
運営されるのであるから、力が入るのがわかる。
 早速、その一杯が登場。器の中はいたってシンプル。動物系と魚介
系のミックスされたスープ、加水が多めの縮れ麺。特に魚介の風味が
強烈に主張する、なかなか旨いスープであった。
 帰りがけに「おおきに!!」のかけ声のトーンは、ズバリ関西である。

小浜ラーメン 若狭亭
杉並区成田東5-15-24
11:30~22:00 無休
HP http://www.pfd-inc.jp/

若狭亭

「街を巡る」番外編 根津神社のツツジ

2008-04-27 14:21:53 | 街を巡る
 本日は、街巡りで浅草の花川戸から橋場まで、江戸の頃を感じ
る名所を巡ってみた。その後、文京区の根津神社を目指した。こ
の時期の根津といえば、ツツジである。
 手入れが行き届いているツツジである。フッと心和む風景が目
に焼き付いた。今年もツツジを愛でることが出来た。
 この後、週末の麺処巡りとして、うどんの「釜竹」へ伺った。
ところが、28日まで臨時休業とのこと。少しがっかり。その足
で、阿佐ヶ谷を目指した。

釜竹

「街を巡る」東上野~西浅草「長瀧山本法寺」

2008-04-27 05:37:57 | 街を巡る
 次に寿町に入る。本法寺を目指した。この寺の境内には熊谷稲荷
の祠や「はなし塚」「扇塚」「筆塚」などもある。
 この長瀧山本法寺は、天正19年(1591)、太田道灌の居城・江
戸城の紅葉山に初代日先上人が開山したのが発祥の地。その後、家
康が江戸城を築城する際、八丁堀に移転。さらに明暦2年(1657)
の振り袖火事で焼失し、幕府の命により現在の地に移っている。
 境内にある熊谷稲荷は、白狐が祀ってある。白狐はこちらと弘前
の津軽藩公が祀る2体しかなく、とても珍しいそうだ。財物に恵ま
れ、人生の幸福を授かるという霊験があるといわれる。
 「はなし塚」は、日本が太平洋戦争へ向かう戦時下、各種芸能団
体は演題種目に自粛を強いられた。落語会も例外ではなく、演題の
中から53種を禁演落語とした。その中には「木乃伊取(みいらと
り)」や「五人廻し」「明鳥(あけがらす)」などの江戸落語の名作
が含まれていた。
 その名作や先輩諸氏の霊を弔うため、各落語協会や会のメンバー
が建立。塚の中には禁演の台本が収められたという。
(台東区寿2丁目9番地7号)

はなし塚  扇塚筆塚